ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

久々に再会した雑草の花 その名は「マンテマ」

2020-05-21 19:29:07 | 草木花
先日、歩道を歩いていたら、道端に小さな雑草の花を見つけた。



花をみると、1cmにも満たないだろう。
5枚の花びらで、臙脂に近い濃い赤。白い縁取りがある。



この濃い赤の小さい花には見覚えがあった。
子どものころ、家の近くにたくさん咲いていた雑草だ。
50,60年前のあの頃は、赤い小さな花は摘んではいけない、と教えられた。
その理由は、「火事になるから」とのことだった。
誰が、なぜそんなことを教えたのかは全然わからないし、覚えていない。
ただ、子どもの間では、それが常識のようになっていた。



だから、この花のことは、私らは当時「火事花」と呼んでいた。
花に興味を持つようになってから、炎の形にも見えるヒガンバナや、ピンクや赤の美しいタニウツギが、「火事花」と呼ばれている、ということを知った。
でも、私にとっての「火事花」は、この濃い赤の雑草の花だったのだ。



久しぶりに見かけて、正式名称を知りたくなった。
そして、調べてみると、やっと名前が分かった。
「マンテマ」であった。

マンテマ?
以前その名を聞いたことがあるぞ…???
…思い出した!
チシママンテマだ。



2011年に、北海道・利尻島で見かけたチシママンテマ。
白い花だが、もう二回りくらい大きな花だった。

しかし、花の下のがくの部分がふくらんでいるところや、筋が入っているところ、毛が生えているところなどは、共通している。
だから、マンテマに北の土地「チシマ」が付いた名になっているのだろう。

花の色が赤いこちらが、マンテマなのだな、とわかった。

ところで、今回見つけた道端の近くには、色の薄いマンテマも見つけた。



こういう花の色のマンテマもあるのだと知った。

50年以上前によく見ていた雑草との再会。
おかげで、名前を知ることもできた。
とてもよい再会だった。
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アッツザクラを見ながら…

2020-05-20 21:39:33 | 草木花
アッツザクラ。
植えておいた小さな鉢に咲くのが、とてもきれい。
濃いピンクというか、赤紫の花びらが、とてもあったかい感じがする。



毎年、春に咲く。
咲いているのを見るとき、いつも、かつて同じ職場で働いていた同年代のK氏を思い出す。

山野草を育てるのが上手だったK氏は、家で育てていた鉢植えを、よく職場に持ってきてくれたものだった。
クリスマスローズやギボウシ、イワウチワとかサギソウ、いろいろなものを持ってきて、職場の玄関を飾ってくれたものだった。
あるとき、アッツザクラを持ってきて飾ってくれた。
それを見て、「きれいだね」と声を掛けたら、
「まだ、家にいくつかあるのですよ。ぜひ、もらってください。」
と言った。
翌日すぐに、彼はかわいい一鉢のアッツザクラを持ってきたので、ありがたくもらっておいたのだった。
ところが、そのあとの世話がうまくできず、せっかくのそのアッツザクラを枯らしてしまった私であった。

2年前の春、その彼が亡くなった。
夏の盆の時期に、その家を訪ねると、外にいろいろな植物の鉢植えがあった。
ただ、愛を込めて育ててくれる主を失った鉢の植物たちは、元気を失ったり枯れたりしていた。
奥さんが、「やはり主人じゃないとうまく育てられないのですよね。」という言葉に続けて、
「よければ、どれでもいいのでもらって行ってくれませんか。」と言った。
彼からもらったアッツザクラを枯らしてしまった経験がある私は、申し訳ないと何度も繰り返しながら固辞したのであった。


…きれいに咲くアッツザクラを見ながら、K氏との思い出をいろいろと思い浮かべる私である。


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花を咲かせ、生き延びようとするレンギョウ

2020-05-19 18:03:46 | 草木花
3年前、「突然枯れてしまった庭木たち」ということについてここで書いたことがあった。
ここ数年、わが家の庭木が順々に次々と枯れていくのである。
それが、相変わらず続いている。

