日本男道記

ある日本男子の生き様

20:坂東善次の鷲塚寛太夫の妻小笹 岩井喜代太郎の鷲坂左内の妻藤波

2012年09月23日 | 東洲斎写楽撰 全40点
20:坂東善次の鷲塚寛太夫の妻小笹 岩井喜代太郎の鷲坂左内の妻藤波

この絵は坂東彦三郎の鷲坂左内の絵と同じく、寛政六年五月河原崎座上演の「恋女房染分手綱」の登場人物であるが、つまり善人悪人の二人の妻を描いている。第一期作品中二人立半身像は五枚あるが、この図だけが対面でなく、同一方向を向いた構図となっている。そのために、構図的にいささか平板である。また描線が多いのも写楽の画法としては異色である。また同じ系統の色彩が、二人の打掛と帯の色に用いられているのも疑問である。しかし、これらの点があったとしても、坂東善次の屈曲のある力強い性格描写には写楽の鋭い芸術力が見られる。悪方の女形としては圧巻である。これに対して、喜代太郎の屈曲のない、おだやかな顔には善人方の女形の雰囲気が十分見られ、着附けの薄紅に年の若さが示されている。また二人の手の描写にも善悪の姿が見られる。二人の眼の形は違うが、目線が合っているのは、伊達の与作と乳人重の井の二人にそそがれているであろう。これでこの絵は生きている。

坂東善次は当時実悪方であったが、そう上級の役者ではなかったが写楽は善次をこの絵の外にも描いている。そのマスクを写楽は好んだのであろう。岩井喜代太郎は、半四郎の門弟で天明七年、かるもから喜代太郎となった。寛政六年当時は、「上上半白吉」の位にあり、第一流の女形ではなかった。写楽はつねに上級の役者ばかりは描いていない。そこに特色がある。
東洲斎 写楽
東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、旧字体:東洲齋 寫樂、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年3月にかけての約10ヶ月の期間内に約145点余の錦絵作品を出版し、忽然と浮世絵の分野から姿を消した正体不明の謎の浮世絵師として知られる。
本名、生没年、出生地などは長きにわたり不明であり、その正体については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、1763年? - 1820年?)だとする説が有力となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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4 コメント

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男女そろった大首絵 (地理佐渡..)
2012-09-23 15:27:58
こんにちは。

これまた写楽としましては初見のものです。
役者二人を描くなんて事もしていたのですねぇ。

さて、今週末は稲刈り後半戦の予定で土日共
に仕事をあけていたのに、ダメでした。
まずはコシヒカリがまだ青みを残していると言う
事二つ目として今日が雨であったこと。

一応今日は中でも良さそうな田を一枚やろうと
言う事になっていたのですがダメでした。結局
は昨日朝に田のあぜ道の草刈りをしただけに
留まりました。

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善悪。。。 (紗真紗)
2012-09-23 16:22:39
日本男道記さま^^こんにちは~♪

もう、記憶があいまいですが、
観た?ことがあったような気がしておりまして。

解説を頭に措きながら・・・、
二人が同じ方向を見ている・・・この点が気になりました。

こちらの今日は、珍しく涼しくエアコンなしで過ごしております。
でも、雨はけっこう強く振っております~。(#^.^#)
いつも、ありがとうございます~♪
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Re:男女そろった大首絵 (日本男道記)
2012-09-23 17:52:15
こんにちは!

そうでしたか。
こちらはまあまあの天気でしたが雨では仕方ないですね。
一週間順延でしょうか。

私も、昨日両親の墓参で実家に行って来ました。
故郷は変わっていないようで着実に変わっていました。

当然私より年輩、私が子供の頃に大人だった方がだいぶなくなりました。
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Re;善悪。。。 (日本男道記)
2012-09-23 18:01:07
こんにちは!

関東地方はかなりの雨に様ですね。
水不足のところも少し解消されたでしょうか。

私はスマートフォンのインターネットラジオ良く聞きます。
岡山にいながら東京にいるような錯覚を感じながらきいています。
関東地方のラジオはAM,FM全て聞くことができます。
特に日曜の午前中は、朝6時から文化放送、ニッポン放送、FM東京、TBSと庭の草取りm、清掃をしながら聞いています。
TBSの安住アナが番組の中でかなり雨が強く降っていると放送していました。
紗真紗さんはラジオは聞かれますか?
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