礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

神仏を拝むのも、人に功徳を施すのも一つ事

2016-02-28 06:06:56 | コラムと名言

◎神仏を拝むのも、人に功徳を施すのも一つ事

 まず、昨日の補足から。昨日は、千葉徳爾の『近世の山間村落』(一九八一、名著出版)から、「両白山地住民の袖乞い慣行」という論文の第四節を紹介した。
 それによれば、小原乞食の場合、「物乞い」に出る動機は、「御先祖様には毎日白飯を進ぜなくてはならない」というものであった。これに対し、牛首乞食の場合は、純粋に、「自己の食物を得るため」に物乞いに出たのだという。ただしこれは、あくまでも、小原乞食の関係者による説明である。
 牛首乞食が、物乞いに出た動機については、牛首乞食の関係者に確認する必要があるだろう。小原地区の関係者から見れば、牛首乞食は、あたかも「自己の食物を得るため」に物乞いに出たかのように思えたかもしれない。しかしこれは、偏見だったかもしれない。牛首乞食にしてみれば、物乞いに出るにあたり、牛首地区なりのイデオロギー(共同幻想)、あるいは牛首地区における「関係性」に促されていた可能性が高い、と私は捉えている。
 ところで、千葉徳爾は、右論文の第三節「民俗としての袖乞習俗」の中で、柳田國男の「乞食は人によいことをさせようとする行為だ」という言葉を引いている(出典は明記されていない)。
 ここで柳田が言わんとしたことは、こういうことだろう。――乞食は、人から金品を受け取るばかりで、「何も与えていない」かに見えるが、実はそうではない。乞食は、その人に、よいこと(施し)をする機会を「与えている」。すなわち、「よいことをする機会」を与えるということが、施しをおこなってくれる人に対して、乞食の側からおこなう反対給付なのである。――
 この論理は、布施とか喜捨とかいう仏教用語になじんでいる日本人にしてみれば、そう難しいものではないだろう。
 その後、私は、宮本常一の『村里を行く』(一九四三、三国書房)という本を読んだ。そこには、次のような話があった。宮本は、旅先で、「金坂さん」という人の歓待を受ける。その席に、「金坂氏の母親」が出てきて、挨拶する。宮本が厚く謝礼を述べると、彼女はこう言った。
「私は神仏を拝むのも、人に功徳をほどこすのも一つ事だと思いまして。」
 旅先で、歓待される宮本は、歓待する人々に何も与えていないかに見えるが、実はそうではない。「人に功徳をほどこす」機会を与えているのである。「物乞に近いような旅人」を自称していた(前掲書)宮本であるからして、おそらく、それに気づいていたことであろう。

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コメント (1)
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