山横目のブログ

日々のつぶやきや旅の忘れじを書き綴ります。

ジョグジャカルタへ

2014-10-28 15:41:57 | H26インドネシア
アディスチプト国際空港(1)
7月9日 ジョグジャカルタへはクアラルンプールよりエアアジアで飛んで来た。国際空港と言っても平屋の小じんまりした空港だ。飛行機からタラップを降りて50mほど歩くと建物に入れる。入ってすご横にビザの券売り場があって35US$を払って、アライバルビザの券を購入した。前に並んでいた欧米人の若いカップルはクレジットカードでの支払いを試みようとしたが、ATMの場所を教えられたようだった。



(入国ビザ 35$)
平屋の国際空港と言えば、たぶんカンボジアのシェムリアップやラオスのルアンバパーンの空港が平屋だったような気がする。いずれも有名なな世界遺産の町である。平屋の小じんまりした空港は、昔の日本の鉄道駅のようで妙な親しみを感じ、なんとなくホッとする。逆に最近造られた近代的なターミナルは、殺風景で親しみが湧かない。まして、エアコンが寒いくらい効いていると、再び外に出たくなる。

この空港の玄関前をジョグジャからソロへ向かう鉄道が通っている。車道には大きな踏切があって、後日寄った時には貨物列車が通過中だった。歩行者は地下道をくぐってバス乗り場へ行くようになっている。そちらに大きな駐車場があって、トランスジョグジャのバス乗り場などがある。



ジョグジャカルタの街(2)
7月10日からジョグジャカルタに滞在しています。世界遺産のプランバナンとボロブドールに行ってきました。ネットの接続に悪戦苦闘苦闘してこのブログを書いています。
プランバナンでは日本語学校の学生さんが無料のガイドをしてくれました。ありがたいハプニングに感謝!。
ボロブドールでは、巨大な石造物に圧倒され、先人の信仰の深さに感動しました。昼間の遺跡巡りはさすがに暑く、汗だくです。
(マリオポロ通りの人混み、馬車と車など)






ボロブドゥール寺院とギターを持った若い弾き語り人(3)
7月11日 ボロブドゥール寺院へ向かう。ボロブドゥールへはジョグジャカルタの北のバスターミナル・ジョンバルから路線バスで行けるとガイドブックに書いてあった。ジョンバルバスターミナルへはトランスジョグジャを乗り継ぐと行けそうだ。ホテルのあるマリオボロから1Aに乗り、途中で2Bのバスに乗り換えると終点がジョンバルバスターミナルである。バスターミナルに着くとバスの車掌と思われるお兄さんが呼び込みをしていた。「ボロブドゥール」と言うと乗るバスを教えてくれた。


 
出発まで少し時間があるようだったが、そこへギターを持った若い青年が乗り込んできて、歌い始めた。なかなかソフトでいい声で歌っていた。歌い終わると紙コップ持って、ぐるっと回りお金を集め始めた。さてどうしたものかと思い、他の人たちの様子を見ていた。全員お金を出すわけではなさそうなので、ちょっとお兄さんには悪いが知らんふりをした。途中のバスターミナルへ到着した時も同じように、流しのお兄さんが乗り込んできて歌っていた。この時は500Rpコインを渡した。ボロブドゥールからの帰りのバスでも同じようのギターを持った若者が乗り込んできて歌っていた。
 
ジョンボルバスターミナルへ着く少し前のバス停から若い二人の女性が乗り込んできて、走っているバスの中でデュエットを始めた。何となく物悲しいメロデーで聞き惚れてしまった。フォークソングの様で歌謡曲の様な、ゆっくり流れる旋律を透き通るような声で歌っていた。そう言えば、昔「ブンガワンソロ」という曲が日本で流行ったことがあったのを思い出した。「ソロ」は隣町のソロのことだ。
片方の女の子が小さな紙袋(ぽち袋)を乗客に渡していた。表に何やら文字が書いてあった。よく見ると同じ文句の繰り返しの部分があったので、歌詞のようだ。歌い終わり、このぽち袋にコインを数枚入れて渡した。
途中の道路の交差点では、信号待ちをしている車の前の横断歩道で、スペインのフラメンコのようなパフォーマンスをしてお金を集めている女性がいた。行きも帰りも同じ場所で出会った。
マリオボロ通りのモールでもギターを持って弾き語りする人を何回か見かけた。歌や踊りはこの街の人々にとって楽しみであり、自然に受け入れられているのだろう。
ボロブドゥール遺跡







(ボロブドゥール手前のムンドッー寺院とパオン寺院の壁画とレリーフ)






