J2アルビレックス新潟の福田晃斗選手のJ1サガン鳥栖への移籍が決まった。
彼は、もともとサガン鳥栖に2013年から2019年まで在籍していた選手だ。
だから、そのチームへの思い入れは大きいものがあるだろう、そう思った。
だが、その鳥栖への思い入れだけではない、新潟への感謝の思いと誠意も、退団コメントから伝わってきた。
■コメント
アルビレックスファミリーの皆様へ
コメントの最初の言葉は、「アルビレックスファミリーの皆様へ」だ。
「アルビレックスファミリー」と書いてあり、すぐにコメントが始まらないところが、まず目を引いた。
このたび、サガン鳥栖に移籍することになりました。この場をお借りして、ありのままの気持ちをお伝えしたいです。この決断は簡単ではありませんでした。本気でアルビレックス新潟をJ1に上げたいという気持ちがある中で、来年30歳になることを考えると、自分のキャリアを意識する必要もあると感じました。
そうだよな。
年齢のことがある。
選手生命は短いのだ。
しかも、J2よりもJ1でプレーする方が、高キャリアとなるものな、と納得する。
移籍すると決断し、まず頭に思い浮かんだことは、アルビレックス新潟に関わる皆様への、心からの感謝です。チームメイト、監督、チームスタッフ、クラブスタッフの皆様、そして、多くのサポーターの皆様、パートナー企業、後援会の皆様、心からありがとうございました。
まずは、アルビレックス新潟に関わる人たちすべてを対象に、感謝の言葉を述べている。
誰に対しても、取り上げ残しがないように考えている。
チームメイトは本当の家族のようで、感謝をしてもしきれない選手ばかりです。人生でこれ以上にない、最高の仲間に出会えました。心から大好きです。
そして、チームメートに対するいつわりのない気持ちが綴られる。
「本当の家族のよう」「感謝をしてもしきれない選手ばかり」「人生でこれ以上ない最高の仲間」「心から大好き」と、チームメートが聞いて泣きたくなるような言葉が続く。
アルベルト前監督は、怪我をしている中でも、常に自分を信頼し、待ち続けてくれました。チームの雰囲気が良かったのは、前監督のチームづくりのおかげだと思います。
そして、監督への感謝。
監督のチーム作りの基本で大切にしたことや、けがをした自分を待ってくれたことを、福田選手自身が感じたままに述べている。
メディカルスタッフの皆さんがいなければ、今の自分はありません。大怪我をして辛いときを過ごす中で、常に励ましとサポートをいただきました。早く復帰したくて、心が落ち着かず、当たってしまうときでも、常に自分を温かく包み込み、守ってくれました。
忘れてはいけないのは、大けがをした彼を、復帰まで支えたメディカルスタッフたち。
けがをしてつらい思いをしたこと、当たってしまうくらい焦る気持ちがあったことまで隠さずにさらけ出している。
いかに励ましやサポートが温かいものだったかが伝わってくる。
そして、サポーターの皆様。
まず、新型ウイルス禍にも関わらず、デンカビッグスワンに毎試合、多くの方々が応援に駆けつけてくださいました。いつもスタジアム全体を見渡して、感動していました。あれだけ多くのサポーターの皆様の前で、サッカーができるアルビレックス新潟の選手は本当に幸せだと、心から思います。
できることなら、皆様の前で直接、感謝の気持ちを伝えたいのが本音です。この場をお借りして、心から感謝を伝えさせていただきます。
忘れてはいけないサポーターへの感謝。
スタジアムに来場するサポーターの数の多さと応援をあげ、スタジアムでのあいさつができなかったことを残念に思いながら、心からの感謝を伝えようとしている。
アルビレックス新潟でプレーできたことに誇りを持ち、これからのサッカー人生を歩んでいきたいと思います。
本当にありがとうございました。
サガン鳥栖に戻る、と言っても、チームは今揺れている。
監督は交代するし、選手のチーム外への移籍もいろいろありそうだ。
でも、福田選手のプレーは、間違いなくJ1にふさわしいレベルのすごいものが多かった。
新潟に来たのもいろいろな事情があったのだろうけれど、過去は消しようがない。
それよりも、「アルビレックス新潟でプレーできたことに誇りを持ち、これからのサッカー人生を歩んでいきたい」という言葉の通り、堂々とこれからの人生を歩んでいってほしいと思う。
いままでありがとう。
そして、これからもがんばれ、いっそう輝け、福田晃斗選手!
