ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

外出自粛が続く限りは…

2020-05-11 20:15:57 | 生き方
全国に緊急事態宣言が出されて以降、外出自粛が継続する状態に困ってしまっている。
それは、県をまたいでの移動ができないこと。
まあ、正式には移動の自粛要請なのだけれども。
困ってしまう。

埼玉の家に関係した管理ができないのだ。
2月末、畑を耕してじゃがいもの種芋を植えてきたけれども、まったくのほったらかしになってしまった。
それはまあ、仕方がないとしてあきらめるとしても、家の周囲の敷地や畑周辺は、雑草取りが欠かせない。
去年経験して、その必要性は身をもってよく分かった。
春から夏、この時期の雑草は、一気に伸びていく。

冬はともかく、春・夏・秋は、数日かけないと草取り・草刈りは終わらない。
1回やって終わりじゃないから、毎月1週間くらいは管理しに出かけて行く必要がある。
しかし、あちらは、まだ特定警戒都道府県のままだ。
だから、行ってはいけない、と思う。
また、かりにこちらから行ったとしても、県をまたいで移動してきたという人たちに対してはよく思わないだろう。

とりあえず、今月中は行けないということであり、行ってはいけないということ。
雑草がかなり生えるだろうけど、仕方がない。

同様に、わが家の裏向かいの家にいつも管理に来ている首都圏在住の方も、同様にこちらにくることができないでいる。
仕方がないと思うし、移動を自粛していることに、良識を守っていることが分かる。

様々な活動自粛が緩和されたところがあるからといって、県をまたいでの外出自粛は継続。
気を緩めることはないようにしよう。
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母の日の歌 私は「無縁坂」

2020-05-10 21:50:24 | うた


今日は、母の日。
NHKBSPでは、「母の日に聴きたい歌」という番組をやっていた。
それは、文字どおりたくさんの懐かしい歌で構成されていた。

母の日に聴きたい歌、と言われて、どんな歌を聴きたいだろうか?

私が思い浮かべる歌は、「無縁坂」である。



さだまさしがグレープ時代に作った、グレープの代表的な歌の一つである。
私が高校時代に聴いてから、当時もう30年余りもたっていたのに、母が癌の病になってしまってから、一番胸に響いていたのは、この歌であった。

「忍ぶ 不忍 無縁坂 かみしめるような ささやかな僕の母の人生」
と歌い上げるサビの部分は印象的だった。
そして、病の母を見守るようになった私には、サビの部分に至るまでの詩に、心を揺さぶられていた。

運がいいとか 悪いとか人は時々 口にするけど
そうゆうことって確かにあると あなたを見ててそう思う

いつかしら僕よりも 母は小さくなった
知らぬまに白い手は とても小さくなった

母はすべてを暦に刻んで流して来たんだろう
悲しさや苦しさは きっとあったはずなのに

忍ぶ 不忍 無縁坂 
かみしめるような ささやかな僕の母の人生

(前・中・後、それぞれ略)

母と過ごしてきた日々や思い出を、いろいろ思い浮かべると、詩が心にしみてどうしようもなく、泣けるのだった。

当時の私は、なぜか歌を詠みたくなって、母のことを詠んだことが何度かあった。
そのうちの一つに、次のものがある。

弱り来る母の姿を目に浮かべ茶碗洗いつ「無縁坂」聴く

母が入院しているとき、食後茶碗洗いをするのは私になった。
病になるまで、台所に立つのは母だったのだが…。


偶然にも、つけたテレビ画面では、川中美幸が無縁坂を歌い始めた。
大粒の涙をこぼしながら歌い上げていた。
彼女にも、この歌に何か強い思い入れがあるのだろうなあと思え、聴き入ったのであった。
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ツルキキョウ(=ツルニチニチソウ)

2020-05-09 21:35:40 | 草木花
どこかを歩いていても、走っていても、最近よく見かける花で、私が気に入っているのが、この花。



ツルキキョウ。

キキョウは、秋の花だが、この花は春に咲く。
昨日走った道でも、道端にたくさん咲いていた。
日当たりのよい垣根などから顔をのぞかせているのをよく見かける。
太陽に向かって、正対しているようなその姿が、いい。
色や形もいい。
その涼しそうな色合いは走っている身として見ていてとてもさわやかだった。
気持ちよく応援してもらっているような気がした。



