礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

大阪朝日新聞「白虹日を貫けり」事件(1918)

2015-11-11 05:42:52 | コラムと名言

◎大阪朝日新聞「白虹日を貫けり」事件(1918)

 本日も、大阪朝日新聞社整理部編『新聞記者打明け話』(世界社、一九二八)から。本日紹介するのは、霧汀山口信雄の「堀川別荘の春」。  
 一九一八年(大正七)八月、大阪朝日新聞の記事をめぐって、「白虹〈ハッコウ〉事件」と呼ばれる言論弾圧事件が発生した。この事件については、ウィキペディアの「白虹事件」の項を参照いただきたい。
 この事件で、記事の筆者である大西利夫と、大阪朝日新聞の編集人兼発行人であった山口信雄の二人が、新聞紙法違反に問われた。以下の文章にあるように、山口信雄は、二か月間、「堀川の別荘」(大阪の堀川監獄)に送られることになった。
 この事件は、当時も今も、「筆禍事件」として位置づけられることが多いが、私はこれは、明確な言論弾圧事件であったと見ている。

 堀 川 別 荘 の 春  信雄 山口霧汀
 大正七年〔一九一八〕米騒動のあつた歳、私は筆禍にかゝつて、十二月の十二日から翌年の二月の十三日まで、まる二ケ月堀川の別荘に幽閉された。
 折しも冬空、寒さはさむし、綿入れ一枚の防寒着では随分とつらかつたけれども、私には体験したことのない別荘の新年を迎へるのであるから、聊か好奇の心にかられて張りつめた元気には寒さも一向苦にならじず、大正八年〔一九一九〕の不芽出【ふめで】たい新春を茣蓙【ござ】一枚で迎へることゝなつた。
 雑煮餅も……それは堅餅【かたもち】であつたが……数の子もごまめも、たゝき牛蒡も、黒豆の煮〆【にしめ】も、ぼうだらも在家の正月にありさうな御馳走は何回にも分けて頂戴した、春らしい気分は矢張りこゝにも漲つて〈ミナギッテ〉ゐた。しかし正月であるといふので、特に作業を休まして一日を静座に途らさしめられたのは、情けのあまつた苦痛である。
 正月の三ケ日〈サンガニチ〉も過ぎ寒の入りに近くなつて、その月の十八日の寒さ、これには張りつめた心もゆるんで、身をさく思ひはほんとに、これかとばかり思はれたが、この間にあつて一週間一度の沐浴は、たとへ五分間でも私にいひしれぬうれしさであつた。
 一週間一度の沐浴――ちやうどそれは水曜日の正午【まひる】さがり、係官につれられて風呂場へ行くと、何事も号令づくめで真裸になつて湯槽【ゆぶね】に飛び込む。不馴【ぶな】れな私は何遍も叱られながら驚いて湯槽を見ると、正に浮いたる垢の泡沫厚さ五、六寸、これを破つて熱い冷たいの小言は封じられたまゝ飛ぴ込んだ時の気持、シミるとは江戸子ばかりの体験ではない。ホツとして洗はうと思ふと直【す】ぐ上れの命令、これではまるで垢染右衛門【あかそめゑもん】の格である。行列を組んで外へ出ると、雪がちらちら、それでもほこほこした身体は一日心持【こゝろもち】よいものであつた。
 なほこの二ケ月の間に私の今までに試みたことのない贅沢が一つあつた。それを名づけて私は『褌【まはし】のぜいたく』といふ。別荘の召使……それは同僚の一人……が毎日々々かゝさず同じ時刻に朝と夕に平服と作業服を持つてくる。私はこれを最も短い時間に着換へる。その時きつと番号のついた褌がきれいに洗はれて添へてある。これを朝に晩にとりかへる、在家〈ザイケ〉にこんな贅沢があらうか。苦しい中にもこんな贅沢をくりかへした私は、うちに帰つて褌をとりかへるたびに苦笑するのである。
 大正七年〔一九一八〕八月下旬から起つた筆禍事件のため、編輯局長の鳥居素川〈ソセン〉翁をはじめ、社会部長の長谷川如是閑〈ニョゼカン〉、通信部長の丸山侃堂〈カンドウ〉、無任所の大山郁夫氏ら、新聞言論界に名の知られた人々が、何れも連帯責任といつた形で、おのがじじ、退社するのやむなきに至つた。しかし、さすがに屋台は大きい。今まで閑地にあつて、たゞ一週に一度京大文学部に六朝文学や屈原の離騒などを講義してゐた西村天囚博士をはじめ、東京にあつて財政経済時報に無敵の論陣を張つてゐた本多雪堂博士などが、久方ぶりに現役について、倍旧の活動をすることになつた。天囚翁は翌年本社の株式組織と同時に、名実ともに本社を去り、京大に専心して、のち宮内省御用掛となり、雪堂翁は九年〔一九二〇〕正月、かりそめの病から俄か〈ニワカ〉に長逝し、素川老も最近六甲山下において物故した。

*このブログの人気記事 2015・11・11(7位にかなり珍しいものが入っています)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 関東大震災と自警団の「不逞... | トップ | 中山太郎の論文「血の池地獄... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事