◎今日、日本公法学会の体質が問われている(針生誠吉)
『ジュリスト』一九七七年五月臨時増刊(通巻六三八号)、「日本国憲法―30年の軌跡と展望」から、針生誠吉氏の「国民主権と天皇制」という論文を紹介している。本日は、その六回目(最後)。
六 日本型土壌の分析
国民主権と天皇制といった権力の本質的問題にメスをふるえば、直ちにそれを生み出す日本社会の土壌分析という課題にぶつかるはずである。今日、一九七六年の日本公法学会の学界展望で比較法の過剰、比較法学会公法部会というべき体質が問題とされ、日本憲法学はどこへ行くかが深刻に問われながら(公法研究三九号二九五頁)、学界は自らの体質の根源的分析を行おうとはしていない。新しい法技術論は日々その「宿弊を洗いきよめて」続々と生れつつある。もとより、西欧諸国の法技術の研究は必要なのである。ただ土壌分析なくして種をまこうとするのは、学問研究者としてあるまじき非科学的態度であろう。また日本の憲法学が、本来その使命とする権力問題に真剣に取り組まぬためにこの欠陥が生れたとすれば、二重の意味で問題がある。
憲法学三〇年の歴史のなかで今日象徴天皇制は、高度経済成長後著しい変貌をとげつつある。今日その研究で重要なのは、政治的アパラートとしてではなく、まさにその病理にひそむ日本型の土壌の分析の問題なのである。
日本社会は前近代、近代、現代といった単純な直線的進化図式ではとらえられない。前近代が逆に近代を支えてきたし、今日も福祉など公共支出への投資の貧困、人権意識の荒廃が逆に超高度の経済成長・現代化を支えている面がある。この複雑巨大な問題をここで説きつくすことはできない。ただ本特集には天皇制自体の項目はないので若干限定してふれておこう。第一には天皇制の根源的土壌分析の問題であり、第二には「大衆天皇制」などともいわれる変貌の問題である。文献だけをあげれば、拙稿「天皇制理論の再編成のために―仮説としての包摂作用―」(仁井田陞博士追悼論文集三巻・日本法とアジア(昭和四五年・勁草書房))、外来文化の日本的受容の実証的研究としては、より基本的に「伝統と近代―天皇制研究の基礎理論―」(成蹊大学政治経済論叢一五巻四号)がある。他にもあるが、私自身、無責任の体系といわれた日本の超国家主義それと法技術の関係などを、根元的に再検討するために、丸山真男氏「現代政治の思想と行動」(未来社)をもう一度ふりかえりたいと考えている。天皇制の現代的変容の問題としては松下圭一氏「大衆天皇制論」(中央公論昭和三四年八月号)も再検討したい文献である。氏は天皇制は絶対天皇制から大衆天皇制へ「転進」したといういい方をしている。敗北ではない 「転進」という戦中用語を用いているのだが、氏は皇室自体が、大衆社会的状況に適合せしめられたとしている。しかし逆に、皇室の背景にひそむ日本型土壌が、大衆社会をのみこんだのかどうかは問題であろう。松下氏は「産業社会・市民社会」についで「独占資本・大衆社会」という、近代・現代二段階論を主張し(「現代政治の条件」)、市民社会の未成立を嘆ずる近代主義者をアナクロニズムとしている。私にはこの松下氏の二段階論も直線的図式の上に立った単眼的図式にみえる。私の「包摂作用」の理論がより複眼的構図をとっていることは、本論からも推察できると思うが、未熟なが ら「伝統と近代」の拙稿でこのことは既に批判している(前出.六九頁)。松下氏の憲法学界批判は最近「松下ショック」(前出、公法研究三八号二九六頁)などといわれているが、既に昭和三〇年代、相当早くから天皇制についても憲法学界に実質的論争をいどんでいたのである。
一般にアジア社会の研究は、アジア諸国が資本主義的成熟の段階を経過しない社会であるために、従来の西欧社会科学の理論では、射程距離は限られている。欧米、日本は、アジア社会主義についていえば、研究の基礎的方法論さえもたない段階にある。私をふくめて、いわば知らないことを知らない段階にある。この面での試論は他の学会で私もいくつか書いている。しかし日本自身、特殊日本的な近代と現代を経過してきているため問題は一層複雑である。アジアのなかでの唯一の超高度の工業社会としての日本は今後この第二の「黒船」に現実に直面することになる。いつまでも西欧的方法にとじこもる鎖国政策ではどうにもならない。アジアのなかの「西欧」(カッコつきの)でもある日本の社会科学、日本の憲法学はどこへ行くのか、そうしたあらたな問題提起が学界の先進的部分から芽生えてきている。
日本国憲法三〇年の回顧と展望を単なる一時的ブームに終らせてはならない。また未来への展望のない回顧は日本国憲法史の葬送の行事ともなる。たしかに、終末論をとらないとしても、一つの時代は終った。しかし、東西両文明の接点に立って、われわれは、あらたな意欲をもやし、日本憲法学の再生発展と日本の社会科学の創造をねばり強く行い、新しい 社会発展の地熱としなければならない。本論は、憲法三〇年の時点における、そうしたささやかな願いのもとに書かれた。「汝自身を知れ」、これは憲法研究、学問研究の基礎的な大原則であると同時に、私自身への策励に他ならない。 (はりう・せいきち)
明日は、話題を変える。
※追記 2020年8月1日から6日にかけて、針生誠吉さんの論文「国民主権と天皇制」の全文を紹介した。その後、2024年にいたって、針生誠吉さんが、2020年11月3日に亡くなられていたことを知った。針生さんがご健在のうちに、深い洞察に富んだ、この論文を紹介することができてよかったと思っている。2024・7・28追記