礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

中山太郎の論文「血の池地獄」(1929)

2015-11-12 07:23:15 | コラムと名言

◎中山太郎の論文「血の池地獄」(1929)

 最近、必要があって、雑誌『現代仏教』のバックナンバーを通覧してみた。するとその第六七号(一九二九年一一月)に、中山太郎の「血の池地獄」という論文が載っていた。一読して、印象深かった。内容に惹かれたというより、その「書きぶり」に興味を抱いた。
 本日は、この論文を紹介してみたい。この論文は、全部で六節からなるが、本日、紹介するのは、「一」である。引用は、『日本民俗学 風俗篇』(大岡山書店、一九三〇)からおこなう。

 血 の 池 地 獄
  一
 私の外祖父〈ガイソフ〉が、義太夫狂とまで云はれてゐたゞけに、私も少年の頃から、その義太夫節の浄瑠璃を、稽古させられたものである。端物【ハモノ】から金襖【キンブスマ】ものと、追々〈オイオイ〉と段数をあげて来て、やがて「蝶花形名歌島台〈チョウハナガタメイカノシマダイ〉」八段目(俗に蝶八と云ふ)を稽古したことがある。然るに、その文句の一節に、『一百三十六地獄の、責苦〈セメク〉を一度に受くるとも、よも此の上のあるべきか』云々とあるのを見て、仏説の地獄の数は、百三十六あるのだなと、始めて知つたやうな次第である。
 その後、私は、所謂〈イワユル〉笈〈キュウ〉を負うて上京し、所期の学校へ入つたものゝ、尚古癖〈ショウコヘキ〉が邪魔をして、好んで古書や新刊を読み耽り〈フケリ〉、学校の方などはそつち退け〈ソッチノケ〉といふ有様で、仏教関係の通俗の書物なども、殆ど手当り次第に読んで見たが、少年の頃に記憶した、百三十六地獄のうちに、どうしたものか、我国の民間信仰と深い交渉を有してゐる、血ノ池地獄が載せてゐない。不思議なこともあるものだと、「大蔵法数」、「法苑珠林」、「翻訳名義集」といふやうな素人向きの仏書を繙いた〈ヒモトイタ〉が、やはり血ノ池地獄のことは見えてゐない。友人に二三の僧侶もあつたので、此の事を質して〈タダシテ〉見たが、深く知らぬとのことで、要領を得なかつた。
 私は、我国で地獄の一種のやうに考へられてゐる、賽〈サイ〉の河原なるものが、仏説には無くして平安朝に創作されたものであることは、夙に〈ツトニ〉天野信景〈アマノ・サダカゲ〉の「塩尻」その他によつて承知してゐたけれども、血ノ池地獄だけは、最初から仏説に在るものだと、信用しきつてゐたので、二三の通俗物ではあるけれども、仏書に見えぬことが、何となく物足らぬやうに、思はれてならなかつた。その後も、此の事が、常に気にかゝつてゐたので、織田得能〈オダ・トクノウ〉師の「仏教大辞典」や、望月信享〈モチヅキ・シンコウ〉師編纂の「仏教大辞彙」なども、注意して見たが、依然として発見することが出来ぬので、これは殊に〈コトニ〉寄ると、血ノ池地獄も、賽の河原と同じやうに、我国の創作ではないか、と疑つて見たが、併し、これは疑つて見たゞけで、積極的に、創作であると、証拠立てる文献にも接せず、そのうちには何とか目鼻がつくだらう位のところで、中途半ン端のまゝで、幾年かを過ごしてしまつた。

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