礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

B29約110機が南九州を爆撃(四日連続)

2016-04-29 03:37:56 | コラムと名言

◎B29約110機が南九州を爆撃(四日連続)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、四月二九日、三〇日、五月一日の日誌を紹介する(一〇六~一一一ページ)。

 四月二十九日 (日) 晴
 天長節晴天なり。午前七時起床し、東天に向かって遥拝する。雲一つなき日本晴れである。早々に朝食をすませて上番準備をする。本日より二勤なので午前八時に上番する。昨夜十二時に申し送りした田原候補生から、申し受けることとなった。
 天長節式典は、勤務者を除き下番者のみ午前九時に情報室前の広場に集合して皇居遥拝し、天皇陛下の万歳を唱えることになっているそうだ。
 情報室はもちろん自分一人が勤務し、二人の候補生は参列させた。隣りの電気通信室は、かなり多くの勤務者がいた。【中略】
 午後は静かである。今日の偵察機が広東地域に入らなかったために警報は出なかったが、天長節の式典の後、だいぶ外出した組もあったそうだ。
 それにしても、田原は、一勤をやって九時からの式典に出て、今日は三勤なので眠る時間が六時間くらいしかない。そこで早く今朝気づけば、交替時間を二時間ぐらい遅らせてやるんだがと思っていたら、定刻午後四時に上番して来た。事情を聞いてみたが、まったく問題なしというので下番する。
 下番後は田中と共に、二人で円匙【えんぴ】を持って建物の溝を建物の周囲だけだったものを、新たに洗濯する場所まで溝を延長する。今度は雨が降っても、床下がいつも川の状態からまぬがれるだろう。その後、二人で洗濯、入浴、夕食と時間的に気持よく進む。午後八時にはもう真っ暗となる。

 四月三十日 (月) 雨
 午前八時、上番する。下番者田中候補生の報告によると、「勤務上の問題はありません。情報でありますが、前任者田原候補生の申し送りによりますと、昨晩午後十時、ニューディリー放送では昨日(四月二十九日)、米軍B29約百十機が南九州の航空基地を中心に空襲し爆撃したと言っております」と。
 驚いた。四日連続で百機、いな百十機のB29の爆撃。乃木希典〈マレスケ〉大将が作った漢詩の中に爾霊山〈ニレイザン〉という絶句がある。その中に、「鉄血山を覆ひて山形改まる」というのがあるが、この四日間の敵弾が南九州を覆って山彩改まるということになってはいないか。格納庫、滑走路などの被害は相当なもので大変だろう。それにも増して陸海の空軍機は大丈夫だろうか。心配される。
 こちらは今日も雨。暦通りの四月二十日の穀雨〈コクウ〉のころから雨の日が多いように思われる。
 午前十時半ごろ、上山少尉が入って来られた。「変わったことはないか?」と質問されたので、「とくにありません」と答える。自分は逆に沖縄戦線のことが気になっていたので、
「上山少尉殿、沖縄戦線のことが非常に気になります。その後の経過について教えて下さい」というと、
「貴様の知っての通り、四月一日早朝に沖縄本島の中西部に上陸。即日、北・中両飛行場を占領。四月四日には北谷〈チャタン〉、宜野湾の線まで南下する。また仲泊から石川の線まで北進し、沖縄本島を完全に南北に二分する。一方、四月十六日には伊江島に上陸し、日ならずして占領された。わが軍の第三十二軍司令部が首里にあるので、首里を目標に西海岸線沿い、中央山岳線、東海岸線沿いと三つに分げて南下しているようだが、現在はわが軍の抵抗にあって、南下は当初のように進まず、西海岸の牧港〈マキミナト〉から東海岸の南浜〈ミナミハマ〉に通ずる線が敵味方の境界線である。これが現状だ」
「どうもありがとうございました」と、自分は礼を言った。上山少尉は非常に憂鬱な顔をしておられた。
 本当に北のアッツ島、南のガダルカナル島の戦で、わが軍が敗れて以来、その後ずっと劣勢となっているが、ここ沖縄戦で頑張ってくれ。せめて夏まで、いや秋口まで頑張って欲しい。
 正午のNHKニュースでは、政府は原則として官庁の休日全廃を決定すると発表した。無理もない。沖縄県では現に敵と相対し〈アイタイシ〉、内地も毎日空爆を受けている時代だ。当然だ。こちらは今日も一日中雨のために静かだ。

 五月一日 (火) 雨後曇
 朝まだ明けぬうちから、雨の音で起こされる。今朝も昨日に引きつづいての雨。
 午前八時、勤務に上番する。下番者田中候補生の申し送りによると、「昨日午後十時、前任者からの申し送りでありますが、ニューディリー放送があり、米軍は昨日(四月三十日)、B29、P51戦爆連合約二百機で立川、平塚、厚木を空襲し、爆撃銃撃を行なったと放送があり、申し送られております」と。こっちの雨を内地に送りたいような気がする。それにしても米軍は相変わらずの空襲で、内地は大変だろう。
 雨で静かな情報室に突然、午前十時三十分すぎ、ニューディリー放送が流れて来た。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ぜられるべきの情報によりますと、昨四月三十日、ヒトラーはベルリンの首相官邸地下壕の中で自殺を致しました。繰り返し放送致します。…………。――
 数日前、ムッソリーニが処刑されたと聞いたが、今度はヒトラーか。英雄の末路、ともにあわれ。【中略】
 午後一時五十八分ベル。こちら浅間山、浅間山コンドル八羽は二班に分かれ、一班は白雲飛行場を、一班は天河飛行場を空爆中――「了解」浅間山とはもちろん白雲山頂の広東監視所で、壕の中の情報室に丁寧に教えてくれる。
 その途端、ドスーンという大音響と共に壕の天井から砂がばらばら落ちてくる。電灯線は大地震のように左右に動いている。自分は、てっきりこの壕の真上に落ちたのかと思ったら、壕の出口のわれわれの内務班の南側約三十メートルの地点に落ちたと、下番中の田中が報告に来てくれた。直径十メートルくらいの穴ができ、そのすぐ南側の建物(内務班)は丸焼けになっにそうだ。
 白雲飛行場を狙ったのが、それて落ちたのか。あるいは林立するアンテナを見て臭いと思って落としたのがはずれたか。あるいは偶然なのか。
 八機のうちの四機のB29で、これだけ、バタバタしているのだから、昨日の二百機の立川、平塚、厚木はさぞかし大変だろう。【中略】
 午後四時、下番した。下番者集合の声がかかり、約三十名が集合した。高橋少尉の指揮下に入り、焼けた小屋(内務班)の柱の一部などを掘れた穴に埋め、円匙で土を上にかけて元通り平らにする作業にかかる。焼けた小屋は予備の内務班で、中味は何もなく、実質的には損害はなかったようだ。約四十分ぐらいで作業はすべて終わった。久しぶりに汗をかいた。入浴後の夕食はうまかった。

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