◎不復来=もう来ない、復不来=またも来なかった
昨日の続きである。塚本哲三『漢文初歩学び方考へ方と解き方講義』(考へ方研究社、一九二五)から、漢文を読む際に陥りがちな過ちについて注意しているところを紹介している。
塚本哲三は、同書で、菊池純が頼山陽について書いた文章を引いたあと、「考へ方」のところで、次のようなことを述べている。
不復は二度ト何々シナイ、モウ何々シナイである。
・不復来=不 復来(マタト来ハ シナイ)
・復不来=復 不 来(マタモ コ ナイ=前ニモ来ナカツタガ来ナイ事ガ二度ニナツタ)
と考へ分けてしつかりアタマに入れておく。
・不重来=重ネテ(二度ト)来ハシナイ
・重不来=来ナイ事ガ重ナツタ
などの区別をその通りに考へればよく分る。この文〔菊池純の文章〕に於て
・不復著朝服-見貴人
と考へると、復ビ〈ふたたび〉朝服ヲツケナイデ貴人ニ見エヨウ〈まみえよう〉となる。それでは何の事か分らぬから
・不復著朝服見貴人〔今後二度と出仕の服を身につけて高貴の人にお目にかゝることはしない=もう決して官途にはつかぬ〕
と解決する。
ここで塚本哲三が述べていることは、あくまでも、漢文を「読む」にあたって陥りがちな過ちについての注意事項である。こうした注意事項は、漢文を「書く」にあたっても、十分に役立つはずのものであろう。
ただ、旧幕時代は知らず、明治以降の学校教育においては、漢文を「書く」ことを目指す指導、「漢作文」の指導は、積極的には、おこなわれていなかったのではないかと推測する。少なくとも、この『漢文初歩学び方考へ方と解き方講義』には、「漢作文」の視点に立ったような記述は、ほとんど見られない。
いま、「ほとんど見られない」と言って、「全く見られない」としなかったのは、同書の最後の方に、「復文」の練習問題が載っているからである。「復文」というのは、書き下した漢文を原文に戻すことをいう。これは、一種の漢作文であるとも言える。このあと、「復文」の練習問題を、そのまま紹介してもよいのだが、同じような話題が続くのもどうかと思うので、とりあえず明日は、話題を変える。