礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

東京海洋大学「小論文」と日本人の自発的隷従

2015-07-17 03:09:28 | コラムと名言

◎東京海洋大学「小論文」と日本人の自発的隷従

 東京海洋大学の入試問題に、礫川全次の文章が使われたという連絡を受け、耳を疑った。いったい、どんな科目で、どのように使われたのか。そもそも、礫川のどういう文章が使われたのか。
 これについては、東京海洋大学からではなく、名前は忘れたが、著作権を管理している団体から、郵便で知らされた。入試問題での使用ということで、当然ながら事後報告であり、事後の「承諾願い」であった。
 具体的には、「平成27年度」の東京海洋大学海洋政策文化学科の前期日程入試のうち、「小論文」(90分)において、礫川の『日本人はいつから働きすぎになったのか』(平凡社新書、二〇一四年八月)から、一部の文章が引用されたのであった。
 この「小論文」の課題は、【文章A】、【文章B】、【文章C】という三つの問題を読んだあと、四つの設問に答えさせるというものである。【文章A】は、毎日新聞の社説、【文章B】は、学会誌に載ったエッセイ、【文章C】が、礫川の文章になっている。表紙を含め、八ページ。
【文章A】、【文章B】は、いずれも「ポスドク」(ポストドクトラル・フェロー)という問題を扱っている。設問を見た限りでは、この「小論文」の出題者は、ポスドクの問題に、【文章C】の趣旨が、どうからむかということを、問おうとしているようである。
【文章C】は、『日本人はいつから働きすぎになったのか』の序章における問題提起と、第九章における過労自殺の事例の分析とを接合したものとなっている。ここでのテーマは、日本人における「自発的隷従」という問題である。
 出題者は、受検生に、いわゆる「ポスドク」の問題を、日本人の自発的隷従という視点から考察させたかったのだろうか。
 本日は、【文章C】を、そのままの形で紹介する。文中に二箇所ある傍点部分は、太字によって示す。なお、問題の全体は、東京海洋大学のホームページで閲覧できる。

【文章C】
 日本にやってきたフランス人が、先を争って満員電車に乗り込もうとしている通勤客を見て、「ユダヤ人は、アウシュビッツ・ビルケナウ行きの列車に強制されて乗った。しかし日本人は、みずから進んで満員電車に乗り込んでいる」と評したという。そのフランス人を案内した大学院生から、4、5年前に聞いた話である。
 多くの日本人は、こういう発想をしない。私も、最初にこの話を聞いたときは、何とも表しがたい違和感を持った。だが、こうした外国人の観察と論評は大切にしなければならない。彼らが、日本人が気づかないこと、気づいても口に出したがらないことを、はっきりと表現していることが多いからである。
 ところで、この「日本人は、みずから進んで満員電車に乗り込んでいる」という発想であるが、これはフランス人にとっては、意外にありふれた発想かもしれない。
 16世紀のフランスに、ラ・ボエシという文人がいて、『自発的隷従論』という古典的なエッセイを残している。そのエッセイで、ラ・ボエシは、人民というのは、圧制者の力によって隷従させられるわけではなく、みずからの意思によって自発的に圧制者に隷従しているのだということを述べている。
 フランスには、そんな昔から「自発的隷従」について論じていた人がいた。だとすれば、フランス人にとっては、(少なくとも、フランス人のインテリにとっては)、「自発的隷従」という発想は、それほど特異なものではないと見てよいだろう。
 ラ・ボエシの文章を、少し引用してみよう。

「信じられないことに、民衆は、隷従するやいなや、自由をあまりにも突然に、あまりのもはなはだしく忘却してしまうので、もはたふたたび目ざめてそれを取りもどすことなどできなくなってしまう。なにしろ、あたかも自由であるように、あまりも自発的に隷従するので、見たところ彼らは、自由を失ったのでなく、隷従状態を勝ち得たのだ、と言いたくなるほどである。/たしかに、人はまず最初に、力によって強制されたり、うち負かされたりして隷従する。だが、のちの現れる人々は悔じもなく隷従するし、先人たちが強制されてなしたことを、進んでおこなうようになる。」 (山上浩嗣訳『自発的隷従論』)

