ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(80)

2016-09-23 22:51:39 | 生き方
毎日わずかながらでも散歩をしたりスクワットやストレッチをやったりしているせいか、娘は、足腰はしっかりしてきた。
足腰「は」と書くと、他のことについてはまだまだのようだけど、生活上の言動は、通常に近いと感じることもある。
こちらの言うことを察知してみたり、上げ足をとってみたり。
そういうことは、結構普通になった。

ただし、やはり短期記憶が積み上がらないのが、なかなか改善されないことではある。
「ではある」が、自分で時々前日のことについて話し出し、笑ったりすることもある。
先日は、息子と共に手作り餃子を作ったのだった。
翌朝、起きるなりガスが出たのだが、そこで娘いわく、「昨日の餃子のニラだな…。」
と、笑わせた。
起きた後、眠る前のことが言えるというのも短期記憶が少しは残っているということ。
このことは、ガスの排出はともかく、うれしいことであった。

料理を作るということでは、ほかにも先日がんばったことがあった。
今年は、サンマがなかなか近海で獲れないので値が高いと聞いていた。
そのサンマが、いわき市の母の実家からクール便で送られてきたのだ。
ああ、親戚のありがたさよ!
新鮮なサンマは、生魚として食べてもうまいのだ。
特に、通称「サンマのタタキ」と言っている食べ方がうまい。
ネットでは、「なめろう」という料理名で載っている。
以前、ここでも私が調理したものを紹介したことがあった。

ただし、サンマは平日に着いたので、私は仕事でいなかった。
そのサンマは、新鮮なうちに調理しなくてはいけない。
妻は、10数年前、利き腕を2度手術しているので、包丁に十分に力を入れることができない。
そこで、サンマをさばくその調理を娘が担ったのだ。

出刃包丁を操って、サンマを6匹、3枚に下ろしたのだそうだ。
その後は、皮をはがしてから、包丁を文字通り「たたく」ようにして、下ろしたサンマやショウガやネギを細かく刻み、立派に「タタキ」を作ったのだ。

おかげで、私たちも、非常においしい料理をいただくことができた。

朝食や昼食後の茶わん洗いは、だいたい娘の仕事だ。
娘も自分の仕事だと思ってやっていることが多い。
夕食後も、頼めば洗ってくれたり、頼まなくてもやってくれたりすることがある。
こういうことは、家族にとって大変ありがたいことだ。

先日、いただき物をした時、母に(わが妻に)言われて、娘は、隣の家に一人でおすそ分けしてくることができた。
「初めてのおつかいだね。」と母にからかわれながらも、ごく普通に隣家を訪ね、渡して来ることができた、と後から教えてもらった。
こういった何気ない当たり前のことができるということ、それは普通の状態に近づくということ。
こういうことが増やしていけるとよいなあ、と思う。

懸念するのは、たまに「頭が痛い」ということ。
頭が痛いというのは、2,3年前に入院していた時、痙攣発作が起こる前ぶれでもあったのだ。
だから、頭痛は油断できないのである。
後頭部が痛いという、その時は、私は自分の経験から、娘の肩や背中、肩甲骨周りをマッサージしてやる。
そうすると、いくらか改善するようだ。
これからも、もう痙攣はおきませんように、といつも強く祈るしかないのだが…。
これからも根気強く回復を励ましていきたい、支えていきたい。
そう思いながら、退院してから丸2年を迎えている今である。

コメント
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