ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

いわきサンシャインマラソン、無念の2年連続開催中止

2020-02-19 20:38:58 | RUN
夕方、そのホームページにお知らせが掲載された。



第11回いわきサンシャインマラソン
開催可否について


開催に当たっては、日本国内で新型コロナウイルス感染症が拡大している状況を受け、様々な感染症対策の準備をしてきたところでありますが、全国から多くのランナーが参加し、沿道にも応援される方々が大勢集まるなど、感染拡大リスクが高まること、更にはボランティアスタッフの確保が懸念され、安全な大会運営に支障が生じるおそれがあることから、本大会を実施することは困難であると判断いたしました。

このことから、本日16時から実施した第6回企画運営委員会にて、大会前日のウェルカムパーティーも含め、大会開催の可否を協議した結果、苦渋の決断ではありますが、本大会を中止することとしました。

いわきサンシャインマラソン実行委員会事務局



いわきサンシャインマラソン。
今年も、開催中止となってしまった。
去年は降雪で、今年は新型コロナウイルス感染症の拡大で。
マラソン実行委員会の皆さんや関係者の皆さんの心中を考えると、その無念さはいかばかりのものがあろうか、と思ってしまう。

去年は、直前の降雪で中止となってしまった。
それでも、完走記念に渡されるはずだったメダルを、わざわざエントリーした人全員に送ってくれるという配慮をしてくれた。
そして、次の大会こそ雪の危険性の少ない時期になるようにと、開催時期を2週間遅らせて今大会の準備を着実に進めていた。
つい先日には、地元産の米やしょう油などを事前に送ってくれていた。
去年の無念さを晴らすべく、なんとか今年こそ開催したいという強い意欲が感じられた。
そして、東日本大震災や去年秋の台風19号で被害になったときの支援にも感謝したいという誠実な気持ちも、たくさん伝わってきていた。

そこへ降ってわいたような新型コロナウイルス感染症。
これに対しても、マラソン実行委員会は、マスクの準備やハイタッチの自粛など、様々な準備や協力の呼びかけなどを行って、できるかぎりの対策を講じてきたのが伝わってきていた。

参加者としても、去年のことがあるから、なんとか今年は開催してほしいと思っていた。
ウイルス感染の沈静化を期待していたが、今週に至っては、政府から厚生労働省やら首相官邸やら次々と広報が出され、警戒感がいっそう高まってきてしまった。

こうなると、さすがに開催を強行するのは難しい。
やろうと思えば、やれるだろう。
しかし、万が一、である。
大会後、参加者のなかに新型コロナウイルスに感染したという人が出たら、どうなるだろうか?
政府があれだけ言っていたのに、それを守らないで新型コロナウイルスをまき散らし感染を拡大させた、とんでもないマラソン大会だ、ということになる。
開催した側に責任が生じてしまう。
そうなっては、このマラソンも、いわき市も、福島県も、大きなダメージを追うことになってしまう。

だから、開催中止は残念だが、やむを得ないと思う。
去年のことがなければ、開催期日は2月の10日前後のままであっただろう。
それならまだ開催できたのに、と悔やむ人も多いかもしれない。

大会関係者は、2年も連続して開催中止になると来年以降参加してくれなくなるのではないかと懸念する人もいるようだ。
そんなことはないですよ!
前回大会の中止後の措置や、今回の事前のおもてなしで、十分に参加者に対する誠意は伝わっている。
大会関係者からの誠意を感じた人は多いはず。

大会関係者の皆様、苦渋の決断だったと思います。
でも、私は、これは「英断」だったと信じています。
次回こそ何の問題もなく開催できることを祈ります!
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まるで見知らぬ花のように

2020-02-18 17:35:54 | 草木花


6枚の花弁が開いた。
これはこれで、結構きれいな咲き方だ
こうして見ると、なんだか見慣れない花のようにも見える。

この花の正体、分かる人は簡単に分かるはず。
普通は、こんなに開いて咲かないからね。
でも、暖かい部屋の中だと、こんなふうに開きすぎてしまうこともあるのだ。

前日までは、こんな形をしているつぼみだったのに。



そう、この花は、チューリップの花。
仏壇に飾っておいたら、部屋の暖かさでこうなった。



仏檀にある両親の遺影も、開ききったチューリップの花を見て苦笑いしているように見えた。


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せっかくのロウバイの花が…

2020-02-17 20:35:32 | 草木花
今年は、雪の降らない日が多く暖かい日が続いたので、わが家のロウバイがつぼみをつけるのはずいぶん早かった。
つぼみが開くのをずいぶん楽しみに待っていた。
ところが、その期待が裏切られるようになってしまった。