 
プランバナン寺院と日本人学校の学生さんたち(4)
今回の旅行では、事前にツアーを全く予定に入れなかった。時間があったら現地のツアーを予約しようと思い、行き当たりばったりの旅にした。
7月10日プランバナンの遺跡には便利な循環バス・トランスジョグジャで行くことにした。1Aのトランスジョグジャに乗り終点で降りる。ホテルのあるマリオボロから40分程かかって11時ごろプランバナンに着いた。大通りを横切って、場内に入るとすぐに後ろから日本語で呼び止められた。可愛い3人の女の子たちがいた。スラバヤの日本語学校の学生さんたちで、日本語の実習のためガイドをさせてくれと言ってきた。もちろん無料とのことだった。快くOKした。彼女たちは一生懸命に、ヒンズーの神々や壁面に刻まれている叙事詩・ラーマヤーナ物語を説明していた。お互いに写真を取り合い結構楽しい時間が過ぎた。このようなハプニングが起こるので、一人旅も捨てたもんではないと思った。何か飲み物を御馳走しようとしたが、ラマダン中とのことで断られた。
 
彼女たちは将来、日系の企業で働きたいと言っていた。インドネシアも間もなく経済が成長して行くだろうし、彼女たちにとって豊かな暮らしが待っているのかもしれない。公園内の他の二つのお寺を紹介してもらい、出口で別れた。
ラマダンの時期に限らず、街中ではコンビニなどほとんどの店ではビールを売っていない。レストランでも夜にならないとビールを飲ましてくれないが、観光地は別である。近くのみやげ屋で冷たい缶ビールでのどを潤し、帰りのバスに乗った。



ジョグジャカルタの交通事情(5)
古都ジョグジャカルタの混雑状況はそれほどひどくないが、ペチャと呼ばれる自転車タクシーや4~5人乗りの馬車が走っているのには驚いた。勿論、バイクの数は結構多い。タクシーや乗用車、バス・トラックの数も多いが、信号が大きな交差点にしかないので、結構スムーズに流れている。道路には横断歩道が所々にマーキングしてあるが、信号がないので道路の横断は要注意である。信号のある大きな交差点でも、左折や、右折してくる車は自由なので、途切れるまで横断歩道の中央部で待つしかない。歩行者は優先していませんからと言っているようだ。
試しに、パトカーの前を横断しようとしたら、止まったので、事故のない範囲で気を付けるようにと言うことのようだ。歩行者を最優先する考え方はないようで、自己責任の意識が主流のようだ。
もう一つの気になったのは、乗合バスの大きさだ、どのバスも日本の田舎で見かけるコミュニティバスと同じぐらいの大きさだ。椅子が20席ぐらいで30人も乗れば満員となる。今回、トランスジョグジャという3000Rpでどこまで行っても乗り放題のバスをよく利用したが、このバスも小回りの利く小型バスだ。
8路線あって市内をくまなく循環している。途中、どこで降りたらいいか分からなくなっても、終点で下されるかそのまま乗っていれば元に戻ってくるので、旅行者にはありがたい。

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ジョグジャカルタの街中散歩

2014-10-28 15:19:59 | H26インドネシア
トランスジョグジャの乗り方(1)
市内の循環バス・トランスジョグジャの大きな特徴は、バス乗り場が鉄道の駅を小さくしたような造りになっていることだ。つまり、プラットホームがあってその脇にピッタっと停車させる。その小さな駅舎に乗車料金3000Rpを払って入り、バスを待つ仕組みだ。便利なところは、バス停が同じなら、他の路線から乗り継げることだ。しかし、乗り継げるバス停は一方通行が多い道路なのでそれほど多くない。

トランスジョグジャの路線は1A,1B、2A,2B、3A,3B、4A,4B の8路線あって、それぞれ違う循環ルートを走っている。市内の繁華街マリオボロから1Aに乗ってプランバナンへ行けるのだが、マリオボロ通りは南行きの一方通行で、帰りは別な通りを廻ってマリオボロ通りへ戻ってくるようになっている。最初はちょっと戸惑うが、わかればさほど難しくない。1,2,3,4、と路線を分けているのは、循環して元に戻る駅、つまり、基点駅のことのようだ。基点駅では運転手がトイレに行ったり、時間調整のためしばらく停車する。

1Aは町の東の端、プランバナンを起点に循環するバスのことで、1Bは似ているがプランバナンには寄らず市内だけを循環している。2の路線は北西の端にあるジョンボルバスターミナルを基点にしている。3,4番の路線は南の端にあるギワガンバスターミナルと北東部のコンドンカツールを基点に循環している。3,4番のバスには乗っていないので勝手な解釈ですが。

バスは一方通行路は比較的安全に走行するが、右折をしたり、きわどく乗用車が接近したりして、急ブレーキをよくかけるので、立っているときは前をしっかり見て、つり革につかまっていないと危険だ。バスに乗ると、車掌や乗客が「椅子が空いているので座ったら!」とすぐ勧められる。最初は善意で言っているように思ったが、よく考えると、空いている席があれば座った方がはるかに安全のようだ。マリオボロ通りのように一方通行でペチャや馬車が道路わきを走っていた方が、バスも速度を落とすので安全なようだ。


