ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

ノムさん(野村克也氏)逝く…

2020-02-11 21:39:42 | ひと
ノムさん、野村克也氏が亡くなった。
私が言うまでもなく、日本プロ野球史に大きく輝く業績を残した人だった。
それは選手としても、監督としても。
選手としては、パシフィック・リーグで歴代№1の存在だったと言ってもよいだろう。
戦後初の三冠王になっているだけでなく、通算試合出場数は日本プロ野球歴代2位(実働年数は歴代2位)、通算の安打、本塁打、打点、塁打数は歴代2位で、いずれもパ・リーグ記録だ。
監督としても、南海ホークス、ヤクルトスワローズを優勝に導き、阪神や楽天がその後強くなる礎を築いたりした。

私が最も好きだったのは、それほど輝かしい実績をもちながら、野村氏自身が「自分が弱者である」という自覚を常にもっていたことである。
弱者だから、強くなる道を探る。
弱者だから、強者に対して勝つ方法を考える。
だから、数多い著書があるが、「弱者が勝者になるために」「野村の『眼』:弱者の戦い」「弱者の兵法:野村流 必勝の人材育成論・組織論」「弱者の流儀:野村克也31の考え」など、「弱者」という言葉がついた書名も多い。
私は、そういうノムさんの本を結構たくさん読んだ。
・弱者であっても、あきらめてはいけないということ。
・自分が弱い存在であるという自覚をもち、工夫すること。
・弱者として、少しの成功があってもいい気にならず、謙虚に努力を続けること。
そのようなことを、著書からたくさん学んだ。

人に対しても、学ぶところは多くあった。
・他球団で見限られた選手を、自分のチームで活躍させたこと。
・そのためには、個々の選手の長所を見出したこと。
・その長所を最大限に生かして、強者に勝ち自信をつけさせたこと。
人の持つ個性や可能性を信じなければ、「野村再生工場」はありえなかっただろう。

強者に立ち向かうために、また選手の長所を生かすために、精神論だけではなくデータをもとにして裏付けをきちんととっていた。
だからこそそれが、単なる気休めではなく、人を納得させ向上への意欲を高めていた。
そして、弱者が強者に勝つ方法を見つけていた。
個性や可能性が生きる道を見つけていた。

ノムさんのこのような姿や考えは、私自身の、小さいとはいえ人を相手にする仕事に大いに役に立った。
そして、リーダー的な立場に立つようになったときには、大きな支えとなった。

金田正一氏、そして野村克也氏…。
子どもの頃憧れた野球のスーパースターたちが、少し前まではあんなに元気だったのに鬼籍に入るようになってきた。
日本のスポーツ史に輝き、間違いなく時代を築いてきた巨星たちが次々に落ちていく。
さびしさはこの上ない。
でも、勇気や希望や憧れを持たせてくれたことに、大きな感謝を伝えたい。

ノムさん、ありがとうございました。
コメント
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