彼は、もともとサガン鳥栖に2013年から2019年まで在籍していた選手だ。
だから、そのチームへの思い入れは大きいものがあるだろう、そう思った。
だが、その鳥栖への思い入れだけではない、新潟への感謝の思いと誠意も、退団コメントから伝わってきた。
■コメント
アルビレックスファミリーの皆様へ
コメントの最初の言葉は、「アルビレックスファミリーの皆様へ」だ。
「アルビレックスファミリー」と書いてあり、すぐにコメントが始まらないところが、まず目を引いた。
このたび、サガン鳥栖に移籍することになりました。この場をお借りして、ありのままの気持ちをお伝えしたいです。この決断は簡単ではありませんでした。本気でアルビレックス新潟をJ1に上げたいという気持ちがある中で、来年30歳になることを考えると、自分のキャリアを意識する必要もあると感じました。
そうだよな。
年齢のことがある。
選手生命は短いのだ。
しかも、J2よりもJ1でプレーする方が、高キャリアとなるものな、と納得する。
移籍すると決断し、まず頭に思い浮かんだことは、アルビレックス新潟に関わる皆様への、心からの感謝です。チームメイト、監督、チームスタッフ、クラブスタッフの皆様、そして、多くのサポーターの皆様、パートナー企業、後援会の皆様、心からありがとうございました。
まずは、アルビレックス新潟に関わる人たちすべてを対象に、感謝の言葉を述べている。
誰に対しても、取り上げ残しがないように考えている。
チームメイトは本当の家族のようで、感謝をしてもしきれない選手ばかりです。人生でこれ以上にない、最高の仲間に出会えました。心から大好きです。
そして、チームメートに対するいつわりのない気持ちが綴られる。
「本当の家族のよう」「感謝をしてもしきれない選手ばかり」「人生でこれ以上ない最高の仲間」「心から大好き」と、チームメートが聞いて泣きたくなるような言葉が続く。
アルベルト前監督は、怪我をしている中でも、常に自分を信頼し、待ち続けてくれました。チームの雰囲気が良かったのは、前監督のチームづくりのおかげだと思います。
そして、監督への感謝。
監督のチーム作りの基本で大切にしたことや、けがをした自分を待ってくれたことを、福田選手自身が感じたままに述べている。
メディカルスタッフの皆さんがいなければ、今の自分はありません。大怪我をして辛いときを過ごす中で、常に励ましとサポートをいただきました。早く復帰したくて、心が落ち着かず、当たってしまうときでも、常に自分を温かく包み込み、守ってくれました。
忘れてはいけないのは、大けがをした彼を、復帰まで支えたメディカルスタッフたち。
けがをしてつらい思いをしたこと、当たってしまうくらい焦る気持ちがあったことまで隠さずにさらけ出している。
いかに励ましやサポートが温かいものだったかが伝わってくる。
そして、サポーターの皆様。
まず、新型ウイルス禍にも関わらず、デンカビッグスワンに毎試合、多くの方々が応援に駆けつけてくださいました。いつもスタジアム全体を見渡して、感動していました。あれだけ多くのサポーターの皆様の前で、サッカーができるアルビレックス新潟の選手は本当に幸せだと、心から思います。
できることなら、皆様の前で直接、感謝の気持ちを伝えたいのが本音です。この場をお借りして、心から感謝を伝えさせていただきます。
忘れてはいけないサポーターへの感謝。
スタジアムに来場するサポーターの数の多さと応援をあげ、スタジアムでのあいさつができなかったことを残念に思いながら、心からの感謝を伝えようとしている。
アルビレックス新潟でプレーできたことに誇りを持ち、これからのサッカー人生を歩んでいきたいと思います。
本当にありがとうございました。
サガン鳥栖に戻る、と言っても、チームは今揺れている。
監督は交代するし、選手のチーム外への移籍もいろいろありそうだ。
でも、福田選手のプレーは、間違いなくJ1にふさわしいレベルのすごいものが多かった。
新潟に来たのもいろいろな事情があったのだろうけれど、過去は消しようがない。
それよりも、「アルビレックス新潟でプレーできたことに誇りを持ち、これからのサッカー人生を歩んでいきたい」という言葉の通り、堂々とこれからの人生を歩んでいってほしいと思う。
いままでありがとう。
そして、これからもがんばれ、いっそう輝け、福田晃斗選手!