礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「総理はどちらだ」(米内光政が木戸幸一に聞く)

2016-02-19 02:35:25 | コラムと名言

◎「総理はどちらだ」(米内光政が木戸幸一に聞く)

 本日は、二月一六日のコラム「1945年2月16日、帝都にグラマン来襲」の続き。
 中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)から、七一年前(一九四五年)の二月一九日における著者(当時・国務相秘書官)の「日誌」を紹介してみたい。この日の「日誌」は、かなり長文だが、貴重な情報が含まれているので、全文を紹介したい(一五六~一六一ページ)。

 二月十九日
 今回の地方行政協議会では前例を破つて陸軍参謀本部宮崎〔周一〕第一部長が戦況説明を行つた。その要旨は次のやうなものである。
 一、レエテ島に対して我陸軍は殆ど全ての飛行機を注入し、海軍もまた同様、殆んど全ての飛行機をそれに向けた。然し、爾後、飛行機の増援が続かず、そのため戦勢は我に不利に傾き、米軍はさらに、ミンドロ〔Mindoro〕、ついでルソンと作戦を移行し今日に至つてゐるわけである。我方のレエテに対する兵力増強はルソン南方からこれを行つたのである。
 我が比島〔フィリピン〕作戦の基本的な考へ方は、ルソンにおける米軍の情報網が我方の防備の進捗を遂一、捉へてゐたと思はれるだけに、既に知るところとなつてゐたと思ふ。これに反し、我方は相手の情況を知ることが極めて困難であつた。
 マニラの防備は年末から開始されてゐる。ミンドロに進攻して以来、我方は実はさきのルソン作戦の基本方針を改めたのである。この時には、米軍の上陸作戦はルソン南部でなく、リンガエン方面との判断を下したのである。そこで、ルソンを三大別し、リンガエン山地(パギオ地区)とクラーク・フイールドおよびマニラ東側地区とにこれを分ち、これらに主力を配置した。リンガエン作戦は少くも一、二ケ月以前より準備されたはずで、右のやうな我軍の配置換へは却て米軍の諜報をくらますことになつたと思ふ。
 一、我方のルソン作戦の根幹は要するに出来るだけ米軍をルソンに引きつけ、これに損耗を与へつつ、内地侵攻の時期を後らすといふことである。マニラ市では徹底的に戦ふがマニラ東側地区の我軍は機を見てその背後を衝くことになつてゐる。今日すでにその作戦行動は始まつてゐる。
 一、最近の戦況は御存じの通りである。機動部隊による硫黄鳥および帝都周辺飛行場への攻撃が開始されてゐる。本朝未明〔一九日未明〕以来、硫黄鳥に対し船舶五十隻上陸用舟艇二百隻をもつて上陸を開始した。硫黄島の我防備は、これまでにない程堅固な陣地で固められてゐる。然し今後の戦局の見透しとしては、航空機を基幹とする日本本土の決戦といふことになるのが当然予想される。
 一、陸軍としては、この戦局に対し、大陸および南方に大軍を擁してゐるが、内地の軍隊はこれから整備しなければならない。師団数にしてみると、百ケ師以上になるがその三分の二が外地にあることになる。
 戦局は本土決戦を要請してゐる。陸軍はガダルカナルの転進以来、存分の陸戦を行ふ機会がなかつた。若し本土に米軍を邀へ撃つ〈ムカエウツ〉こととなれぼ、これこそ陸軍が待望した陸戦展開の好機である。
 一、それで、本土に上陸作戦を敢行した場合、我方はいかなる場合にもまたいかなる地点でも、米軍に三倍する兵力を直ちに集中出来る機動力を持つやうにする。これが本土作戦の有利なる理由である。まづ海辺において叩きのめすが、これは大体一週間内と見てゐる。若し橋頭堡を設定し、攻勢を取つて来れば三ケ月は戦はねばならない。この間、兵器、弾薬、食糧の自給が出来るやうにする。何れにしても上陸軍を断じて殲滅する。さうすれば、米軍は再び本土上陸作戦を敢行し得なくなることを確信してゐる。我方が苦しい時は相手も苦しいのである。ルソンの上陸作戦に五、六百万トンの船腹〈センプク〉を要したが、日本本土上陸作戦にはこれによりさらに厖大な物量が絶対に必要となる。米軍が日本本土上陸に蹉跌する時、その立ち直りはもはや不可能である。
