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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「古事記」には幾種かの原本があったに違いない

2023-04-27 00:03:20 | コラムと名言

◎「古事記」には幾種かの原本があったに違いない

 三浦藤作の『古典の再検討 古事記と日本書紀』(日本経国社、一九四七)を紹介している。
 本日は、その五回目で、第二章第三節の〔一〕のところを紹介する。

   第三節「古事記」の資料及び撰録法
「古事記」の資料 「古事記」の資料即ち「古事記」編纂の原本になった文献は、何であつたか。この問題は、既に前述の撰録事情により、ほぼ明らかになつてゐるが、なほ一度再検して見よう。「古事記」は太安萬侶〈オオノヤスマロ〉が稗田阿礼〈ヒエダノアレ〉の誦習〈ショウシュウ〉してゐた古伝を撰録したものである。安萬侶が自ら多方面の資料を蒐めて編纂したものではない。安萬侶は当時の碩学〈セキガク〉であつたかと思はれる。古伝にも通じてゐたであらうし、種々の記録をも渉猟〈ショウリョウ〉してゐたであらう。他の文書を参考して若干の取捨を加へたかとも考へられるが、大体に於て、勅命の趣旨に従ひ、阿礼の口述をそのまま文字に移したことに疑ひはない。阿礼の誦習してゐた古伝、詳しくいへば、帝皇の日継〈ヒツギ〉及び先代の旧辞は、天武天皇の聖旨によつて成れるものである。阿礼は天皇の詔〈ミコトノリ〉によつてただこれを誦習したに過ぎない。阿礼がその古伝の撰修に関係してゐないことは明白である。天武天皇が如何なる資料を原本として、如何なる人に編纂を命じたまうたかといふことは、明らかになつてゐない。前に引用した太安萬侶の序(三三頁参照)によれば、天武天皇が諸家に私蔵する帝紀や本辞の正実に違ひ〈タガイ〉虚偽を加へてゐることを聞こしめされ、今その失を改めずんば、幾年もたたぬうちに正しい事実が滅びてしまふのを遺憾とせられ、邦家の経緯、王化の鴻基〈コウキ〉たるこの帝紀を撰録し、旧辞を討覈〈トウカク〉して、偽を削り実を定め、これを後世に伝へようと思ふと仰せられたといふ意味のことがあつて、その次に、記憶力の強い稗田阿礼といふ舎人〈トネリ〉に、それを誦み習はしめられたといふことが記してあるだけである。「帝紀を撰録、旧辞を討覈し、偽を削り実を定め」とあるから幾種かの原本があつたにちがひないが、如何なる記録によつたものかわからない。しかのみならず、安萬侶の序は、そこのところの叙述が甚だ不徹底で、誦習の意味さへも判明せず、今日まで解釈上の異説を生じたくらゐである。頭脳の明晰な学者なら、もう少し条理正しく書けさうなものだと思はれる。この序より外に典拠とするものがないから、「古事記」の原本となつた文献は、ただ天武天皇の頃に存在した古記録といふより外に、何等の考證も出来ないといふことに帰する。

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