ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

1つの夢の実現~新潟シティマラソン、5時間内で完走達成!(3)

2015-10-14 20:32:22 | RUN
34kmを過ぎた。
あとわずか8kmだ。
なのに、この辺りから、ガクンと来た。
下りがあってもペースを上げられない。
むしろ体がブレーキをかける。もどかしい。
息子に、再び追い抜かれた。
ついていきたい気持ちはあるが、体がきつくなっているから、いけない。
頭を前方に傾け、その重みで体が前進するようにする。
これは、ずっと心がけて走ってきたことだ。
苦しくて、道端で応援する人たちの方を見る余裕はなくなった。
ただただ前傾姿勢をとることに努める。
34kmから36kmまでキロ7分43秒、7分34秒。
自分が、心の中で最低限と決めていた7分よりもうんと遅くなっている。
しかし、計算上は25km以降は、キロ8分でもいい、としていたはずだ。

ただ、急激な体のダメージが焦りを生む。
背筋が痛い。
走っているのを維持するのがやっとの体の動きのまま、一昨年リタイアした36km過ぎのポイントを過ぎ、第8関門の37.2kmポイントを過ぎた。
さらに、3年前はここからキロ10分以上を要したことを思い出した。
今年は、まだ走るんだ、と心に強く思ったが、なんとも情けないスピードになっていた。
この1km8分34秒。
38kmで、8分3秒。
少し持ち直した。
だが、この苦しさはどうだ。
足が上がらない。
腕も筋肉痛だ。
息苦しさも感じる。

38.2kmポイントの第9関門を突破。
あと3kmとなった。
信濃川に沿ってたった3kmを走るだけだ。
しかし、走れない。いや、走っても全然速くない。
速足で歩いているランナーとほぼ同じ速さだ。
これなら、いっそ大股で歩いてしまえ。
そう思って、歩いては走っては、を繰り返した。
後方のランナーの会話が聞こえた。
「フル(フルマラソン)を甘く見ていたよな。」
「ホント、その通りだよ。」
…そう。甘く見ていたつもりはないけど、最後の3kmでこの苦しさを味わうか、というくらい苦しくなった。

39kmでキロ8分39秒、40kmで8分29秒。
歩きたい。ただ、歩いてばかりいると、制限時間に間に合わなくなることだってありそうだ。
何度も何度も、もう歩かない、と心に決める。
だけど、脚を中心に体の厳しさを思う。
40kmを越えて、5個ポケットに入れておいた飴の最後の1個をなめる。
ところが、口の中がざらついて、飴が異物を入れているような感覚だ。
なんだか吐きっぽい感じもする。
41kmでの1kmはついに、9分13秒もかかった。
ダメだ、走れない。

ゴールが近づき、ランナーたちはスピードを上げる。
だけど、自分は歩きが中心で走りが中心ではない。
悔しい。
だけど、どうしても制限時間内にゴールするんだ。
歩きが中心になってしまっても仕方がない。
今の自分は、ゴールに向かって、精一杯がんばっているんだ。
そう自分を励ます。
形なんか、もうどうでもいい。
そう思いながら、走り・歩きを繰り返していた。

通りの最後の曲がり角に来た。
そこに高橋尚子さんが、「おかえり~」と言いながら、ランナーたちと次々とタッチをしているのが目に入って来た。
私は、「ただいまー。ありがとう。」と思わず声を出して、ハイタッチをした。

角を曲がり、100mほど走ると、陸上競技場入口。
帰って来た。あと150mだ。
競技場のレーンの柔らかさを感じながら走る。トラック沿いに並んだ日本文理高校のチアリーディング部の女の子たちが、「もう少しです」と励ましてくれる。
「ありがとう。」と答える声を出すこともできず、目で感謝の気持ちを表す。
そして、「FINISH」と書かれたアーチの下をくぐった。

ほとんどのランナーが両手をあげ、やったというポーズをとりながらゴールする。
自分もそうした。

やった!
ついに5時間の制限時間内にゴールしたぞ!
グロスタイム4時間51分台。
ネットタイム4時間48分台。
グロスタイムでもクリアして、正式記録として認められる。
人生の、50歳からの、目標としていた大願成就。
電光掲示板の方向を見て、涙がこぼれた。

本当に疲れた。
150mを6分もかかって記録証の発行所のテントをくぐった。


息子がそこに待っていてくれた。私よりも7分ほど早くゴールしたとのこと。
すると、ここで大雨になった。
天は私を祝福せず、逆になんとむごい仕打ちをなさるのじゃ…。
役に立ったのは、大会のスポンサーであるサトウ食品のこのクリアファイル。
「サトウ食品様」は、記録証をこのファイルとともに渡してくれるようにサービスしてくれていたのだ。
大好きな(?)NegiccoのCM写真が載っているクリアファイル。

雨に当たっても、少しぐらい汗にまみれても、このファイルに入っていれば、記録証は濡れない。大丈夫。
ありがとう、Negiccoそしてサトウ食品。
大雨を避けるために入ったテントは、農協の特大おにぎりかサトウ食品のパックごはん。
息子は前者を、私は家へのお土産に後者を選んだ。

着替えた後、誘いに乗ってサトウ食品のテントから、焼いた切り餅をいただいた。
レース直後の大雨で、たくさんの餅を焼いて待っていたサトウ食品ブースでは、あてが外れたらしく、1コップに2本を入れて配ってくれた。

「おかわりもあります。」と勧められたが、内臓が疲れ切った私には、もう結構ですと答えるしかなかった。

その近くにあったボードを背景に、記念写真。


走り切った、とは正直言い難いが、とにかくゴールにたどり着いた。
このことを素直に喜びたい。
人生の大きな目標として、50代になってから意識して走り始めた。
今回もフルマラソンの過酷さを、いやというほど味わった。
だからこそ、やり遂げた喜びは大きい。

両膝や太ももの筋肉がつらくて、その夜は寝る時も寝返りをうつのに、手の力を借りないとだめなほど。
立つ時、座る時も気合を入れて、ゆっくりでないとできないほど。
でも、痛みは、がんばってやり遂げた証拠。


サッカー新潟は、ガ大阪に敗れてしまい、がっかりだった…が、自分の中では、達成感でいっぱいであった一日であった。


コメント (2)
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