礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

安丸良夫さんと「近代化日本の暗箱」

2016-04-12 04:52:40 | コラムと名言

◎安丸良夫さんと「近代化日本の暗箱」

 昨日の続きである。二〇一四年の一二月二〇日、安丸良夫先生にご挨拶申し上げたことは、昨日、書いた通りである。私は名刺というものを持っていないので、名刺代りに、『日本保守思想のアポリア』(批評社、二〇一四)を謹呈した。その際、「あとがき」で、先生のことに触れていますと申し上げた。
 この本では、安丸先生のお名前は、参考文献と「あとがき」にしか出てこない。しかし、こうした本を書こうと思った時点で、すでに安丸先生のお仕事、特に、「近代化日本の暗箱」という発想に、深く影響されされていたのであった。そのことは、本書を謹呈するとき、手短にではあったが、先生に申し上げた。なお、「近代化日本の暗箱〈アンバコ〉」というのは、安丸先生のエッセイのタイトルであるが、これは、安丸史学の発想のひとつの側面をあらわす言葉であると、かねて私は捉えている。
 いずれにせよ、本日は(数年前の拙文の引用で芸がないが)、その「あとがき」を紹介させていただくことにしよう。

 安丸良夫氏の『日本ナショナリズムの前夜』(一九七七)の最後に、「近代化日本の暗箱」と題した短いエッセイが収録されている。これまで何度も読んだが、目を通すたびに新たに学ぶものが見出せる不思議な一文である。
 その冒頭に、柳田國男の父・松岡約斎が、仏具経巻と代々の位牌を川に流した話が紹介されている。神道家であった約斎が、廃仏毀釈運動の影響を受け、祖先の供養を神式にあらためたのだという。このエピソードは、柳田の回想記『ささやかなる昔』に依拠しているようだが、ディテイルが多少異なっているので、あるいは他に典拠があるのかもしれない。
 ここで紹介したいのは、明治初年に(柳田國男が生まれる以前である)、兵庫県辻川の松岡家で起きた事件そのものではない。この事件についての安丸氏のコメントである。
「廃仏毀釈と神道国教化は、それが復古の名によってなされたにもかかわらず、じつは近世の神道家たちのつくりあげたあらたな方式を強制して、民衆の伝統的信仰生活を破壊するものだったのである」と、安丸氏は言う。氏が「廃仏毀釈と神道国教化」について述べたこの言葉は、そのまま「明治維新」という変革にあてはまるのではないだろうか。――明治維新は、それが復古の名によってなされたにもかかわらず、じつは藩閥政治家たちのつくりあげたあらたな近代化=欧化を強制して、民衆の伝統的生活を破壊するものだったのである。――
 明治中期に整備された国制(政治行政組織)は、そのほとんどが、欧米をモデルとするものであった。帝国憲法も、ドイツ人の法律顧問ロェスレルの草案をたたき台にして作られたものであった。さすがに、宗教政策においては、「日本古来の神道」を基本とすることになったが、その「日本古来の神道」なるものの実態は、民衆の伝統的信仰生活を破壊する形で導入された「国教としての神道」だったのである。
 松岡約斎が、祖先から受け継いだ仏具を川に流してしまったように、明治維新という革命は、日本人が祖先から受け継いだありとあらゆるものを破壊し、捨て去ってしまった。日本人が「保守」すべき伝統は、明らかにここで、途切れているのである。
 誰よりもよくこのことを知っていたのは、保守思想家と呼ばれる人々であったろう。だからこそ彼らは、「國體」という概念を創出したのである。だからこそ彼らは、明治維新によっても、「國體」が変更されることはなかった、と強弁したのである。
 ここに私は、日本保守思想の最大のアポリアを見出すのである。
 最後にシュタインの言葉をひとつ引用しておこう。「日本は大いに望みある国なりといえども、この望みあるの地位を全くせんが為には、ひとつの難題あり。すなわち、古来の文化中、いずれの元素を保存していずれを捨つべきやというこれなり」(『須多因氏講義筆記』四九一ページ)。

 以上が、「あとがき」の全文である。
 なお、文中に、「柳田の回想記『ささやかなる昔』に依拠しているようだが」云々とあるが、ここは、「柳田の『先祖の話』に依拠している」と訂正しなければならない。このことは、本書の刊行後に、柳田國男研究家の尾崎光弘さんからご教示をいただいた。

 

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