◎円城塔さん、ポスドク問題を語る(2008)
東京海洋大学海洋政策文化学科の「平成27年度」前期日程入試の「小論文」(90分)を読んで、あらためて「ポスドク」の問題が深刻な問題であることを知った。
そこにある【文章A】は、二〇〇八年一一月四日付の毎日新聞に載った社説「若手研究者育成」である。ただし、同タイトルの社説の全文であるのかどうかは確認していない。
この社説によれば、「ポスドク」とは、「ポストドクトラル・フェロー」の略で、博士号を取得したのち、任期付きの職にあって、研究に従事している研究者を指すという。任期付きの職にあるということは、言い換えれば、任期の定めがなく、定年まで勤められる「常勤職」に就けていないということである。
この「ポスドク」が、この社説が出た時点で、一万六〇〇〇人もいたという。こうした状況を反映し、博士課程への進学者が急速に減っているという。こんなことで、日本の将来を担う「若手研究者」の育成ができるのか、というのが、社説の趣旨である。
続く【文章B】は、作家の円城塔〈エンジョウ・トウ〉さんが、『日本物理学会誌』第六三巻第七号(二〇〇八)に寄せた「ポスドクからポストポスドクへ」というエッセイである。ただし、これも、同エッセイの全文であるのかどうかは確認していない。
芥川賞作家(二〇一二年、第一四六回芥川賞受賞)として知られる円城塔さんは、三四歳まで、「ポスドク」を体験している。すなわち、ポスドク出身の作家である。二〇〇七年に、会社員に転身した。同エッセイによれば、ポスドクを辞めたとき、母親から、「お前が研究者をやめてくれて心底からほっとした」と言われたという。
このエッセイで円城さんは、「兼業作家」を自称している。会社員と作家を兼業しているという意味であろう。ところが、ウィキペディア「円城塔」の項によれば、円城さんは、二〇〇八年一〇月に、勤めていた会社を辞め、専業作家となったという。だとすれば、このエッセイは、円城さんが、「兼業作家」であった極めて短い期間に、その視点から、かつての「学究生活」を振りかえったエッセイである。当然、ポスドクをめぐる状況には批判的である。「生きてゆくのに必要な対価、この数値やら成分やらが異様に低く見積もられているのが現在の大学周辺の状況だろう」などという指摘がある。それにしても、出題者は、ずいぶん珍しい文章を探し出したものである。
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