◎天の与へるものを取らずんば後に禍が来る(本多熊太郎)
本多熊太郎講述『世界新秩序と日本』(東亜連盟、一九四〇年一〇月)から、「現前の世界情勢と日本の立場」を紹介している。本日は、その八回目(最後)。
其 の 七
つひ先頃米国々務省は「西半球に存在する交戦国の領地が米洲に属せざる他の国に領有されることは断じて米国の傍観し得ない処だ」といふことを声明した。米洲内には英仏及びオランダの領地がある。これを欧洲の一国或は数ケ国の領有に変更されるやうなことがあれば米国は黙つては居れないぞといふのである。これは日本の場合に適用していゝのである。欧洲戦争の勃発した時私は、東は東経百八十度から西はマレイ半島の先のまづべンガル湾あたりに至る線を画し「此の海域内ではドイツ側たると英国側たるとを問はず、交戦権発動相成らぬぞ」との戦局制限を日本が提議すべきであるといふことを主張したが、米国はそれをやつてゐるのである。英国では日本近海で浅間丸を臨檢し日本朝野を憤激させたが、これは謂はば国際公法上の交戦権を行使したものであるが、日本は二百億の財を費ひ〈ツカイ〉、日露戦争に何倍する兵を動かし有史以来、未曽有の大戦争をやつて居り国民に対しては戦時体制を強化し国民又欣ん〈ヨロコンデ〉で国策に従つてゐるのだが其の敵たる蒋介石援助並に我が作戦の邪魔をする者に対しては今なほ交戦権の発動を遠慮してゐる。何処にそんな国があるか。今回英国に対してビルマからの援蒋ルート禁絶を申入れたのに対して英国は何んと言つて居る。
「成程支那で戦闘が行はれてゐるが、之は事変であつて戦争じやないと云ふ建前で日本がやつて居られ、交戦権を主張されないから俺の方は認めない」
と言つてゐる。堂々交戦権を発動して駆逐艦の二三隻もベンガル湾へ遣つてビルマ印度の沖で押へてしまへば極めてお手軽に経費も少く援蒋物資の輸送を禁絶することができるのだ。政府が今日迄それをやらぬといふのは其の意を解し難い。況んや援蒋ルートは三年も前に始つてゐるのである。日本が国際公法上当然の権利を行使すれば三年前に援蒋ルート閉塞ができたのである。
而も之を為さざるのみか、独伊の徹底的勝利を見るや――先頃の新聞に報道されたことで、これは間違ひだらうと思ふが……独伊に対して仏印と蘭印に付ては宜敷く好意的御酙酌〈シンシャク〉を願ひますと申入をしたといふ。こんなことが武士道日本の言ふことであるだらうか。そんな事を言ふとドイツは何んと言ふだらう。独伊の好意に依つて仏印、蘭印をどうかしようとし、一方英米に媚態外交をやつてゐる。此の卑屈な精神がいけないのだ。
ドイツがあれだけの赫々たる戦果を五週間か六週間の間に挙げたのは誰のお蔭であるか、諸君はこの事実を深く考へなければいけない。米国はこの春、太平洋で日本を目標を目標にして海軍大演習をやつたが、その演習が終ると、偶々〈タマタマ〉日本政府が蘭印の現状維持云々の声明をした。――この声明で痛くない腹を探られ、見様に依つては泥を吐いたのだといつてゐる者もある。それで、米国は牽制策として、大演習は済んだが、当分の間全艦隊をその侭ハワイに留めて置くことゝした。それは五月七日である。さうすると五月十日、ヒトラーは敢然としてオランダへ兵を進めてしまつた。ヒトラーの見る所では、米国の艦隊は、日本海軍が引受けてくれたものと思つたであらう。ハワイからニユーヨークまでは五千何百哩あり、ハワイから横浜へ来る方が早い。そして、パナマ運河を通過して、ニユーヨーク沖まで行くのにはあの大艦隊は一ケ月はかゝる。ヒトラー総統は、一ケ月あればフランスをやつつけてしまへるからその間に米国が参戦したくとも参戦できない。その機会を狙ひ安心して活躍し、遂にあれだけの赫々たる戦果を挙げたのである。
然るに蘭印仏印に付ては好意的に御考慮願ひます等と。何の必要があつて御考慮を願はなければならぬのか。独伊は欧洲の新秩序を樹てる。日本は東亜の新秩序を樹てる唯だそれだけの話である。日本が実力を以て敢然としてやれば独伊も、もとより異存はないのである。
寔に〈マコトニ〉千載の一遇である。日本敢然として起つも、英国如何ともする能はず、米国如何ともする能はざる現実を前に見れば蒋介石も馬鹿でない。だから降参するにきまつてゐる。蒋介石を相手とせずとは確乎不動の声明だといふが、此の「蒋介石を相手とせず」といふのは「蒋介石と共には東亜新秩序建設の相談はせぬぞ」といふのであつて、蒋介石が降参して来ても降参を許さぬぞとそんな莫迦なことを意味する筈がない。長期戦は蒋介石の望む所、又英国の希望する所である。之を挫折させるには今が絶好の機会である。天の与へるものを取らずんば後に禍が来る。天は自ら助くる者を助く。日本の一挙手一投足に敢て勇敢であれは独伊も英米も顧慮する要はない。
米国の海軍大臣がつひ二、三日前本音を吐いたではないか「蘭印問題に関し米国海軍が実力を以て日本の邪魔をすることは賢明の策にあらす」と言つたではないか。これ程はつきり米国の海軍大臣が白状してくれてゐるのである。狐疑逡巡することなく、最も忠勇なる東北人よ宜敷く政府を鞭撻して、しつかりやらせやうではないか。(畢)
講演記録「現前の世界情勢と日本の立場」の紹介は、ここまで。明日は、この講演の内容について、若干、コメントしてみたい。