3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
since 2008.4.4

Time waits for me

2009-09-15 21:47:33 | 徒然
よくさあ、本日でブログ一周年ですとか書くじゃん。
あれって結構見てる側にとっては結構どうでもいい事だよな。
あちら側のテンションについていけないって言うか、温度差を感じるよな。
ブログが一周年を迎えたって事実に対して。

かく言う俺は、気づいたらこのブログは一年なんてとうに過ぎていた。
どうでもいいんだけどね、そんなこと。
当初はすげえ頻繁に書いてたんだな。
調子に乗って一日二個とか書いてるときあるし。やりすぎだろ。

当時は相当暇だったのか(有力)、
それともこれを書いている今よりもブログに対して情熱を持っていたのかどうかはもう忘れたが、
とにかくなんやかんやしてるうちに、地球は400回くらいは回ってしまった。
少なくとも俺はまた歳をとっていた。

けどこれを書いているのは今の俺だから、
これから地球が何回回ろうと、知った事は無い。

この日記も一瞬にして過去の産物になり、
今の俺は遠い昔の存在になり、
夢描く未来の俺は着実に現在の俺へとなっていく。

これを何回も何回も繰り返して、ここまで来て、これを書いている。

昨日、「明日、朝起きれるか」と心配していた当時未来の俺なんてはるか昔の事。
もう既に刻一刻と明日の俺が迫ってきている。

過去→現在→未来、この時制の直線は途切れる事は無い。
途切れる事は無いというより、常に現在の時点から動く事は無い。
過去というものは当時の現在であり、
未来なんてものも直ぐに現在になる。

つまりは動けるところはこの刻一刻と過去になりつつあるこの現在という、今だけだということだ。

こんな下らない日記を書いている今という時間も進行形で過去になっていく。

しかし、この日記を書いているという現在の行為は過去にはできない。
もちろん未来にもできない。
何故かというと、未来に書いたものはそれは既に未来ではなくなっているからだ。
それは既に現在となっているからだ。

つまり全ての事は現在にしか出来ない。
未来に総理大臣になろうとしても、総理大臣になるのは自分にとっての現在にしかなれない。
果たしてどれだけ凄い事を未来にやろうと考えたとしても、
結局は動けるのは現在であり、凄い事を実行しているのは現在である。

もちろん、その現在も進行形で過去になっていく。

だから過去も未来も現在だと考えるようにしている。

現在、これを書いている俺が、未来から見た過去の俺だし、
これを書いている俺が、昨日から見た未来の俺だ。


だから、現在の一秒一秒が俺だと思うようにしている。


これからどれほどの人生を送るかなんて知ったこっちゃ無いが、




俺は、今、自宅のパソコンの前で、日記を書いています。


とりあえず、今のところ、これが俺の全てだ。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。