つぼみが、やけに下に落ちるのだ。
何か弱いのか?病気なのか?
そう思っていたが、違っていた。
あるとき、外に出てロウバイの木を見たら、バタバタという音がした。
鳥があわてて飛んで行った。

そうか。
犯人は、鳥だったのだ。
ロウバイの甘い香りに誘われるのだろうか、花や実をついばんでいっていたのだ。

そんなにたくさんのつぼみがあるわけでもないのに、取らないでくれよ~。
…とつぶやいたが、鳥に言葉がわかるはずもなく。
毎日毎日、見るたびに、つぼみがいくつか下に落ちたり、一部だけ花びらが枝にくっついていたりというのが続いた。

そんなもんだから、ついに、つぼみも10個くらいになってしまった。
ロウバイの完全に開いた花を見られないままになってしまうのか、と思うと残念で悔しくなってしまった。
そこで、今さらなのだが、防鳥用のネットを買ってきて、かけた。



ようやくその翌日、それらしく少し開いたロウバイの花を見ることができた。
でも、その数の少ないこと。



ネットの中の花は写真も撮りにくい。



暖冬でせっかく早く長くロウバイの花を見られると思ったのだがなあ。
まさか鳥に食われるとは思わなかったよ。
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早すぎる福寿草の開花

2020-02-16 17:17:17 | 草木花
あれまあ、びっくり!
まだ2月の中旬なのに!

何に驚いたかというと、このブログのプロフィール写真にも使っている花、福寿草(フクジュソウ)の開花だ。

わが家の庭の片隅に、福寿草が植えてあるのだが、毎年地中から芽を出し、つぼみを少しずつふくらませていく。
そして、そのつぼみが開く日を心待ちにして毎日見守る。
やがて花開く日、その輝きをじっくり愛で、楽しむ。
…というのが、わが家での早春の楽しみだった。

ところが、去年は、芽は出たがつぼみはもたないまま、花が咲かずに終わった。
福寿草の花を見られず、残念に思ったのであった。

それが、今年は、なんと突然昨日咲いていたのだ。



地中から芽を出すのも、つぼみをもつのも、つぼみをふくらませるのも、まったく気づかなかった。
いつの間に…???
2年ぶりにわが家の庭で花が咲いたのはうれしいが、咲くまでまったく気づかないとは不覚であった。

不覚と言いながら、咲かなかった去年より前の福寿草の開花日を調べてみると、2年前は3月24日、3年前が3月15日、4年前が3月7日、5年前が3月22日だったのである。
こんな2月中旬に開花したのは、異常な早さである。
花が小さいとはいえ、雪の降り方が少ないと、こんなにも早く開花するものなのか!!?



驚きの福寿草、早すぎる開花であった。
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不幸中の幸い…転んでしまった…

2020-02-15 16:03:57 | RUN
ええっ?なんで!?
…そう思いながら、体が傾いていくのを止めることはできなかった。

どたっ!

いってぇ…。

とっさに両手を使って、倒れるショックをやわらげたつもりだったが、体重が70㎏もある身、それでもしたたか打ちつけた。

痛いのは、両手の掌底、左膝の内側、そして右膝の外側。
右膝の外側は、すりむいて血がにじんでいた。
ただ、そこよりも、強打したらしく左膝の内側がズキズキと痛む。
左足を高く上げようとすると、痛みを感じる。

なんてこった。
いわきのサンシャインマラソンまで1週間余りなのに、けがをするとは。
転んだ場所は、地下道への階段。
階段中ほどの踊り場で右に曲がってさらに降りて行こうとするときだった。
別に水たまりはなかったし、濡れているようにも見えなかった。
なのに、なぜ転んだのか?
前日、季節外れのまとまった雨が降ったためか、地下道全体に湿気がこもり、それが床板部分に水滴が付いていたらしい。
まさか滑りやすくなっているとは思わなかった。
油断した。