 日本人の勤勉性、働きすぎ、過労死、過労自殺といった問題について考えるとき、この「自発的隷従」という発想は、きわめて重要な手がかりを与えてくれるのではないか。それにしても、なぜ日本人は「自発的隷従」をやめないのか。あるいは、なぜ「自発的隷従」について、自覚しようとしないのか。
 (中略)
 日本では、すでに一九八〇年代半ばから、「過労死」という問題が浮上し、マスコミなどで、この言葉が使われるようになった。1988年4月には、「大阪過労死問題連絡会」が電話相談「過労死110番」をスタートさせている。同年の11月13日には、アメリカのシカゴ・トリビューン紙が、一面トップで日本の過労死問題を報じている。この記事をキッカケとして、過労死(karoshi)という言葉が、そのままで世界に通用する日本語のひとつとなったとされる。
(中略)
 1990年4月には、政治学者の渡辺治氏が、『「豊かな社会」日本の構造』という本を発表している。この本で渡辺氏は、過労死を生み出さざるをえない「豊かな社会」日本の構造について詳しく分析している。そこには、次のような注目すべき一文がある。

「労働者は外的強制のもとでは、過労死になるまで働くようなことはない。過労死が社会問題化するのは、労働者が層として企業のために外見的には自発的に忠誠をつくす構造があるからである。」  (傍点は原文)

 死にいたるような労働を強制されて、反発しない労働者はいないだろう。みずから進んで会社に忠誠を尽し、みずから進んでハードに働く労働者が多いからこそ、過労死が生じるのである。渡辺氏は「自発的に忠誠をつくす」という言葉を使っているが、ここではこれを、「自発的隷従」と言い換えたい。まさに今日、労働者が会社に、「自発的に隷従している」事態が生じていると言っても過言ではないのである。
(中略)
 1991年8月に起きた、A社の社員Bさん(24歳)の過労自殺事件も、そうした事例のひとつである。
 Bさんは、過労からうつ病となり、自宅で自殺した。Bさんは営業を担当していたが、自殺前の残業時間は、月平均147時間に達していたという。この事件は、両親が損害賠償請求の裁判を起こしたために、広く世間から注目されることになる。最高裁まで及んだ裁判は、原告(両親)が勝訴し、その請求が認められた(2000年3月)。
 地裁判決(1996年3月)によれば、被告であるA社は、第一審の段階で、次のような主張をおこなっている。

「Bが、原告主張のように、深夜、ときには早朝まで会社内に在館していたことは認める。しかしながら、右在館時間がすべて被告の業務のために充てられていたとは考えられない。すなわち、Bには、土曜の夜に出社し、日曜の朝に退館するといった、理解しがたい行動パターンがしばしば見られたこと、Bの担当していた業務の内容及び量からして、Bが原告主張のような長時間労働をしなければならなかった理由はないこと、(……) 同人が業務によって過労状態にあったとはいえない。また、同人の疲労が極限に逮していたとすれば、被告(A社)の経費で宿泊できるホテルを利用したり出勤猶予制度を活用することはもとより、休暇を取ることを考えるのが通常であるところ、Bはこれらのことをしなかったのであり、それが業務上の強制によるものとは考えられない。」

 A社の主張で特徴的なのは、Bさんの過労と自殺を、Bさんの自己責任の問題として処理しようとしていることである。当時はまだ、ブラック企業という言葉はなかったと思うが、まさにブラックな主張である。Bさんが長時間労働をしなければならなかった理由はない、過労状態にあったわけでもないなどの主張は、裁判所によって退けられた。しかし、大嶋さんの残業は「業務上の強制によるもの」ではないという主張は、退けられていない。Bさんは、膨大な業務を処理するため、やむをえず、長時間におよぶ残業をおこなっていた。それは、本人が自分の責任感からおこなっていたものであって、たしかに、「業務上の強制によるもの」ではなかったからである。
 しかし、ここにこそ、この事件の本質がある。Bさんは、その責任感から、「みずから進んで」残業をおこない、しかも、「みずから進んで」その残業時間を過少に申告していた。
 すべて仕事のため、会社のためである。その挙句、過労に陥り、うつ病を発症し、みずから死を選んだのである。
(中略)
 しかも、Bさんの場合、入社二年目とはいえ、「思った以上に仕事を任せてもらえる」位置にあり、仕事に対して「充実感を感じる」こともあったという。Bさんは、ある面では、「自発的・自主的」に仕事に打ち込んでいたとも言える。そして、そうであったこともまた、長時間に及ぶ残業、あるいは過労につながっていったのである。
 (礫川全次『日本人はいつから働きすぎになったのか』2014年より)(一部改変)

*このブログの人気記事 2015・7・17(最近のものが多いような気がします)

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1 コメント

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Unknown ( 伴蔵)
2015-07-18 21:38:46
 やはり、自発的隷従という点は、過労自殺を考える上に

おいて最も重要なポイントであると考えざるを得ません。
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