ツルキキョウと思っていたが、今回調べてみた。
すると、「ツルギキョウ」という植物もあるので、これを正式には「ツルニチニチソウ」と呼ぶのだそうだ。
そう言われてみると、葉や咲く姿が、夏に咲くニチニチソウに似ている気がする。
なるほど。
今度からは、きちんと、ツルニチニチソウと呼ぶことにしよう。

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四字熟語で…

2020-05-08 22:24:30 | 生き方
漢字クロスワードをやっていると、四字の熟語を解かなくてはいけないことがよくある。
いろいろな言葉があるものだ。

「戦国大名」だとか「天地神明」だとかは考えつくけれども、「花天月地」や「春花秋月」などという言葉は知らなかった。
漢詩をよく知る人には、きっと意味までよく分かっているのだろうけれど…。
「花天月地」は、春、花咲くころの月夜の景色。
「春花秋月」は、春の花と秋の月。 春に咲き乱れる生き生きとした花々や、秋の夜にかかる名月の澄んだ美しさをいう。

問題を解くと、「一本占地」という言葉ができたが、こんな言葉は読み方すら分からない。
「イッポンセンチ」???
…それが、まさか、キノコだとは!!?
正しくは、「イッポンシメジ」と読むなんて、知らなかったよ~!!!

…などのように、四字熟語をいろいろ考えたり知ったりするのは、楽しい。


さて、漢字で四字熟語を使えば、意外と自分の感情も表せたりする。
小学校の高学年の国語で、熟語を学習した時に、四字熟語で詩を作らせてみたことがあったっけ。
そんなことを思い出して、懐かしくなった。

そうだ!
今日の自分のことを四字熟語の連続で表してみよう!

外出自粛 大会中止
意欲減少 走力低下
本日快晴 一念発起
十六粁走 農道快走
道端雑草 開花発見
微笑接写 元気百倍
足取軽快 気分爽快
         ※ 「粁」=「km」

以上、お粗末さまでした。

でも、平仮名まじりの文章より、こうして漢字で表した方が、読むと想像力が広がる気がするなあ…。

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子どもたちの現在と未来を守るためにも…

2020-05-07 22:01:22 | 「育」業
今朝、連休中にたまった可燃ごみの収集日だったために、収集場所にゴミ袋を持って出しに行って来た。
すると、少し離れたところに、久々の姿を見た。
ランドセルを背負った子どもたちが3,4人集まっていた。
そうか。久しぶりに学校がある日なのだ。

全国を対象に緊急事態宣言が出されていたが、継続の措置となった。
ただ、特別警戒の都道府県を除いては、各自治体の判断に任されるということになった。
学校の登校関係のこともその一つだ。

当地では、小中学校は、4月20日から5月6日まで一斉休校が続いていた。
今日、久しぶりに学校に行けるということをうれしく感じる子は多いことだろう。

しかし、残念なことに、ここでは、今日7日と明日8日に限っての学校再開なのである。
仕方のないことだとも考える。
今日と明日の2日間、学校に行くと、また来週から休校になる。
ただし、1人あたり週2回、2~3時間の分散登校を行うのだそうだ。
学習の機会が多少は確保されるけれども、特別な形での一部の学習にとどまることだろう。
まだまだ大変な状況が続く。

昨夜は、午後10時からのNHKスペシャル「わたしをあきらめない~5年1組の子どもたちと先生の1年~」を見た。
学級の一人一人の子どもに目を配り、励まし、育てていく先生と、子どもたちの変容を追った番組だった。
せっかく子どもたちがよい変容を見せていたのに、2月に新型コロナウイルス感染症の拡大によって、突然学年の教育も学級の活動も終わってしまった。
しかし、担任の先生自身が語っていたように、子どもたちは確実に変わっていたのだった。
そのような子どもたちの変容が見られたのも、先生の熱意ある働きかけや子どもどうしのかかわりがあったからだ。

