今回は、いとこの夫君が享年75歳で亡くなられたということだった。
私の父の場合は享年57歳だったから、もっと若くして亡くなっていたのだなあと思った。
そんなことを考えても、30年余り前とは時代が違うのだなあと思う。
母方のいとこは、合計33人であった(それぞれの配偶者を除く)。
親たちは10人きょうだいだったのだから、そのくらいいても不思議はない。
東日本大震災以前には、宿泊ありにして「いとこ会」を開いていたこともあった。
30人以上いると、めったに会わないので誰なのかよくわからない人もいる。
すでに鬼籍に入っている人もいる。
現在生きている最年長が81歳。
最年少が私の弟で、59歳である。
81歳から59歳までの構成を考えると、いとこ会というよりも、なんだか敬老会の雰囲気があるようになってしまった(苦笑)。
その皆さんと、通夜や葬儀で会うことができた。
久しぶりに会えたことが、一番うれしいことであった。
会えるということは、元気で生きているということだからだ。
2つめにうれしいのは、メンバーが相変わらず前向きで明るいということだ。
私自身の母もそうだったが、喜怒哀楽の感情表現が豊かで、前向きな人が多い。
この人たちの大半が、冬も空が明るく雪の降らない太平洋側で暮らしていることと無関係ではあるまい。
私はこうして冬は雪の降る新潟県で生きているが、「おてんとうさまには勝てない」と知っているから、明るく笑い飛ばすよりも厳しい環境の中でも耐えて生きる、というのが新潟県人の気質のような気がする。
母が生きていた昔から、
葬送の時には、「いい人だったのに…」と皆でおいおい泣き、
「でも、こんなこともあったよね」というエピソードで、皆で声をあげて笑い、
「そんなにいい人が亡くなるなんて…」と、やっぱり皆で涙を流して泣く。
そんな姿を見てきた。
さて、いとこ会のメンバーが敬老会と化していることに気付いた今回だった。
やはり日本は高齢化社会になっているなあとも思ったのだ。
そして、間違いなく自分もその一因だし、高齢者仲間の一人なのだ。
何もしないでいると、あっという間に時間は過ぎていきそうだ。
いとこたちの中でも、「まだこういう仕事をしている」とか「自分はこのことに夢中だ」というものをもっている人たちは、若く見え生き生きしているように見えた。
自分も、走ることのほかに、こだわりをもってやることを何かちゃんともっていないといけないな、と思ったしだいである。
なんてったって、いとこ会では3番目に若いはずの私なのだから。
私の父の場合は享年57歳だったから、もっと若くして亡くなっていたのだなあと思った。
そんなことを考えても、30年余り前とは時代が違うのだなあと思う。
母方のいとこは、合計33人であった(それぞれの配偶者を除く)。
親たちは10人きょうだいだったのだから、そのくらいいても不思議はない。
東日本大震災以前には、宿泊ありにして「いとこ会」を開いていたこともあった。
30人以上いると、めったに会わないので誰なのかよくわからない人もいる。
すでに鬼籍に入っている人もいる。
現在生きている最年長が81歳。
最年少が私の弟で、59歳である。
81歳から59歳までの構成を考えると、いとこ会というよりも、なんだか敬老会の雰囲気があるようになってしまった(苦笑)。
その皆さんと、通夜や葬儀で会うことができた。
久しぶりに会えたことが、一番うれしいことであった。
会えるということは、元気で生きているということだからだ。
2つめにうれしいのは、メンバーが相変わらず前向きで明るいということだ。
私自身の母もそうだったが、喜怒哀楽の感情表現が豊かで、前向きな人が多い。
この人たちの大半が、冬も空が明るく雪の降らない太平洋側で暮らしていることと無関係ではあるまい。
私はこうして冬は雪の降る新潟県で生きているが、「おてんとうさまには勝てない」と知っているから、明るく笑い飛ばすよりも厳しい環境の中でも耐えて生きる、というのが新潟県人の気質のような気がする。
母が生きていた昔から、
葬送の時には、「いい人だったのに…」と皆でおいおい泣き、
「でも、こんなこともあったよね」というエピソードで、皆で声をあげて笑い、
「そんなにいい人が亡くなるなんて…」と、やっぱり皆で涙を流して泣く。
そんな姿を見てきた。
さて、いとこ会のメンバーが敬老会と化していることに気付いた今回だった。
やはり日本は高齢化社会になっているなあとも思ったのだ。
そして、間違いなく自分もその一因だし、高齢者仲間の一人なのだ。
何もしないでいると、あっという間に時間は過ぎていきそうだ。
いとこたちの中でも、「まだこういう仕事をしている」とか「自分はこのことに夢中だ」というものをもっている人たちは、若く見え生き生きしているように見えた。
自分も、走ることのほかに、こだわりをもってやることを何かちゃんともっていないといけないな、と思ったしだいである。
なんてったって、いとこ会では3番目に若いはずの私なのだから。