
道標は古くより旅人の道しるべとして、石等に里程や方向を示し、三叉路の路傍に立てられたものです。
現在は全国画一化され道路標識にとって代わられ、道端に忘れられた様な存在になっています。
散歩・ドライブの途中気をつけてみると、今なお大切に残されている道標を見かけます。
私はなぜか風雪にたえ人々の往来を見守り続ける道しるべにひかれます。
道標シリーズ第五十三段。
・所在地 岡山県倉敷市亀山三ノ割 位置図
・建立年 文政五年(1822)
・導(しるべ) 左 いずも(出雲)大せん(大山)みち ま川山(松山)阿しもり(足守)みち くらしき(倉敷)みち
右 四国こんぴら(金刀比羅)みち ゆ可(由加)志もむら(下村)みち あまき(天城)みち
・寄付者 窪田吉平
・撮影日 2005/12/24
・メモ
高さ139センチ、正面の上部に弘法大師坐像を浮き彫りにしている。
約180年前のもの、よく保存されている。何故か嬉しくなる。
遠く山陰の出雲、大山、四国の金毘羅をも案内している。
今は細い道であるが四国往来への主要道であったのだろう。
なお導(しるべ)にある「ま川山(松山)」は四国の松山でなく、現在の岡山県高梁市を指している。


現在は全国画一化され道路標識にとって代わられ、道端に忘れられた様な存在になっています。
散歩・ドライブの途中気をつけてみると、今なお大切に残されている道標を見かけます。
私はなぜか風雪にたえ人々の往来を見守り続ける道しるべにひかれます。
道標シリーズ第五十三段。
・所在地 岡山県倉敷市亀山三ノ割 位置図
・建立年 文政五年(1822)
・導(しるべ) 左 いずも(出雲)大せん(大山)みち ま川山(松山)阿しもり(足守)みち くらしき(倉敷)みち
右 四国こんぴら(金刀比羅)みち ゆ可(由加)志もむら(下村)みち あまき(天城)みち
・寄付者 窪田吉平
・撮影日 2005/12/24
・メモ
高さ139センチ、正面の上部に弘法大師坐像を浮き彫りにしている。
約180年前のもの、よく保存されている。何故か嬉しくなる。
遠く山陰の出雲、大山、四国の金毘羅をも案内している。
今は細い道であるが四国往来への主要道であったのだろう。
なお導(しるべ)にある「ま川山(松山)」は四国の松山でなく、現在の岡山県高梁市を指している。


私は岡山大學環境工学環境研究科に所属している留学生です。名前は黄来鳳(こう らいほう)と申します。現在日本の近世以前(古代~江戸)の道標について修士論文を作成しています。道標の情報を収集している時、よく貴方のブログを目にかかります。とてもいいブログだと感じました。とくに道標の部分にはとても研究に役に立ちます。このたび道標の研究についていくつか質問がありまして、ご意見を頂ければと思いましてメールをさせていただきました。唐突で、申し訳ございません。
ご返事を楽しみにしております。(hy8282000@yahoo.co.jp)
最後になりますが。ご健勝のことを心から申し上げます。
コメントありがとうございます。
貴兄のアドレスにメールを送付しましたので、ご覧ください。
よろしくお願いします。
子供が学校で【道しるべ】について調べる宿題が出たので、この記事を参考にさせていただきました。
とても助かりました!
学校の宿題ですか、良い宿題ですね。(笑)
微力ながらお役にたてて嬉しいです。
わざわざありがとうございました。