【一行アキ】
 今度の戦争開始以来、最大の日本の弱点はあらゆる意味で本土にあつた。今日でもその状況は一向に改められてゐない。而かも戦争の進展如何では本土決戦は不可避である。戦局の客観的情勢は宮崎第一部長が明かにした通りである。ただ、本土決戦が最高の戦争指導方針として確立されたものならば、それに即応する大陸および南方の軍事行動が躊躇なく併行されねばならない。単に一例をとつても、ルソン作戦都延引作戦であるといふことだけでは物足りない。
 得意の陸戦の機会が殆んなかつたといはれる南方に何故厖大な兵力を空費するのであらうか。この点をもつと精しく知りたい。
 レエテ戦局の不利は航空機の不足によると断ぜられた。国力に即応する作戦が肝要なことを自ら物語つてゐる。本土決戦で危惧されるものは戦車の不足である。戦車と飛行機のない陸戦は竹槍的ゲリラ戦である。ゲリラ戦では所期の如き殲滅戦は到底覚束無い〈オボツカナイ〉。
 宮崎第一部長の本土決戦論は、日本に艦船なきことを前提としたもので、連合艦隊今やなしと嘆ぜざるを得なかつた。
【一行アキ】
 B29約百機が東京を空襲した。その編隊は今日では機数も増加し、目撃出来る程度でもガッチリした編隊ぶりである。十一機の一編隊が、高角砲の弾幕を縫つて悠々帝都上空を真一文字に南進した。
 夜、田中〔武雄〕前書記官長を小磯〔国昭〕総理が官邸日本間に招じた。その席上での総理の話。
 朝鮮総督府の職員に別れの挨拶をした時の気持ちは又すぐここに帰へつて来るんだといふ気がしてならなかつた。僕は、〔新〕内閣は流産するなと思つてゐた。東京に着いて、その足で参内したところ、米内〔光政〕君が居るんだね。おい、君、どうしたんだと言つたら、同時に参内だといふんだ。僕は右に立てといはれて、二人で並んで拝謁した。陛下のお言葉は「協力して内閣を組織せよ。ソ連を刺戟する如きことは避けよ」といふやうな意味であつた。そこで僕は「戦局は真に重大であります。この時局をのり切るには国務と統帥の真の吻合が必要であると存じます。微力を尽して、聖慮を安んじ奉り度いと思ひます」との旨を奉答して、御前を退下した。米内君は一言もいはなかつた。それから木戸〔幸一〕に会ひ、米内君が総理はどちらだと聞いた。僕が総理といふことなので、米内君は海軍大臣だなと思つた。それ以外には考へられなかつた。国務と統帥の吻合〈フンゴウ〉といふことと、もう一つ米内君の現役復帰といふ問題に逢着〈ホウチャク〉したわけだ。
 宮中を退下して直ぐ訪ねたのば東条〔英機〕である。東条をこの総理官邸に訪問した。どうしたんだい、退陣の経緯を話して呉れと切り出したら、東条も快く話を始めた。国務と統帥の調整に道があるかと聞いたら、ある、といふんだね。今の大本営政府連絡会議を廃止して、それに代はるものを作ればよいといふんだね。それは大本営条例の改正で出来るといふわけだ。ただ東条は陸相として残りたいらしいので、君、それは思ひ止まつた方が君のためになると忠告しておいた。東条に会つてから杉山〔元〕のところに行つた。野村直邦(海相)は気の毒だったが、米内君の現役復帰、海相就任は簡単に出来た……。
【一行アキ】
 組閣当時の話が、小磯総理の口から、いかにも思ふ出話らしく聞かれるやうになつた。同じ話でも組閣直後であつたらもつと張りのある味がしたことだらう。
【一行アキ】
 総理は何んだか終始考へこんでゐるやうに思へて仕方がなかつた。大阪に出掛けた当時の元気と迫力がすでにない。

 小磯内閣の成立の前、小磯国昭は米内光政と二人で天皇に拝謁したが、そのあと、木戸幸一内大臣に会った際に、米内が木戸に対し、「総理はどちらだと聞いた」と聞いた話はおもしろかった。
 文中に、「今度の戦争開始以来、最大の日本の弱点はあらゆる意味で本土にあつた。今日でもその状況は一向に改められてゐない」とある。指摘としては鋭いが、中村正吾が、本当に、この日、「日誌」に、そう書き込んだのかについては、若干の疑問を持つ。

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