◎なぜ薬売りに浄土真宗の門徒が多いのか
「薬売り」と言えば「富山」である。よく知られている通り、越中富山は、浄土真宗の信仰が盛んなところである。そして、越中富山などの「真宗篤信地帯」から薬売りが輩出したことには、この浄土真宗という宗派の信仰内容が関わっている。
私がこのことを知ったのは、ごく最近のことであった。すなわち、有元正雄氏の『宗教社会史への構想』(吉川弘文館、一九九七)を読んでいて、次のような指摘に接した次第である。「そんなことは、前から知っている」という読者も多いと思うが、一応、紹介させていただこう。
すでにしばしばのべたように、真宗〔浄土真宗〕は現世利益のための祈祷を拒否した。【中略】中世~近世を通して民衆に大きな影響を与えた山伏・修験たちが、病人を前にして加持祈祷し、あるいは祈祷と施薬〈セヤク〉を併用したのに対し、真宗の毛坊主〈ケボウズ〉・辻本などは祈祷をしなかった。しかし人が現実に病み傷ついたとき、痛み苦しみ不安であることには変りがない。そこで彼らは医薬を尊重し医薬に頼った。一向宗の教導者たちが、かねて薬品を携帯し民衆の傷病を治療していたのである。【中略】
すでにみたように、越後〔新潟県〕西蒲原郡称名寺に伝わる毒消丸〈ドッケシガン〉、越中富山地方に伝わっていた反魂丹〈ハンゴンタン〉、肥前〔佐賀県〕田代地方に伝わっていた奇応丸〈キオウガン〉などは、真宗門徒が加持祈祷にかわり、病苦を救うものとして家伝的に維持してきた薬品が、商品経済の発展と、一般民衆も薬によって病気の治療をはかろうとする合理的精神の台頭とのなかで、売薬行商として発展した典型的な例といえよう。そして真宗篤信地帯における現世利益的な加持祈祷をしりぞけ、医薬に依存する合理的な精神的基盤が、こうした土地に名医を育て、名薬を創製させることになったのである。
今、初めて知りました。