今の状況や、分散登校などが続くようでは、落ち着いた学校生活や、意図的な学級の取り組みは、期待できない。
それでも、子どもたちの貴重な「今」は、「今」しかない。
将来のためには「今」の充実が何より大切だ。

今日から様々な制約が解除になったところも多いが、油断することなく感染防止に努めたい。
緩んでしまうと、また急激な感染拡大ともなりかねない。
子どもたちの現在と明日を守るためにも、一刻も早いこの緊急事態の解除に向かっていきたい。
一市民として、もうしばらく気を緩めずに生活していきたいと思っている。
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鉢植えの土を換えてあげなくちゃ

2020-05-06 21:48:59 | 草木花
花が咲いているのを見るのは好きだ。
だが、花が咲くように植物を育てるのはあまり好きではない。
きちんとした手入れができないと育たないような植物のお世話が苦手なのである。
だから、たくましく育ち花を咲かせている野草を見ると、つくづく感心してしまう。

そうは言っても、家にはそれなりに様々な種類の植物がある。
それらが花を咲かせるのは、やはり春が最も多い。
厳しい冬を乗り越えて、よくきれいな花を咲かせてくれたね、と愛でたくなる。
家で、鉢植えの植物たちには、いつもうまく世話をできないので、「ゴメンナサイ」の気分でいる。
自分には、毎日の水やりくらいしか世話ができない。
うまく世話できないから、あまり買ってきたりはしない。
しかし、まれに買って来てしまったものや、母が生きていたときに買ってきたものなどは、枯らすわけにはいかないので、何らかの世話が必要になる。

今年の春は、外出の自粛が必要なこともあって、少し時間の余裕ができている。
そういうときに、家の庭や植物棚などを見ると、鉢植えの植物たちが
「世話をしてよ!」
「せっかく今年も花を咲かせたのだからさ!」
と言っているように思えてしまう。


そう訴えているように感じる植物たちの鉢は、だいたいが苔でいっぱいになっている。
苔は、植えたりしたわけではなく、世話をしないからその荒れた環境がよいから増えているのだ。
苔は大増殖しているが、本来の鉢植えの植物には迷惑な存在でしかないだろう。
そんなふうになっている鉢植えの鉢の中身を見てみると、大概は土の中は根がびっしり生えていて、土の中で根が呼吸できないくらいに密集している。

苔を取るだけでなく、土も新しくしてよ。
人間だって伸び過ぎたら散髪するんだから、私たちの根だって伸びすぎたり多くなり過ぎたりしているのだから、切ってよ。

そういう声が聞こえてくるような気がする。

…ということで、どこかへ出かける時間もなくなっている今だから、近ごろは空いた時間にしばらく手入れを怠っていた鉢植えの世話にちょっぴり力を入れている。
苔を取り除いたり、根を短く切ったり、土を新しい物に換えたりの作業を行っている。



この程度でよいのかどうか、園芸不得意の私にはよく分からない。
でも、作業を終えた後、植物たちがさっぱりしたような姿に見えるのは気のせいだろうか…?




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元気を出してほしいから、昭和50年代によく聴いた「東京」の歌

2020-05-05 20:57:37 | うた
COVID-19 の感染者が最も多いのは東京都。
毎日都の感染者数はどのくらいかが報じられ、その数によって一喜一憂するのが当たり前のようになっている。

東京は、日本の中心地。
私が学生時代、4年間お世話になった街。
昭和50年代のあの頃、様々な「東京」の歌を聴いて元気付けられていた。
そんな東京の歌を聴いて元気を出していきましょう。

