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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

安丸良夫さんと秩父事件

2016-04-11 03:41:03 | コラムと名言

◎安丸良夫さんと秩父事件

 今月四日、民衆思想史家、宗教思想史家で、一橋大学名誉教授の安丸良夫さんが亡くなられた。一昨年の一二月二〇日、先生の講演を拝聴する機会があった。休憩時間にご挨拶し、ご著書から多大な恩恵をいただいている旨を申し上げた。もちろん、先方は、礫川などという在野史家の名前は、ご存じないようだった。
 安丸良夫さんのご著書のうち、最初に具体的な恩恵を受けたのは、日本思想体系58『民衆運動の思想』(岩波書店、一九七〇)であった。この本は、『アウトローの近代史』(平凡社新書、二〇〇八)の中で、援用させていただいた。
 その部分を引用し、追悼に代えたいと思う(以下、最後まで引用)。

 秩父事件は「自由民権運動の最高形態」だったのか、「百姓一揆の最高形態」だったのかというのは、たしかに重要な争点であろう。しかし、本章で取り上げようとしているのは、その争点ではない。秩父事件の首謀者たちの本質を「博徒」と見るのか、それとも「農民」と見るのかという争点である。
 群馬事件あるいは秩父事件に博徒が関わっていることは、事件当時の報道、裁判資料等によって明らかである。しかし、学問的な立場から最初にその事実を指摘したのは、おそらく『やくざ』(潮流社、一九四九)の著者・田村栄太郎であろう。田村は、同書に収める「国定忠治」という文章の中で、その事実を指摘している。
 やや遅れて、『病理集団の構造』(誠信書房、一九六三)の著者・岩井弘融氏が、群馬事件・秩父事件と博徒との関わりを指摘した。岩井氏は、同書において、「群馬事件に関連して起こった一八八五年〔ママ〕の秩父騒動においても、有信社系の博徒田代栄助等のこれまた農民、博徒、猟夫等が竹槍、刀剣、猟銃類で武装し」、「暴動の戦闘部隊となっている」と述べている。「有信社」とは、一八七九(明治一二)、高崎に設立され、上毛自由党の中心的メンバーを輩出した政治結社で、社長は群馬事件にも関与した士族の宮部襄〈ノボル〉。なお岩井氏は、田代栄助を「有信社系」とした根拠を明らかにしていないが、田村栄太郎『やくざ』を参照したものと思われる。
 その七年後、歴史家の安丸良夫氏は、幕末から明治にかけて、博徒・侠客が一揆を指導していた事実に注目し、次のように述べた。これは、日本思想体系58『民衆運動の思想』(岩波書店、一九七〇)に収められている「民衆運動の思想」という文章の一部である。
《……一揆の頭取が「博徒」「侠客」などと記された事例は、意外に多いように思う。……宝暦十一年の上田藩の一揆の指導者半平は、「侠客を以て郷里に聞」えた人物であったが(『上山藩農民騒動史』)、「侠客」としての誇りが彼の決然とした行動を支えたように思われる。また、大塩の乱の影響をうけた能勢一揆の発端は、米価高騰に苦しむ貧民たちが、「よく口利ける者両三人」を頼んで豪家におしかけ、米を借りようとして断られたことにはじまり、その指導者山田屋大助は、「風呂敷包を背負ひて歩行〈アルキ〉廻るかと思へば、二尺計り〈バカリ〉の長脇指を横たへ、黒縮緬の羽織など着用し、大道一杯踏みはだかりて歩行廻」るような人物であった(「浮世の有さま」)。また、前記伊那郡の一揆も、侠客伊助を中仙道和田宿からよび戻して指導者にしており、慶応二年の羽前国村山地方の世直し一揆では、「博徒」横尾兵蔵が指導者であった。明治初期の一揆では、こうした事例はいっそう多いように思われる。もちろん、一揆の指導者が「博徒」や「侠客」とよばれているとしても、脱階級化した職業的なそれや、とりわけ目明しなどとなって権力の末端を担う者などとはっきり区別しなければならないであろう。彼らは博奕〈バクチ〉をうったり腕力を競ったりもしたとしても、「鴨の騒立〈サワギダチ〉」〔一八三六年に三河加茂郡で起きた百姓一揆を記録した文書〕の辰蔵が堅実な農民であったように、その多くは経験豊かな生活者であったろう。》 〈四一八~四一九ページ〉
 一九七〇年の段階でこのような指摘をおこなうのは、学問的にはかなり大胆なことだったと思われる。安丸氏は、この文章を公表するにあたって、『民衆運動の思想』の協同編集者である庄司吉之助・林基の両氏から、「一揆指導者の一部を博徒や侠客と結びつけるのは、支配階級の偏見に導かれた偏見ではないか」という批判を受けたという(「民衆運動の思想」付記)。
 庄司・林両氏の立場は、基本的に『秩父事件』(一九六八)における井上幸治の立場と同様である。これはあくまでも推測だが、安丸氏は右の文章で、井上によって提起された秩父事件像を意識し、間接的な形でそれに異を唱えたのではないだろうか。

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