隣家に近いところから、ライラック、ザクロ、ツバキ、モミジ、クチナシとあったのだが、みな順番に枯れてしまった。
さらに、クチナシの隣にあったユキヤナギも枯れてしまった。
そして、この春からは、ユキヤナギの隣のレンギョウもおかしくなった。



ほとんどの枝が、枯れたようになって芽もつぼみも開かなくなった。
かろうしていくつかの枝でつぼみをつけたものの、そこでストップ。



なんとか少しでも花を咲かせてくれないか、と思いながら見守ってきた。
しかし、黄色いつぼみがついたまま固くなっていて、いっこうに開かない。
これは、きっと、間違いなく枯れてしまうということ。
残念だ。

春のレンギョウの黄色い花は、庭を明るくする。
花が咲いた後の緑もきれいだ。
それなのに、枯れてしまうなんて。
せめて、つぼみや芽をつけたままになっている枝を生かすことはできないものだろうか。
そう考えて、一部は生きていると思われる細い枝を何本か切って、土にさしてみた。
すると、さし木された枝は、生きようとした。



2週間近くたって、つぼみはふくらみ、見事に花をつけた。



この辺でレンギョウが咲いたのは、もう6週間も前のことである。
近所のレンギョウは、今は青々とした葉が生い茂っている。
それが、わが家では、さし木されたレンギョウががんばって今週ようやく開花である。
枯れずに何とか咲こうとするレンギョウ。
芽をふくらませ、葉を広げようとするレンギョウ。



がんばるなあ。
けなげだなあ。
たくましいなあ。
COVID-19 の感染拡大の騒ぎで、困っている心情の自分を勇気づけてくれる。

なんとか、このままさし木が成功し、根を出してほしいと思う。
生き延びて、来年以降も花を咲かせてほしいと思うのだ。
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9日ぶりは、新緑RUN

2020-05-18 20:15:02 | RUN
ここのところ、自身と家族の体調がやや不良だった。
自分でも少しのどが痛かった日もあったのだ。
時勢が時勢だけに、熱がないか、だるさがないか、などが気になったのだが、ない!
寒暖の差が激しい日があったので、少し風邪気味になったようだった。
悪化を恐れて、自制の選択。

走らないということを決めると、なぜかホッとしてしまうのは、最近横着者になってきている表れだな。
それなのに、なんだか罪悪感のような感覚に陥ってしまうのは、不思議。
やっぱり、苦しいことから逃げがちになるのはいけないと思ってしまうのかもしれないな。

それでも、もう1週間以上、9日間も走りに出ていないことを考えていたら、やっぱり走りに出なくちゃ、という思いが大きくなってきた。
今は走ることが好きなくせに、うだうだしていたって、気は晴れない。
長い距離やきついトレーニング走などはしなくたっていいじゃないか。
だって、走るも走らないも、決めるのは全部自分じゃないか。
走り出すと、毎回走ったことを後悔したことは、一度もないのだから。
最初の一歩を踏み出すことが大事なのだ。

そんなことを思いながら、走り仕様に着替えを済ませ、走りの一歩を踏み出した。

すると、出かけた先は、すっかり新緑。



久々に走りに出たら、景色が変わっていた。
「目に青葉…」は、確かに5月の風景。



木々が新しい若葉で生き生きとして見える。
その色合いが、様々な緑が重なって、見ていて楽しい。
緑に囲まれて走ると、空気が新鮮な気がする。
しかも、新緑の葉が透けて見えるのは、心に清々しさが広がる感じがする。
走ってみて、よかったよ。

やっぱりいいなあ。
自然の移り変わりを感じながら走るのは。
こんなにいい思いができるのに、理由はいろいろあれど、走らないでいた自分を後悔するのだった。

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LP「父と娘(ちちとこ)」(ダークダックス)