まずはじめに、マイペースの「東京」。


東京へはもう何度も行きましたね 君が住む美し都
東京へはもう何度も行きましたね 君が咲く花の都


地方の人間にとっては、こんな美しさや花を東京に感じていた時代もあった。
憧れの街であったのだ。

私にとって、一番好きだったのは、9年前にも書いた「東京City」(小林倫博)の感覚。


ここに一人来た頃(それだけで) ねずみ色の街でも(ときめいた)
季節を伝える風に向かって 口笛鳴らせば 夢かなう気がした

という部分や、

だけどここを離れて 生まれた町へと 帰る気持ちになれないのはどうして
生まれた故郷(くに)を離れて 父や母もここで暮らすと言い出したら それもまたいやだろ


などという内容は、当時の自分の心境そのままだった。
そんな心境で4年間を過ごしたことがよみがえる。

夜になっても明るくて、眠らぬ街東京。
それに対する子守歌だったのが、中原理恵の「東京ららばい」。

1番から3番まで終わりが「ないものねだりの子守歌」というフレーズだったけれど、サビに入る部分の歌詞がいかにも東京のようで好きだった。

その部分は、次のような詩であった。
①東京ララバイ 地下があるビルがある星に手が届くけど
②東京ララバイ 夢がない明日がない人生はもどれない
③東京ララバイ 部屋がある窓があるタワーも見えるけど



東京の物語、といえば、阿久悠が作詞した「東京物語」という歌があって、森進一が歌っていた。

このシングルレコードを買ったのは、気に入ったところがあったからだ。

群れからはなれた 男と女が 小羊みたいに 肌寄せあって
どこかで忘れた青春のかざりもの さがしているような 東京物語


「どこかで忘れた青春のかざりもの さがしているような」
貴重な若い日々が過ぎていく暮らしに漂う切なさを感じ、その表現の巧みさに感心したものだった。
やはり阿久悠は、ただの歌書きの詩人ではないと思うようになった。


元気を出したい今。
元気な東京の歌なら、やっぱりこれ!
「TOKIO」(沢田研二)!


空を飛ぶ 街が飛ぶ 雲を突きぬけ星になる
火を吹いて 闇を裂き スーパーシティが舞いあがる
TOKIO  TOKIOが空を飛ぶ


沢田研二が、電飾の衣服を身にまとい、赤と白の縞模様のパラシュートを背負って歌う姿を、テレビでよく見た。
衣装代、高かっただろうなあ。
でも、東京らしい華やかさが似合っていた。
その華やかさが、遠からぬうちに復活することを願う。

最後に、これからを考えると、希望を持ちたい。
そのためには、木之内みどりの「東京メルヘン」の出だしを歌っていたい。


もうじきにもうじきに 春が来るんですね
もうじきにもうじきに 春が来るんですね


今や春はとうに過ぎ去っていこうとしているけれども、「もうじきに」この感染症騒動がおさまり、みんなが待ち望む春―陽気で明るく過ごせる日々―が来ることを祈りたい。
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走る道を変えて、見るもの・考えることが変わることを楽しむ

2020-05-04 22:04:14 | RUN
最近、走る大会がことごとく開催中止となっているせいもあって、今一つ走る気合が入らない。
それでも、5日に1回くらいは15,16kmくらいを走りたいと思っている。
ただねえ、私は、同じコースをぐるぐる回ったりするのは好きじゃない。
だから、あまり同じ所を周回する走りはしたくない。
それで、家から出て、ここをこのくらい走ると、15、16kmになるというコースをいろいろと探している。

今日走るのは、今年になってから見つけたコース。
今まであまり人に会わなかったから、密を避ける意味でもいいコースと思っていた。
けれども、今日走ったら、散歩している人や走っている人とすれ違った。
そう何人もいたわけではないけれど、緊急事態宣言が出てから、やはり健康のために体を動かす人が増えているのだと実感した。



違う道を通ると、見える景色も違う。
正面に見えた山は、2年前のゴールデンウイークに遭難した親子(父と息子)が、月末になって遺体で見つかったことがあった山。



今年のように暖かい冬だったなら、あの親子も遭難することはなかっただろうに…と思いながら、心の中で合掌。


田のある風景も、田植えに備えて、トラクターで耕したり水を張って準備したりしている場所も多かった。



このご時世で、諸外国からの輸入に頼る日本の食が大丈夫か気になるところ。
大事な日本の主食、米づくりに携わる方々、どうか今年もよろしくお願いします。

その向こうに見えた山は、先日のグレートトラバースで田中陽希氏が登っていた二王子岳。



自分も、10年余り前に一度登って、頂上で「青春の鐘」を鳴らしたことがある。
一度登ったことがあると、その山は、ただの山ではなくなり、自分にとってかけがえのない思い出の山となるものだ。
山から下りたときに、特別な山となったことを思い出す。

