山横目のブログ

日々のつぶやきや旅の忘れじを書き綴ります。

師走の弘道館

2020-12-16 15:13:18 | 日々、つぶやき(2)
12月16日 今日は格別に冷え込んだ。水戸の最低気温はー5℃まで下がって、冬晴れの寒い日になった。久しぶりに自宅マンションと目と鼻の先にある弘道館を訪れた。弘道館の入場料が2倍に跳ね上がってから構内に入ることはなかったが、早咲きの梅が1~2輪咲き出したとツイッターにあったので、中に入って写真に撮ろうと思った。実はシニア料金(チケットにはシルバー料金と書かれていた)で半額(200円)になることも予めわかっていたのだが。

梅は南側の日当たりの良いところで咲き出していた。つぼみが膨らんでいる枝もあったので正月頃には咲き出した梅が見られることだろう。今日弘道館の中で気が付いたのは、高校生らしい子供たちの集団も含め見学客が結構来ていたことだった。建物や庭、展示品などは依然と何も変わっていないのに。案内係らしきおばさんもいて、値上げしたのも関わらず賑わっていた。



弘道館の廊下の傍の展示棚に武田耕雲斎の書画が展示してあった。武田耕雲斎は9代水戸藩主斉昭の尊王攘夷思想を支えたブレインで、弘道館の創設から関わって水戸学の教育に力を注いだ。幕末の混乱時には水戸天狗党の党首として悲惨な運命を背負った。

弘道館の玄関を出ると向かいの二の丸入り口には大手門が、袖部分の塀も含めて復元されていた。新しくてピカピカの門もなかなか見ごたえがあってよいものだと思った。門の両側に伸びた塀の中身は鉄筋コンクリート製だが、見た目は板張塀と漆喰づくりとなっているところがミソ。

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棚倉町(福島県)の城址めぐり

2020-12-04 19:19:28 | 日々、つぶやき(2)
12月4日 朝は冷え込んだが冬晴れの良い天気になった。今年は秋になってから、暇と天気(陽気)を見ながら戦国時代に佐竹氏が攻防戦を繰り広げた城跡巡りをしている。今日は水戸から北へ88㎞、佐竹氏の北の最前線となった棚倉町(福島県)の赤館城址を訪れた。
赤館城のある台地は南へ流れ出す久慈川と北へ流れ出す阿武隈川の分水嶺になっている。鎌倉時代には伊達氏の飛び領地となっていたが、室町時代になると白河氏の支配下になっていた。戦国時代になると金を産出していた依上保(茨城・大子町)の領有をめぐって白河氏と佐竹氏の間で争いになっていた。戦国時代の後期になり、勢力の拡大とともに依上保を奪取した佐竹氏は勢力を北に向け、棚倉町の赤館城を攻略した。赤館城から3㎞ほど手前にある寺山に攻略のための城を築き、白河氏と対峙した。白河氏は伊達氏に支援を求め、赤館城を舞台にたびたび合戦となった。1574年佐竹義重と白河義親は和睦し、以後佐竹氏が秋田へ移るまで佐竹氏の居城となった。
(赤館城址)
(城址からの棚倉市街地)

佐竹氏が秋田へ移った後は赤館城は廃城となり、江戸時代になって市街地の中の平地に城が築かれた。帰りに立ち寄ってみた。亀ヶ城と呼ばれた、こじんまりした城だった。四方を長さ500m、幅30~40mの堀で囲まれた堅固の城だった。石垣はほとんど築かれなかったが、高さ10mほどの急な土手が本丸の周りを囲っていた。本丸の天守は戊辰戦争の時に焼失した。
桜の季節には、お堀と桜の美しい景色が見られるとのこと。今日はお堀のほとりで羽根を休めるカモが見られた。


南東側の追手門の外に、築城前の神社の時代からあったとされる欅の古木が残されたいた。紅葉はすでに終わり、葉が落ちて冬の姿になっていた。

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