しかし、何を言っても、仕方がない。
問題なのは、走れるほどのケガかどうかということ。
走るのをやめることはできたが、大会が迫っていることを考えると、どの程度の痛みなのか、どの程度走るのに支障があるのか、知っておくことが大事だと思った。
左足をあまり高く上げずに、ストライドを狭くして小股でいけば走れるのじゃないか?
その走り方を試してみることにした。
ダメなら、すぐにやめて帰ろう。

最初のうちは結構痛さを感じたが、走っているうちに、それなりに走れることがわかった。
ただし、速いスピードは出せない。
でも、マラソンを走るための少し遅い速さなら、走れる。
大丈夫だ。

結局、10kmほども走ることができた。
これなら、たぶん23日のマラソンには走れるだろう。
不幸中の幸いだ、と思うことにした。

まったく、何があるか分からないものだ。
去年のいわきは直前の降雪があったし、今年も新型肺炎の影響もあるとは思っていたが…。
自分からマイナスの要因を作るのはいけませんなあ…。
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大会前からのおもてなしに、感謝・恐縮 ~いわきサンシャインマラソン~

2020-02-14 21:27:42 | RUN
「こんにちは。佐川急便です。
 荷物が届きましたので、ハンコかサインお願いします。」
「はーい」と返事をし、サインをして荷物を受け取ると、それは袋状の荷物だった。

えっ?
袋の底には、「IWAKI2020」と大きく書いてあり、そのさらに下に「いわきサンシャインマラソン実行委員会」と差出人名が書いてあった。
しかも、結構重い。
去年のように参加記念メダルでも入っているんじゃないだろうな?
…とも考えた。
しかし、それは違っていた。

入っていたものは、真空パックされた米、150㏄の醤油びん、うどん(乾麺)、手袋。



なんだかすごいじゃないか。




同封された送り状を読むと…

ランナーのみなさまへ
いわきからお届け
ありがとうセット

はじめに、昨年2月10日に開催を予定しておりました「第10回いわきサンシャインマラソン」が、降雪の影響により中止となりましたこと、深くお詫び申し上げます。
また、平成23年3月11日の東日本大震災や令和元年台風第19号以降、みなさまからたくさんのご支援・ご声援をいただけましたことを心から感謝申し上げます。
いわきはまだ復興半ばでございますが、みなさまからいただいたご支援・ご声援を希望に代え、「第11回いわきサンシャインマラソン」の成功に向けより一層励んで参りたいと思います。
ささやかではございますが、ランナーのみなさまへお詫びと感謝の気持ちをお伝えしたく「ありがとうセット」と題しまして、いわきの農産品と手袋をお送りいたします。いわき自慢のいわきライキ・卵かけご飯つゆ・いわきゴールド椎茸うどんを大会前のカーボローディングにお役立てください。
 2月23日(日)、みなさまのお越しをいわきでお待ちしております。
         いわきサンシャインマラソン事務局



そうかあ。すごいなあ、このお詫びと感謝のしるし。
こんな「接待」、受けたことないぞ。
「品物代+送料」×参加者数…で、いったいいくらかかるのだろう!?
そう考えたら、ありがたいような申し訳ないような気持ちになってしまった。

送り状の裏には、丁寧に、品物の1つ1つについての説明が書いてあった。



すばらしい。
このありがたさは、私一人がカーボローディングに使ってしまうには心苦しい。
家族みんなでいただくことにします。
そのうえで、マラソン、がんばります。

ありがとうございました!!
いわきサンシャインマラソンの関係者のみなさまの心づかいに、心から感謝いたします。

【追記】
この「山田屋醸造 卵かけご飯つゆ」のラベルにあるQRコード

を読むと、山田屋醸造の社長の解説とマラソンの体験から来るアドバイスを、ユーチューブ映像で聞かせてもらうことができた。
これもまた楽しく、ありがたい配慮。
感謝、感謝。

大会は、がんばって走らなくちゃな。

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今日は、母の祥月命日

2020-02-13 21:13:01 | 生き方
世間は、明日がバレンタインデーと大はしゃぎ。
だけど、わが家にとっては、騒ぐ気にならないそのイブ。

なぜなら、今日は、母の祥月命日。
母が亡くなってから、15年。
早いものだ。
今日の天気が悪くなるという予報だったので、その前に墓参りに行って来た。



あの年は結構寒さが厳しく、雪もそれなりに降った冬だった。
そんなことを思い出していたせいか、墓に行った日には、寒さがありあられのような雪が当たって痛かった。
あれは、「わたしのことを忘れないで」っていう意味だったのかい?

