礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

なぜ、勝っているときに和平交渉をしなかったのか

2016-07-17 04:03:15 | コラムと名言

◎なぜ、勝っているときに和平交渉をしなかったのか

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、七月一七日、一八日の日誌を紹介する(二一五~二一九ページ)。七月一八日の日誌は、ソ連が、近衛文麿の特使派遣を拒否したことに言及している。

 七月十七日 (火) 曇
 朝方からようやく雨も上がって、ときどきは薄日もさすように回復して来た。まず一番にと洗濯に走る。ついで内務班内外を掃除していると、汗だくになって来る。気温十時過ぎには三十度となる。汗をかくときは水を飲むとよいといわれるが、水を飲むと汗は余計に出て来る。昼食後は三十五度くらい、午後二時すぎには三十七度を越えるように思う。ただ内務班で静かに煙草でも吸っていると、風もあってそんなに暑いとも思わない。【中略】
 午後四時、上番する。昨日一日降った雨の影響か、今日は敵さんの動きはまったくなし。奥地から雨は上がっているから、午後出発しても可能だが、格納庫がなければ、爆弾積載にしろ、点検にしろ雨中では不可能だ。
 日本が全支那大陸に制空権を持っていた時代、各地飛行場の格納庫は完全にたたかれ、どこもないはずである。飛行機は米軍から貸与され、滑走路は整備したようだが、それ以上は手は回ってない。そう推測すると、今日の敵の空襲はまずないだろう。
 今日は隊長も上山中尉も、情報室に詰められていない。あるいは昨日の原爆実験成功の件で、隊長は上山中尉をともなって連隊長のところに報告に行かれたのかも知れない。午後七時、タ食がすんでも来られない。【後略】

