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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

他説を否定するなら、それに代る自説を提供すべし

2021-11-16 05:27:43 | コラムと名言

◎他説を否定するなら、それに代る自説を提供すべし

 雑誌『言語』第三巻第五号(一九七二年二月)から、山中襄太の論文「ミッシングリングを求めて――地名と地名用語」を紹介している。本日は、その六回目(最後)。
 本日は、「地形用語」の解説の最終項である「⒂アタミ・アツミ・アサマ・アサムシ・アソ・ナス」、そして、この論文のまとめにあたる部分を紹介する。

 ⒂アタミ・アツミ・アサマ・アサムシ・アソ・ナス 火山・温泉関係の地名にアタミ(熱海―伊豆・福島。阿多弥―壱岐)、アツミ(温海―山形)、アサマ(浅間―長野・群馬・千葉・神奈川・静岡・三重)、アサムシ(浅虫―青森)、アサミ(浅見・朝見―大分)、アサミナイ(浅見内―秋田)、アソ(阿蘇―熊本)、ナス(那須n-asu―栃木)などがある。これらの語根as-, at-と同じ語根がマレー・ポリネシア語にあって「煙・ガス・湯気」を意味するから、関連があるらしく思われる。寺田寅彦氏は、これらとイタリアのシシリー島のEtna火山のet-とも関連あるかともいわれたことがある。
【一行アキ】
 以上15項の地名用語について外国語との類似をあげてみたが、これらはただ似ているというだけで日本語とは関連があるとはいっていないのである。関連があるかも知れぬ。ないかも知れぬ。現在の日本の語源学のレベルでは、あるとかないとかと断言できる人はまずないであろう。すべては後考に待たねばならぬ。前述したように今われわれのできることは後考のための資料をなるべき多く集めることだけである。断定・結論はさきのさきを待たねばならぬ。早急に断定決定してはならぬ。わたしがこれまで発表してきたものもすべてそういう性質のものである。数年前『地名語源辞典』『方言俗語語源辞典』を出版し近く『国語語源辞典』を出版しようと準備中だが、いずれも辞典とは便宜上の名称であって実は『語源語義研究のための内外類似比較語彙集』とでも名づくべき中間報告的なものに過ぎないのである。すなわち決して断定的なことはいわず、ただこうであろうか、ああではなかろうかと、きわめてひかえめに私見を述べて後考を待ち江湖博雅の士の教えを乞うためのものに過ぎないのである。
 アカデミックな学者で語源説を発表された人はまだあまり聞かないが、民間学者ではかなり発表されてきた。それらの説は多くは断定的に述べられているが、うなづかれるのもうなづきがたいのもある。それらに対してアカデミックな学者は黙殺するか笑殺するか罵倒するかのいずれかであって、まともに取り上げる人はないようである。罵倒する人はインチキであるコジツケであるというだけでそれに代る自説をほとんど発表されない。他の説を否定するならばそれに代る自脱を提供すべきではなかろうか。提供する自説なくしてただ他の説の罵倒のしっぱなしでは、素人ならばとにかく、堂々たる学者の態度としては物足らぬ感、片手落の感を禁じ得ない。しかしアカデミックな学者と民間在野の学者とが何も張り合ったり反目したりしなければならぬ理由もないのだから、互に協力して教えたり教えられたりして頂きたいと思う。これまでの日本の言語学界・国語学界の語源排除、語源軽視の因って来る根源をつきとめてその愚を悟りその非を改めて、上智大学教授渡部昇一氏のいわれた通り「百年の時効」も切れたことであるから、誰に遠慮気兼なく、堂々と大手を振って大いに語源論・語系論・言語発生論にまともに取り組んで頂きたいと思う。わたしがこれまでに発表しまたこれからも発表しようとするものはそういう人々に一応の御参考にもなるかも知れないと思われるものに過ぎないのであるからそのおつもりでご覧になって御指導下さるようお願いする次第である。   (やまなかじょうた・語源学)

 明日は話題を、一九四〇年(昭和一五)当時のことに戻す。

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