礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

第一次大戦を「大きな痛手」と見た荒木貞夫

2023-02-17 03:17:31 | コラムと名言

◎第一次大戦を「大きな痛手」と見た荒木貞夫

「皇道派の重鎮」として知られてきた荒木貞夫(一八七七~一九六六)に、「日華事変突入まで」という文章がある。本日以降、何回かに分けて、この文章を紹介してみたい。出典は、雑誌『別冊知性』第五号「秘められた昭和史」(河出書房、一九五六年一二月)。

 日 華 事 変 突 入 ま で
   世界の動きも知らず、日清・日露の思い出に自惚れていた軍
   部は、一歩々々国民を破滅の淵に追い込んで行つたのだ!
            元陸軍大将  荒 木 貞 夫

 無条件降伏、それにつづく占領政府は、日本人を完全に骨抜きにした。現在のところ、再び起つ! と欲する日本人が何人いるだろうか。そう考えるたびにおもいだすのが、フランス国民の粘り強さである。フランス人にも、幾度か敗戦の歴史があつた。そのひとつが一八七〇年(明治三年)の普仏戦争で、このときはナボレオン三世までが捕虜になつた。仕方なくビスマルクへ講和を申入れた。しかし、無条件降伏ではない。
「まだベルホルト要塞が健在だ。ドイツ軍の総力を結集しても、ついに占領できなかつたこの名誉をフランスは主張する。あくまでも一方的な講和条件をだすのなら、仏国人全部の屍を越えてベルホルトを奪いとれ」
 と、ビスマルクに当つて目的を達成している。いまになつてこんなことを云つても仕方がないが、日本人はあまりにあきらめがよすぎる。十年たつた現在ですら、敗戦気分を一掃できずに、モタモタしているのは、まつたく見るに堪えない。
 このへんで、どうして戦争にいたつたかを反省してみて、なんとか活を入れてもらいたいものである。結果からいえば、この悲運は明治末年より、大正年間にじわりじわりと侵されて、昭和にいたつて、大事にいたつたとみることができる。昭和に入つてから起つた満州事変ですら、決して突然に勃発したのではない。かずかずの、当然起るべき原因が累積されついに爆発したのである。

  孤立化を急がせた大戦の不手際
 日清、日露の両戦役で、わが国は次第に列強の仲間入りをしてきた。その慢心、その油断にまず遠い原因を深ることができるが、最も大きな痛手は第一次大戦と見ることができる。この戦争には、なるほど連合国の一員に参加したおかげで、勝利者になることができた。しかし戦局を傍観し、勝利の歩〈ブ〉のありそうな国を日和見して加担したにすぎない。利益のみを追いすぎ、いわが火事泥式に儲けたのである。こういうと日英同盟の誼〈ヨシミ〉による義戦であり、青島攻略を一手で引受け、太平洋を荒しまわつていた独潜水嗟エムデンを掃蕩した、また地中海に艦隊を派遣して、作戦に協力したというかも知れない。しかし、一兵も欧州の戦場へは送らなかつたではないか。
 そのころ欧州の戦場では、実に死ぬか生きるかの死闘をつづけていたのである。三年遅れて参戦したアメリカですら、少数ながら欧州戦場へ派兵したのに、日本は最後まで自己防衛を理由に、シベリヤ出兵もバイカル湖以西には一兵も出せぬと拒みつづけた。そのために連合国、いや世界の蔑視を買つて、終戦後に昨日の味方からも敵視される位置に、自ら墓穴を掘つてしまつたのである。これはやがてロンドン条約で仇討ち〈アダウチ〉されるとは、誰が想像したろう。
 兵器は鉄砲一挺送らず、平和産業品の輸出それも粗製濫造で、巨大な利益をほしいままにしていた。私はこんなことでは、永遠に孤立化してしまうことを憂えて「慰問品のつもりで、もつといい品物を送るよう」と欧州から幾度か献言したが、一向に取りあげてはもらえず、相変らず不信を買うような不良品ばかりを送つてきていた。
 それはいいとしても、我国が血みどろの欧州大戦を眼〈マ〉のあたりに見なかつたということは、近代戦争の方式からとり残される破目〈ハメ〉になつたことは大きい。
 この戦争ではじめて戦車があらわれた、毒ガスも使用された。飛行機が縦横無尽に活躍して、全くいままでの戦争方式を一変させてしまう感があつたのである。政治的にもロシア革命(一九一七年)があつて、共産主義国家の創設をみるにいたつた。一方、戦後間もなく起つたファッショ体勢も、このとき芽生えていたのである。こうした世界状勢の大きな変革に心をくばらなかつたことは、他日どのような遅れをとつたことか。
 レーニン政権下のソ連に対して、中途半端な策動と、本腰を入れずに反革命分子を援助した政治家ならびに軍部の小刀細工や、国内政党の反目(政友会と憲政会)は、わが国の威信を国の内外にバクロしただけではなく、大戦後も長く置きざりをくわされた。こうして国際間の日本に対する疑惑は、大戦と共に急速に深まつていつたといえる。【以下、次回】

 文中に、「欧州から幾度か献言した」とあるが、荒木貞夫は、欧州大戦(第一次世界大戦)中、ロシアに出張し、ロシア軍に従軍していたという。

*このブログの人気記事 2023・2・17(8・10位に、なぜか『英文法汎論』)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« それぢや男女混合の仮装会を... | トップ | 私も幾度か公衆の面前で侮辱... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事