 七月十八日 (水) 晴
 今日は朝から暑い。文字通り炎暑にして裸で外に出ようものなら、皮膚が火傷【やけど】にあったように赤くなるので、洗濯といえども上衣や帽子をかならずつけていかねばならない。やっぱり南支は暑いところだ。屋根のある内務班のようなところは風があって涼しい。
 一勤の者は午前八時に下番しても、わりに涼しいのでぐっすり眠れる。もちろん裸で寝る。このころは昼間に限って蚊帳〈カヤ〉をはずす。蚊帳があっては風が通らないから。その代わり蚊取線香をくゆらす。
 午前十一時、空襲警報発令。田原を起こして鉄帽をかぶらせる。暑いときの鉄帽は今まで以上に重さを感じる。二十分ごろやって来た。白雲飛行場はよはど目につくのか、かならず一番にやって来る。ドオーン、ドオーンと地をゆるがす音に加えて、高射砲の弾丸の炸裂する音がつづく。彼我の攻防が長いい。五分もつづくか。敵機は天河に飛んだか、黄埔に行ったか。爆音からするとB29らしい。
 起こされた田原は、せっかく起きたので昼食を食べて寝る。そういえば、この間の空襲も非番の日だった。非番の日というと、まったく日をおぼえていない。何時〈イツ〉だったかしら。
 午後四時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、
「本日連江沿いに下って来た敵機B29七機は、午前十時四十分に横石を広東に向け南下し、午前十一時十五分から広東上空を旋回、飛行場各部隊陣地を目標に、攻撃し、黄埔から東莞を経て恵州から北に向け東江沿いに脱去致しました。その間、各所の軍事基地が狙われ、攻撃を受けました」
「ご苦労。昼食はともかくとして、厠にいけたか」と聞いたら、
「上番後、十時半に厠に行き、昼食を後で致しましたので、とくに厠は気になりませんでした」という。
「よし。ご苦労」と声をかけてやった。敵機が来襲中で、余裕ある時間帯なら食事してよいが、敵機脱去後に食箏するようにと言っておいたことが、実際に勤務中にされたことは嬉しい。
 午後九時、上山中尉が部屋に入って来られて、
「田中候補生、一人前に今日は放送しておった。貴様、よく仕込んだなあ」と、こっちが賞められた。
「二人とも真面目です」と答えた。
 午後九時半、今日も隊長は浴衣で入って来られた。
 午後十時、ニュディリー放送が流れてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべきところの情報によりますと、本日(七月十八日)、米海軍艦隊は茨城県沖合から海岸に艦砲射撃を行ないました。また艦載機八百五十機は関東各地を空襲し、銃爆撃を行ないました。しばらくお待ち下さい。ただいま入りました別の情報によりますと、本日(七月十八日)、ソ連政府は日本政府より要請のあった近衛文麿氏の特使としての訪問については、その持つ意味が不明なるを理由として特使派遣を拒否致したることを発表しました。繰り返し申しあげます。…………。――
 隊長「関東地方はえらいこっちゃなあ。艦砲射撃はどんどんやられるわ。八百五十機のカーチスやグラマンが、ぶるんぶるんやられたんじゃあかなわんなあ」
 上山中尉「それもそうですが、近衛さんのソ連行きは、日本政府が和平斡旋の仲介交渉を頼むために企画したのでしょうか」
 隊長はやや撫然として、
「それはそうだろうが、近衛さんはソ連のだれと親しいのだろうか。こういう交渉は、ソ連駐在大使とか公使など、先方の当局担当者と非常に親しい間柄の者同士が連絡を充分に取って、そのレールの上に乗って交渉成立ができると見なされたうえで、近衛さんを担ぎ出したらよい。ポンと特使です、公爵が行きますといっても共産国だ。くそ食らえと思っているだろう。それよりもおれは、最初から気になっていたが、米国を相手にするとき今まで戦っていた支那(蒋介石)となぜ和平交渉を結んだうえで、新しい戦いに突入しなかったのかといいたい。
 秀吉は信長が光秀にやられたのを知るや、ただちに眼前の敵、備中高松城に手を打ち、毛利の大軍と和平交渉をまとめあげ、とって返して光秀と山崎の合戦でこれを破っている。
 支那と和平を結んでできれば味方にして、兵を全部引きあげるとか、あるいは支那を味方にするまではいかなくても、敵にしないだけでも兵力の温存ができる。何よりも問題なことは仏印、タイ、ビルマをはじめ東南アジア各国、太平洋の各島々に兵を向け、停止戦を知らず戦線を拡大しすぎた。しかも勝っているときに、なぜ和平交渉をしなかったのか。場合によっては部分的な国だけでよい。和議をととのえれぼ、軍は原則として駐留しない。軍は目的達成で内地に帰す。必要に応じ召集したらよい。
 日清・日露の両大戦は勝っているときに止めた。日清・日露どちらも、あれ以上戦えば絶対に負けただろう。どちらも相手の方が人間が多い。生産能力も相手の方が上だ。経済力も遥かに相手の方が上だ。明治のあの時代の日本の力で、両方とも勝てたことは、和平の持ってゆき方が、日英同盟など列強各国のおかげだといってもおかしくない。
 いずれにしろ、勝ったときに和平交渉をしなかったことが間違いだ。ああそれから、今度の日曜日以降、外出は一切中止しろ。この放送を南支でうちが聞いてるほかに、軍としてはラジオを南支軍司令部以外は持っていないが、一般支那人の中には相当数聞いているだろう。日本は和平交渉に失敗した=【イクオール】日本は勝てる見込みはなくなった=日本は負けた=支那は勝ったということになって、外出中の一人、二人の兵隊に、何十人と一般支那人が棒でも持って来られたらやられる。おれの名前で外出中止命令を出してくれ。諸般の事情で、当分の間としておけ」
 上山中尉「はッ、外出禁止令は当日朝、通達を隊長名で出します。本論の和平交渉に大本営は関与しているでしょうか。政府といえぽ、陸軍大臣や海軍大臣は知っているでしょうか」
 隊長「おそらく知らないだろう。総理や一部の大臣が、このまま本土決戦になっては国体護持も不可能になることと、毎日毎日、日本中が爆撃され、いたるところに親を失い、子を失い、家を失う惨状を、もうこれ以上放っておけないとして、天皇の御勇断を願って戦争終結を計ろうとしたのではないだろうか。この際、政治家が悪者になってでもと思って、中立国であるソ連の仲介を依頼したのだろう。それにしても、ソ連という国は、ダメならダメと依頼国の日本に返事をすればよいのに。中立であるどころか、こんな情報を、軽々しくも米英側の情報機関に流すとはもってのほかだ。おれは本土決戦だけは避けなければならないと思っている。貴様は不満だろうが」
 上山中尉「自分は不満です。死をもってむかって行けばかならず開けます」
 隊長「馬鹿野郎。貴様が死んだだけですむか。貴様のようなやつがいるから、特攻隊が花が咲くんだ。特攻隊というが、上山、貴様のような優秀なよい腕、よい頭を持った若い前途ある飛行士ばかりだ。生きて帰って再度、戦いに臨むことをなぜ教えないのか。自分たちの不忠を考えず、つぎつぎに若者を狩り立てて若者を殺しているのは、おれにはわからん。飛行機も消耗品という考え方は愚の骨頂だ。傷つきいたんでも修理してでも、何度でも使うことを考えねばならん。現実を正しく認識して、高所、大所から物を観るようにしてくれ。目先だけの刹那的な現象で考えることのないよう総合的な物の考え方をして欲しい」
 隊長は今日も雪駄の音をさせながら出て行かれた。上山中尉は、じっと腕を組んで考え込んでおられる。自分も日本が負けるとは思いたくない。しかし、制空権も制海権もないのは事実である。それは全戦線がそうである。【後略】

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