2020-05-17 20:46:22 | うた
内容的に、昨日の続き。

「二十二歳まで」を聴きたいために、LPレコードで中古盤の購入を決めたのは、ダークダックスのLP「父と娘」が、1976年に日本作詞大賞LP賞を受賞していたからだ。



そのLPは、10曲から成っている。
A-1:幼きものの手をひいて(阿久悠作詞・筒美京平作曲)
A-2:不安(林春生作詞・川口真作曲)
A-3:娘の告白(林春生作詞・菅原進作曲)
A-4:あんな男に惚れちまって(阿久悠作詞・森田公一作曲)
A-5:結婚前夜(林春生作詞・菅原進作曲・若草恵編曲)
B-1:男とは(林春生作詞・川口真作曲)
B-2:二十二歳まで(阿久悠作詞・森田公一作曲)
B-3:娘よ(阿久悠作詞・森田公一作曲)
B-4:となりの赤ちゃん(石田柳子作詞・菅原進作曲)-前田憲男
B-5:八時二十二分(阿久悠作詞・前田憲男作曲)
1曲を除いて、前田憲男の編曲である。

アルバムが発表された1976年は、ダークダックスが結成25周年の節目ということで、「25年×4人で百年祭」などと、言いながら活動していたことをぼんやり覚えている。
また、その年、長年の活動の功績を称えて、第18回日本レコード大賞特別賞が贈られている。

昨日書いたシングル盤「二十二歳まで」のB面は、「娘よ」で、両面阿久悠・森田公一のコンビによる曲になっていた。

アルバムテーマ「父と娘」は、娘の結婚を中心に、文字通り父親が自分の娘に寄せる思いを歌い上げることからきている。
最初の曲、「幼きものの手をひいて」は、それ以前に、ムッシュこと、かまやつひろしが歌って発表されている。
そして、「不安」「娘の告白」「結婚前夜」は、娘の言動に揺れる父親の心情が描かれている。
「男とは」は、結婚前と結婚後時間をたつと変わる男の姿を描いている。
そして、「二十二歳まで」で結婚式の父の姿を、「娘よ」で結婚式が終わった夜に目の前にいない娘に対してつぶやく父の心情を描いている。
最後の「八時二十二分」では、その娘が出産する、つまり父が「爺」になるときの歌である。
「おじいちゃん とよばれるのは 少し困る  ビッグパパとよばせることにしようか」
などと、結局孫の誕生に、鼻の下を長くしている顔が想像できる歌である。

全編通して、父の娘に対する愛情が歌われている。
しかし、ただずっと父の愛情だけが歌われるのではなく、「あんな男に惚れちまって」や「となりの赤ちゃん」などは、ユーモラスな内容があり、クスッと笑える楽しさがある。
作詞は、阿久悠と、あの「サザエさん」のオープニングテーマも作った林春生で9曲。
よく作られている。
なるほど、日本作詩大賞を受賞するだけのアルバムだけあるなあ、と思った。

19歳の時に聴いて、気になった曲を、63歳になって中古レコードで買う。
こんなことが簡単にできる世の中になったのだな、と改めて思う。
だけど、40数年たっても、父の娘に対する思いは、大きな変化はないものだ。
アルバムの各曲を聴いて、そのことを確信したのであった。
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「二十二歳まで」(ダークダックス)

2020-05-16 22:02:21 | うた


ゴールデンウイークの新聞休刊日前日、ダークダックスのCD集の全面広告が載っていた。
ダークダックスは、私が生まれる前年の1956年7月、ロシア歌謡の「ともしび」でデビューした4人組のコーラスグループであった。
メンバー全員が慶應義塾大学経済学部出身であった。
その翌年1958年(昭和33年)から、1971年(昭和46年)まで、紅白歌合戦に14年連続で出場して歌っている。

懐かしいなあ、と思いながらも、私は、CD集を買うほどのファンではない。
しかし、第1集の曲目を見ていたら、あ、もう一度聴いてみたいなあと思う曲を見つけた。



それは、「二十二歳まで」という曲である。



ダークダックスが紅白歌合戦にもう一度出場したのは、1976年(昭和51年)であった。
そのとき歌った曲が、「二十二歳まで」だった。
もう44年も前の歌である。
この歌を、もう一度落ち着いて聴いてみたいと思ったのだ。
ところが、ベスト物などのCDにはなかなか収録されていない。
デジタル化されたものは、見つけられなかった。

