日本男道記

ある日本男子の生き様

25:三世坂田半五郎の藤川水右衛門

2012年10月28日 | 東洲斎写楽撰 全40点
25:三世坂田半五郎の藤川水右衛門

この絵は、寛政六年五月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」に登場する大敵役の藤川水右衛門を描いた作で、藤川水右衛門の名は、歌舞伎狂言の敵役中でも、有名な大悪逆人で知られている。写楽はこの大悪人を印象的に描いて半身図中屈指の傑作としている。着物は薄墨、襟の黒、袖口の濃緑、ただそれだけの地味な色彩でこの絵はまとめられている。最少の配色゛最大の効果を見せるのは写楽の特色で、この図は最もよい例である。またこの絵のすぐれた点は、その顔面描写にある。突き出した顔は不気味で、鬼気があり、凄みがある。ぐっと見る人に迫ってくる思いがする。眼隈が薄墨であるのも大悪人の雰囲気となっている。とにかく、写楽の気魄に押される絵である。すべてが地味で、背色の黒雲母がそれほど効果を見せた絵も少ない。

三世坂田半五郎は、当時実悪の「上々吉」で、悪方の役者として知られていた。前名は坂東熊十郎、天明三年三世を継いだ。寛政六年は二世半五郎の十三回忌に当たるので、二世の当たり役水右衛門を先代追善のために、この狂言を上演したという。しかし半五郎は翌年の六月、三十九歳で没した。

東洲斎 写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。
本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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3 コメント

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おはようございます。 (地理佐渡..)
2012-10-28 07:11:05
久しぶりの写楽。今回のものはまた
地味な中にも落ち着いた良い色使いの
作品です。良いですねぇ。

さて、昨日とうって変わって、これから
あいにくの天候が続きそうです。困った
ものです。今朝の佐渡は雨混じりで
時折強い風が吹きます。


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Re:おはようございます。 (日本男道記)
2012-10-28 09:17:00
おはようございます。

昨日は閉校式お疲れさまでした。
こちらは空はどんよりですが、雨はあがっています。

今日最終の日曜日は町内会の廃品回収日で、古新聞などを出して来ました。

さて、今日は岡山県知事の選挙、投票日です。
現職が引退して、新人4人の争いです。
地元の老舗百貨店「天満屋」の現職社長が当選するのではというのが下馬評です。
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お勉強になります。。。 (紗真紗)
2012-10-28 23:51:04
日本男道記さま^^こんばんは~♪

日本男道記さまのページでの写楽の観賞、
少しだけ楽しみに、お勉強させていただいております。
作者は、このような顔をして描いていたのかなと、
そんなことを想う、秋の空です。。。

今日は、やりました・・ですね。
今ごろは気持ちよく寛いでいらっしゃるのでしょうか。
きょうも、ありがとうございました~!
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