忘れていないよ。
今日の夕飯は、母の好きだったものばかり。



「なます」や「山菜おこわ」、「カツオのたたき」「さつまいもとレーズン煮」「串団子」などが並んだもの。
代わりに(?)家族みんなでおいしくいただいたからね。

ついでに、昔よくやっていた漢字のパズル本も買ってきたからね。

(最終的に私がやるけどね…。)

母が今の私の年齢だったころ、ずいぶんエネルギッシュだった。
つれあいである父は亡くなり、私たち家族とともに新たな土地に移り住んで数年というところだったのに。
習字を習っていたり、社交ダンスに夢中になっていたり、新しい友だちを次々に作ったりしていた。
近所でも、「明るく元気なおばあちゃん」としてよく知られるようになっていた。
「時間がないのだから、楽しまなくちゃ」と、よく言っていたものだ。

明るく、楽しく、元気で、感情を豊かに表に出す。
誰からもそう言われていた母だった。
その血を受け継いでいるはずの私は、母のその姿に少し恥ずかしさを感じていたものだ。
だが、仕事をしていたときには、その血は十分役に立った。
目の前の子どもたちを笑わせたりするときには大いに生きた。
もっとも、自分としては、喜怒哀楽の表現の大きい母よりも、父に似たと思っていたのだが。

その仕事からも離れた私。
母のように、「人生を楽しむ」ためのものをもつことも大事な年齢だな…。
コメント (5)
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油断せずに、気をつけて

2020-02-12 20:19:51 | 生き方
今月は、私の誕生月。
だから、5年に一度の恒例行事を行わなくてはいけない。
分かる人は、「5年に一度」でお分かりだと思う。


運転免許証の更新である。
今日、その更新に行って来た。
更新講習を終えて、受け取った新しい免許証は、前と大きく違うところがあった。

何か…―?
中央の色が変わった。
そう、ゴールド免許でなくなってしまったのである。

あれは、12月の埼玉での出来事であった。
車を運転して、今まで通ったことのない国道を行ったのである。
辺りは農村地帯で、道沿いの住宅の裏には畑が広がっているのどかな雰囲気だ。
よく知らない道なので、スピードの出し過ぎには十分気をつけて運転していた…
…はずであった。

ところが、なんと!
突然出てきた警官に、わき道に入るように誘導された。
ええっ?なんで!?

「ずいぶんスピード出ていましたね。17kmオーバーです。
ここ、制限速度何㎞か、知っていますか?
時速40㎞ですよ。よく見て運転してくださいね。 」
…とのたまふ。

ええっ?こんな国道で、張ってるの?
しかも、私はスピードが出ないようにしていたはず。

私が住む地域周辺の国道だと、時速50㎞の道がほとんどだ。
制限速度40㎞の道なんて、よっぽど街の中でないとない。
だから、車運転の際には、スピードを出しても時速50㎞台の中ほどにする習慣が自然とついている。
油断していた。
知らない道には、国道であっても、時速40kmが制限速度の道だってたくさんあるのだ。

ただ、事故にあったわけではなかったのが幸い。
つまり、自分には注意力や集中を欠いて思い込みで運転する傾向があるのかもしれない、ということ。
自分への戒めにしなくては。

…とはいうものの、罰金は早々に翌日納めたが、もったいないなあと思ってしまった。


新しい免許証は、ゴールドだった部分が青くなっていた…(+_+)
そして、写真の肖像は、間違いなく「爺さん」化が進んでいた。
「65歳以上」ではないので、高齢者扱いはされないが、着実に近づいている。
スピード以外にも、十分に気をつけて車の運転をしなくては。
そう思っている。
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ノムさん(野村克也氏)逝く…