それでも、新聞広告のCD集を購入しなくても、聴きたいと思った。
CDでダメなら、レコードにしよう、と思った。
幸い今の時代は、「ヤフオク」などを調べてみると、必ず見つかる。
「二十二歳まで」は、シングルレコードだけでなく、「父と娘」というLPにも収録されていることが分かった。
適度によさそうな条件のものを見つけ、購入し、やがて送られてきた。



早速聴いてみた。
そうそう、こんな詩、こんな曲だった、と思い出した。

娘の結婚式にあたり、式のことは覚えていないが、娘が生まれてから結婚するまでのことを思い出す父の歌だった。


0歳 女の子だというので 少々がっかりした
2歳 病気がちで 苦労をさせられた
4歳 幼稚園で一番美人だと 鼻を高くし
6歳 桜の下の 入学式の写真
8歳 ママとどうして結婚したのだと聞き
10歳 そろそろ風呂に入れるのがはばかられ
12歳 男の子の手紙が みょうに増えてきて
14歳 男女共学が 危険に思われる
16歳 ミス高校に選ばれて 苦労が増え
18歳 優しさあふれた女学生
20歳 結婚はしませんと 口ぐせのように言い
22歳 コロリと裏切って結婚してしまう


…こんなふうに、2年ごとに父としての娘の思い出が歌われている。

そして、始まりと終わりには、次の思いが繰り返されてる。

結婚式はいつ始まって いつ終わったのか
私は何も おぼえていないよ
思い出だけが 走馬灯のように駆けめぐり
私は ずっと 目を閉じていた


レコードを手に入れて歌詞を見て、詩を書いたのは阿久悠、曲を作ったのが森田公一だったと、初めて分かった。
なんと、あの「青春時代」を作ったコンビではないか!!
やはりいい歌を作るなあと思った。

詩を書いた阿久悠には娘はいなかったらしい。
それでも、父の思いで詩を書けるのだから、さすがだ。
彼にとっては、「あまり売れなかったが、なぜか愛しい歌」の一つだったらしい。
本人が、そのことを書いているものが、見つかった。

この歌を初めて聴いたときは、まだ私も19歳。
そのころには、将来、自分も娘の父になるとは思わなかった。
残念ながら(?)、自分の娘はこの歌のように結婚してしまうことはないまま、今に至っているのだが…。

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新緑に囲まれに行く

2020-05-15 21:39:33 | お出かけ
全国に出されていた緊急事態宣言が、8都道府県を除いて解除された。
8都道府県は、「特定警戒」都道府県に当たる。
それ以外は、「感染拡大注意」都道府県、「感染観察」都道府県となる。
「感染拡大注意」は、新規感染者数などが「特定警戒」の半分程度。
「感染観察」は、感染者数が「拡大注意」の水準に達しない程度。
さて、新潟県は?
今日も、1人の感染が1週間ぶりに確認されたが、「感染拡大注意」の区分に属すると言える。
まあ、いずれにしても、「新しい生活様式」に基づいた行動が求められる。
自分も、どこに行ってもマスクをしながら、というのが定着した。

マスクをしながら、あまり遠くない、自然がたっぷりある山の麓に出かけて来た。
ほとんど誰とも会わなかった。

新緑の季節、様々な花と会ってきた。


ウワミズザクラの花は、終わりに近かったが、特徴的な咲き方をしていた。


下に目をやると、クサイチゴの花があちらこちらに咲いていた。


黄色い花は、キジムシロだと思う。


ミヤコワスレは、咲く場所によって、花の色が違うものも見つけた。


ほとんどが終わりだったが、まだ咲いていてくれたニリンソウ。



新緑に囲まれ、新鮮な空気を吸い、野に咲く自然の花を愛でる。
近場に出かけて、こうしたことができる環境があるのは、ありがたい。
ほとんど人に会わないから、「3密」も関係なし。



ほっとひと息。
気持ちを和ませることができた。

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今年も、野菜の苗植え

2020-05-14 20:31:36 | 草木花
3か月間楽しませてくれたわが家の小さな菜の花畑が、終わりの季節を迎えた。
特に、冬菜の花は、2か月間も咲いてくれた。


和ませてくれてありがとう、と思いつつ、すべて抜く。

抜いたら次は、この小畑は、野菜の苗植えのシーズン。

耕して、牛肥を入れて、畝を作って…と。

はい。
準備OK!


