「家族シアター」(辻村深月著;講談社)
これは、様々な家族を描いた短編集。
世の中で、一番近くにある絆が家族。
最近は、「親ガチャ」のようなとんでもない表現もある。
その表現が示す「子どもは親を選べない」の言葉があるように、家族は、自分では選べないつながりでもある。
そして、家族といっても、構成員はいろいろだ。
夫、妻、父、母、息子、娘、兄、弟、姉、妹、祖父、祖母、孫、…などなど。
育っていくうちに価値観が違っていき、対立や孤立感を生んだりもする。
この本は、1つ1つの話が独立した短編集なのだが、主役が1つ1つの話を語る話者となっている。
そして、必ず主役が気になる相手(対役)がいる。
列記してみる。
① 「妹」という祝福
▷主役:妹 ▶対役:姉
② サイリウム
▷主役:弟 ▶対役:姉
③ 私のディアマンテ
▷主役:母 ▶対役:娘
④ タイムカプセルの八年
▷主役:父 ▶対役:息子
⑤ 1992年の秋空
▷主役:姉 ▶対役:妹
⑥ 孫と誕生会
▷主役:祖父 ▶対役:孫娘
⑦ タマシイム・マシンの永遠
▷主役:父 ▶対役:赤子の息子・妻・両親・祖父母・曽祖母
⑦を除いて、話のそれぞれに、主役と対役の間にすれ違いがある。
全く性格の違う姉妹、互いの行動や好みが理解し合えない姉弟、若いときの自分と全く違うから娘を理解できない母親、家族に関わって来なかったから息子のことがよく分からない父親、現代の孫への接し方がわからない祖父…などなど。
それぞれの話の中で、2人の間に起こる事件というか出来事。
それによって、相手をよりよく知り、互いの違う所を受け入れていく。
そんなストーリーの展開に、家族だけが持つ優しさと温かさを感じた。
それは、何だかんだ言っても、やっぱり家族というつながりの強さなんだよな、と思った。
個人的には、「タイムカプセルの八年」の、息子に無関心だった父親の行動が好ましかった。
また、「孫と誕生会」の祖父の考え方や行動が、60代後半の昭和世代の自分には合っていて共感を抱いた。
そして、ストーリーとはずれるけれども、昭和時代に育った自分としては、「1992年の秋空」に出てくる「学習」と「科学」の雑誌の話は懐かしかった。
「学習」をとるか「科学」をとるかは、読み物が好きなら「学習」を選び、付録が好きなら、好奇心を刺激する付録がついた「科学」を購読したものだった。
1992年は、毛利さんが宇宙に飛び出した年であった。
それからもう30年以上も経ったのか、と思いながら、あの頃「宇宙飛行士になりたい」という夢を抱いた子どもたちも、もう40代だよなあ…という時の流れも感じた。
いずれにしても、読んでいくと途中でもやもやしてくるが、最後はほっとして心が温まる短編集であった。
と同時に、7つの短編を読んで、かつて自分が育った家族や、今の自分の家族に対する思い再確認していた私でもあった。