2020-02-11 21:39:42 | ひと
ノムさん、野村克也氏が亡くなった。
私が言うまでもなく、日本プロ野球史に大きく輝く業績を残した人だった。
それは選手としても、監督としても。
選手としては、パシフィック・リーグで歴代№1の存在だったと言ってもよいだろう。
戦後初の三冠王になっているだけでなく、通算試合出場数は日本プロ野球歴代2位(実働年数は歴代2位)、通算の安打、本塁打、打点、塁打数は歴代2位で、いずれもパ・リーグ記録だ。
監督としても、南海ホークス、ヤクルトスワローズを優勝に導き、阪神や楽天がその後強くなる礎を築いたりした。

私が最も好きだったのは、それほど輝かしい実績をもちながら、野村氏自身が「自分が弱者である」という自覚を常にもっていたことである。
弱者だから、強くなる道を探る。
弱者だから、強者に対して勝つ方法を考える。
だから、数多い著書があるが、「弱者が勝者になるために」「野村の『眼』:弱者の戦い」「弱者の兵法:野村流 必勝の人材育成論・組織論」「弱者の流儀:野村克也31の考え」など、「弱者」という言葉がついた書名も多い。
私は、そういうノムさんの本を結構たくさん読んだ。
・弱者であっても、あきらめてはいけないということ。
・自分が弱い存在であるという自覚をもち、工夫すること。
・弱者として、少しの成功があってもいい気にならず、謙虚に努力を続けること。
そのようなことを、著書からたくさん学んだ。

人に対しても、学ぶところは多くあった。
・他球団で見限られた選手を、自分のチームで活躍させたこと。
・そのためには、個々の選手の長所を見出したこと。
・その長所を最大限に生かして、強者に勝ち自信をつけさせたこと。
人の持つ個性や可能性を信じなければ、「野村再生工場」はありえなかっただろう。

強者に立ち向かうために、また選手の長所を生かすために、精神論だけではなくデータをもとにして裏付けをきちんととっていた。
だからこそそれが、単なる気休めではなく、人を納得させ向上への意欲を高めていた。
そして、弱者が強者に勝つ方法を見つけていた。
個性や可能性が生きる道を見つけていた。

ノムさんのこのような姿や考えは、私自身の、小さいとはいえ人を相手にする仕事に大いに役に立った。
そして、リーダー的な立場に立つようになったときには、大きな支えとなった。

金田正一氏、そして野村克也氏…。
子どもの頃憧れた野球のスーパースターたちが、少し前まではあんなに元気だったのに鬼籍に入るようになってきた。
日本のスポーツ史に輝き、間違いなく時代を築いてきた巨星たちが次々に落ちていく。
さびしさはこの上ない。
でも、勇気や希望や憧れを持たせてくれたことに、大きな感謝を伝えたい。

ノムさん、ありがとうございました。
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雪があるとき走る道

2020-02-10 21:51:42 | RUN
先週雪が降ってから、とけずに残っている道が多い。
もともと何があっても走りに出る、という自分ではないので、雪を理由に走りに出なくなってしまった。
おやおや1週間も走っていないではないか。
約2週間後にフルマラソンを走る人間として準備ができていないな、と反省。
今日もくもり空だけに、まずは降らないうちに走ってみようと決断。



ただ、道にはまだ雪が残っている。
特に、歩道は人が雪上を歩いたまま凍ったりしているので、でこぼこしていたり滑りやすくなったりしているので、あまり走りたくはない。
なるべく雪の少ない道を選んで走る。
例えば、消雪パイプが整備されている道は、雪がとけているから走りやすい。
そういう道を選んで走る。
ただ、道幅の広い車道は、車の往来も多いので、危ないから走れない。
商店街を走っている人もよく見かける。
アーケードがあるから、その下は雪がない。
ただ、信号に多く引っかかるので、走りを止められるのが残念なところ。
ガード下をくぐる地下道もいい。
傾斜はあるが、通行人が滑らないように水が流れて雪をとかしてくれている。
住宅街もいい。
陽光がよく当たる方向だとわだちが広くなっているので、走りやすい。
よく当たらないところは、わだちが狭く積雪も多い。
あまりうろうろしていると不審者と思われても仕方がないから要注意。

ところどころは雪の残る歩道も走るが、滑らないように恐る恐る気をつけて走った。
そんなふうにして住宅の多いあちこちの道を1時間半余り走り回った。

気温3℃、くもり。
足元の悪さを除けば、走り終わると気持ちのいい日、であった。
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