次は、苗を買ってきた。


今年も、ナス、ピーマン、ミニトマト、キュウリ、オクラの5種類。

去年植えた場所には、違う種類の野菜の苗を植える。


オクラは、今年もプランターで花の観賞を楽しみたい。


世話が下手だから、例年本格的な夏を迎える前に、トマトやキュウリは枯れてしまうことが多い私の野菜畑。
楽しみでもあり、ちょっぴり心配でもあり…。
さて、今年はどうなることやら?
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パンジーそしてビオラ

2020-05-13 21:35:08 | 草木花
40代前半に勤めたところでは、「花いっぱいコンクール」に常時入賞を目指すところだった。
コンクールは晩夏にあったのだが、それが終わると、職員が家で種からパンジーを育てていた。
ただ、その職員が転勤してしまうと、パンジーを育てる職員はいなくなってしまった。
仕方がない、と私が勝手にパンジーの種まきをして、育てたことがあった。

パンジーは、春に咲く。
その種まきは、秋に行う。
芽を出したものをプランターに植え替えて、冬に霜や雪の心配のない部屋で育てたものだった。

それを、職場が変わってからもしばらく行っていた。
途中からは、パンジーに似たビオラも種から育てることに取り組むようになった。
3か所の職場で、10年近く、種まきと世話を続けた。

パンジーとビオラ。
よく似ている。
なんでも、花の直径が5cm以上あるとパンジーで、それより小さければビオラと呼んでいると、何かで見たことがあった。

種から育てることをずっとしていたこともあって、買ってこようとはあまり思わなくなった。
それなら、自分で種から育てたほうが楽しいからだ。


だが、今、わが家のプランターには、3種類のビオラが植えられている。
買い物に行ったときに、あまりに安く苗が売られていたのを見て、かわいそうに思って妻が買ってきたのだ。

わが家の庭先で、今日もきれいに輝いて咲いている。

見るたびに、かつて働いていたときに、よくまああんなに忙しかったのに種をまいて、パンジーやビオラを世話して育てていたものだと、当時の自分に感心する。
まあ、確かに忙しかったけれど、その中で、パンジーやビオラを世話することで、安らぎを見出していたことも確かだった。


ビオラは、パンジーよりも時期的に遅くまで咲いている。
まだもうしばらくは、目を楽しませてくれそうである。


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オステオスペルマム セレニティがきれいだ

2020-05-12 20:17:35 | 草木花
風除室で満開に咲いているのが、この花。



花の名前が、長い。
オステオスペルマム セレニティ
という。

1回では覚えられないし、舌をかみそうな思いをして、やっと言えるようになった(笑)。

今年、こんなにきれいに咲いた。



咲き始めのころ、花びらはブロンズ色で、中心部は、青っぽい。
アネモネの花の咲き方を思い出した。
花びらの色が地味だが、輝いているように見える。
色も、日が進むにつれて、ピンクっぽくなっていったり薄くなったりと楽しめる。

こんなきれいな花が、家にあったのかあ。
知らなかったなあ、どうして家にあるんだろう?

妻に聞いてみた。
私「あんなにきれいな花、いつ買ったの?」
妻「私が、あんな派手な花、わざわざ買う訳ないじゃない。」
私「じゃ、どうしたの?」
妻「あなたが、もらったのよ。忘れたの?」
私「へ???」
妻「あなたが3年前に退職したときに、花をいろいろもらったでしょ。その中に、鉢植えの花もあったの。ダメかなと思ったけど、刈り込んで植え替えてみたの。」
私「へえー。」
妻「そしたら、あの種類だけ生き残ったというわけ。、去年はあまり花が咲かなかったけれど、肥料もやって世話してきたせいか、今年は花がたくさん咲いたのね。」

…ありゃま。
私自身がもらった花だったのに、その自覚がなかったとは…
そして、妻が世話をしてくれていたとは…。
まったく気づかなかった私って、いったい何?

まあ、それはともかく、今年はこんなにきれいに花が咲いている。
今後は、自分でも世話をして、毎年きれいに咲かせたいものだ(反省)。



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