礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

青ガ島は周囲9キロの火山島で、人口は375名

2024-09-28 00:28:40 | コラムと名言
◎青ガ島は周囲9キロの火山島で、人口は375名

 当ブログでは、昨2023年の後半、アクセントの問題を採りあげた。その際、平山輝男という国語学者(1909~2005)についても、たびたび話題にした。
 最近になって、書棚を整理していたところ、平山輝男著『日本の方言』(講談社現代新書、1968)という本が出てきた。初期の講談社現代新書で、ザラっとした感じのビニールカバーが付いている。
 同書の第3章「全国方言の諸特徴」の最初に、「奈良朝の面影を残す八丈方言」という節があった。本日以降、この節を、何回かに分けて紹介してみたい。
 なお、平山輝男は、昭和30年代の初頭、方言調査のため、大島一郎らゼミ生ともに、八丈島と青ガ島を訪れている(2023・12・4の当ブログ記事参照)。

  〈1〉 奈良朝の面影を残す八丈方言

言語を分ける「黒瀬川」
 黒潮の流れをへだててはるか南方に浮かぶ八丈島は、とくに語彙・語法に特色があります。またアクセントは型が崩壊して、話者が内省しても型知覚がないものです。
 八丈島以南の小島・青ガ島方言なども、八丈島系で、アクセントも崩壊アクセントです。
 これに対して、御蔵【ミクラ】島以北の島々、すなわち御蔵・三宅【ミヤケ】・神津【コーズ】・新島【ニージマ】・式根【シキネ】・利島【トシマ】・大島の諸島は、大まかにいえば、同じ流れの方言です。とくにアクセントは、どの島もその基本的な体系は東京式アクセントです。したがってアクセントのうえでは御蔵島と八丈島との間に見られる黒潮の流れ(島民はこれを黒瀬川と呼びます)が東京式と崩壊アクセントとの明瞭な境界線になっています。八丈島およびその属島の方言は、アクセント以外の要素もかなり特殊で、従来、系統不明とか、または東部方言の一変種とか言われてきたくらいですから、この黒瀬川はアクセントだけでなく、方言全般のもっとも明瞭な境界線でもあります。私は八丈島および、その属島の青ガ島・小島の方言を合せて八丈方言として、東部・西部・九州の三大方言と対立させるべきだと思います。

伊豆諸島の最南端、青ガ島
 八丈方言の代表として、青ガ島方言をあげましょう。
 この島は伊豆諸島の中で、人の住む島としては本土からいちばん遠く離れている島で、東京から東南へ三六一キロ、八丈島からでも約七〇キロも東南へ離れています。
 この青ガ島は、周囲が約九キロの小さな火山島で、人口は三七五名、約一〇〇世帯ばかり(昭和四〇年現在)ですが、青ガ島村として独立しています。この島の海岸はすべて断崖絶壁をなしていて、切り立った大きな岩が屏風を立てたように聳えています。そして、船の泊まる入り江などもないので、この島に上陸することがまず一苦労です。神子【みこ】の浦は波の浸蝕によってできたわずかばかりの斜面ですが、ここの石ころの上に、人が乗ったままのはしけを、村人たちがたくさんかかって引き上げてくれるのです。沖で汽船からこの島の小さなはしけに乗り替えるのも骨が折れますが、この石ころの斜面に引き上げられるときは、たいてい波をかぶってしまいます。私どももかなり周到に包装したテープレコーダーや写真機などをぬらして故障させてしまったほどです。
 比較的に海が穏やかな七月ごろでも、こんな状態ですから、台風の起こりやすい十月ごろから春さきにかけてはまったく交通不便です。昭和のはじめごろから、ひと月に一回の定期船がこの島の沖に停泊することに決まったのです(それ以前は年二回)が、それでも海が荒れると船は来ないのですから、悪い季節には三ヵ月も四ヵ月も本土との交通がと絶えてしまいます。青ガ島の校長の話によりますと、本土からの年賀状などは三月になって見るのが普通のことであるといいます。
 以上のように不便な交通状態は、本土の文化に接触する機会を少なくし、ごく最近まで電気もなく、ラジオ、映画などは、もちろんなかったのですが、これらは方言のうえにどのような影響を及ぼしているのでしょうか。〈114~116ページ〉【以下、次回】

「小島」とあるのは、「八丈小島」のこと。この『日本の方言』が出版された年の翌年(1969)、無人の島となった。
「青ガ島」は、一般的には「青ヶ島」と表記される。この本では、「青ガ島」となっている。ただし、原文では、「ガ」は、「ヵ」に濁点がついた字である。
「崩壊アクセント」という言葉があるが、これは平山輝男のアクセント観を示す用語であって、「無アクセント」(一型アクセント)と同義である。なお、私見によれば、「無アクセント」は日本語における最も古い姿を残しているものであって、既存のアクセントが「崩壊」したことによって出現した姿ではない。

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