走って通る道が変われば、見えるものが変わる。
考えることも変わる。
そんなことを楽しみながらの、4日ぶりの16kmのRUNだった。
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「来ないで」と言われて、いい気はしないもの

2020-05-03 21:44:58 | ひと
「今は来ないでください。」

2,3日前、新型コロナウイルスの感染対策で、全国あちこちで知事たちが「今は来ないで」と訴えていた。
帰省や旅行などで、人の出入りが激しくなれば、その地方に感染が広がる恐れがあるからだ。

「来ないで」は、厳しい言葉だと思う。
今までの人生で「来ないで」と自分が言われたとき、いい気分がしただろうか?
よっぽどの事情がない限り、そう言われて微笑みを返せる人は、いない。
言われた人がどんな気持ちでその言葉を受け取るか、自分ごととして考えることができたら、そのままの言葉だけでは足りないのではないかと思う。
自分の口から出る言葉を、相手はどのような受け取り方をするだろう、という考え方、つまり相手意識をもっていれば、その言葉の後、どのような説明の言葉を続けなければならないか考えられるだろうに。

「今は来ないで」と全国で、様々な知事が話していたが、その言い方によって、嫌悪感をもたれたり好感をもたれたりしている。
自分の思いを丁寧に語った方は、好意をもたれている。
説明がなかったり、説明が足りなかったりした方の場合、最初に発せられた言葉だけが一人歩きしてしまい、嫌われてしまっている。

人々が思い通りにいかないときや行き詰まっているとき、悩んでいるときに説明足らずの言葉を受け取ると、受け取った人は、さらに苦しい思いをすることになってしまう。

発せられた言葉が、受け取った人を変えていく。
自分の言葉に責任をもって行動しなくてはいけない、と改めて思う、閉塞的な雰囲気の今である。
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「グレートトラバース3」田中陽希氏の挑戦を見る

2020-05-02 22:27:05 | ひと
NHKBSの番組で「グレートトラバース3」というのがある。
日本百名山や二百名山の人力での登頂を達成した田中陽希さんが、2年前からトライしているのは、三百名山の登頂だ。
今日の放送は、山形県の月山や朝日連峰、そして飯豊連峰の朳差岳への挑戦だった。

月山は、以前に4回ほど行ったことがある。
夏から秋にかけて、花の百名山にふさわしい美しい高山植物が咲き乱れる大好きな山だ。
とはいっても、われわれの場合、花の咲くいい時期に、しかもリフトに乗ってかなりいいところまで行ってからの山歩きなのだが。
家庭の事情が許した9年前に行って以来行けずにいるのが残念だ。

しかし、番組で田中陽希氏が登っているのは、冬。
しかも、近くまで車に乗って行くというわけではなく、ずっと歩いていくのである。
想像できないほど大変だ。
今回は、天候の様子を見ながらの挑戦となった。
11月は初冬だというのに、降雪や積雪に行く手をさえぎられる。
足元が雪のために前に進めなかったり、稜線が狭くなっていて危なくなっていたり。
頂上で1日足止めを食らったり。
予定の変更を何度も余儀なくされていた。
冬山に入ることの厳しさが映し出されたのは、たぶんほんの一部だけだが、絶対にもっと過酷だったはずだと思いながら見ていた。
それでも、次々と山をクリアしていく彼のすごさにいつも感心する。
今回も、拍手を送りたくなるエンディングだった。
終わりは、「前人未到の挑戦は続く」というナレーションが決まり文句となっている。

昨年末は、今回の朳差岳で、240座目。
あと残り60座にまで迫り、今年改めてアタックしていたところだった。
ところが、ここにも、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う活動の影響が出ている。
つい先日、彼が活動を一時中断したことが新聞に出ていた。
また、ネットにもそれが知らされてあった。

グレートトラバースプロジェクトの途中で発生した新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、田中陽希の活動を一時中断しますことをご報告させていただきます。

残念だと思う。
全国的に緊急事態宣言が延長されるもようだが、早く彼がまたアタックしていく姿を見たいと思う。
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