ラマダンの最中(2)
7月はイスラム教のラマダンの月である。ジョグジャのホテル周辺では、朝3時ごろにスピーカーから祈りの声が響き渡る。4時ごろになると一緒に人々の祈りの合唱も聞こえてくる。とてもゆっくり、寝ていられる状況ではないので、こちらも起きてしまう。しばらく人々の合唱を聞いていると、こちらも何かお祈りをしないとバチが当たりそうになってくるから不思議だ。夕方7時ごろからも同じような祈りが始まり、1時間ほど続く。


この期間は朝食が済むと、日没まで水も食事も口にしないと、プランバナンで無料のガイドをしてくれた日本語学校の学生さんたちが言っていた。ホテルの近所のサークルKで午後2時ごろ、昼食の買い物をしたら、カウンターの男の子がニヤニヤしながら何やらブツブツ言っていた。マリオボロの食堂なども昼間は開店休業で客は全くいない。外国人だけはそれらしい店で食事をしているくらいだ。
ボロブドゥールの遺跡公園内の食堂も訪れる客はほとんどいなかった。開店休業状態だが観光客向けにビールは置いてあった。缶ビールを注文したが、食事をしきりに誘っていた。「ラマダン」と言って断ったのだが、店の主人は笑っていた。ちょっと失礼だったかもしれない。

 
フンデブルグ博物館(3)
マリオボロ通りの王宮前交差点にフンデブルグ(Vredeburg)博物館というのがある。交差点の角には独立戦争を戦った戦士たちの像がある。建物前の入り口広場に白いプリメリアの花が咲いていた。この花はほんのりいい香りがする。赤や黄色い花のプリメリアもあって、ラオスの国花になっている。スラバヤへ移動する列車の窓から見ていて気が付いたのだが、この国では墓地に必ず白いプリメリアが植えてあった。


 
この博物館はオランダの植民地時代や、その後の日本統治時代、そして太平洋戦争後のオランダとの独立戦争の様子を詳しく伝えている。その経過の一コマごとをジオラマで紹介している。小・中学生が遠足などでよく訪れているようだ。外国人にとっても分かりやすくて勉強になる。
日本軍による占領時代のコーナーもあったので、英語の説明文を必死で読んでみると、悪者扱いされていないのがわかる。当時、学校で子供たちを集め、授業の始まる前に体操をすることや帽子をかぶること、奉公精神(Hokoseisyin)などの生活習慣を教えたと書かれてあった。インドネシアの独立戦争では多くの残留日本兵がインドネシア軍と一緒になって、オランダ軍と戦ったことはよく知られている。

 
現在では多くの日本企業がインドネシアに進出している。個人的な関心事ではあるが、この旅行のプランを立てるのに参考にした情報は、ダムの調査・設計を専門に行っている会社に勤め、長くインドネシアに滞在した人のブログをよく読ませてもらい、情報を得た。鉄道の情報などは大変参考になった。


 
鉄道のターミナル駅・Tugu駅(4)
ジョグジャカルタの鉄道のターミナル駅となっているのがTugu駅だ。古く、由緒のある駅で駅舎も立派だ。独立戦争に勝利した時、スカルノ大統領が列車から降りてきて駅前広場で歓迎されている様子が、博物館のジオラマで紹介されていた。駅舎も全くその当時のままだった。
(Tugu駅)


駅の中はそれほど広くなく、片隅に切符売り場があった。しかし、急行列車の座席を予約するのはここではなく、まったく別な場所にある。手前の踏切を渡って、線路の南側の道路に面した駐車場の一角にあった。中には10人ほどが椅子に座って順番を待っていた。予約表に必要事項を記入して窓口に持っていくと、「ナンバー」はと聞かれた。はて、何のことだろうと思い、指差された玄関に行ってみると、テーブルの上に千枚通しに小さな紙切れが束になって刺してあった。紙の中央に数字が書かれていた。どうやら順番札のようだ。係員はいたって丁寧に対応してくれ、ほどなくスラバヤ行きのチケットを手に入れた。イグゼクチィブクラスで200,000Rp(2,000円)だった。この座席以外にビジネスと言うクラスがあって4人が向かい合って座る座席もあった。
(駅発着の急行列車の時刻表と予約センターの待合所)


 
Tugu駅を発着する急行列車はおよそ20本ほどあって、その予約状況もモニターに映し出され、確認できるようになっていた。ちなみに私の乗る日曜日のSancaka号は空きがあったが、前日の土曜日はゼロだった。
(スラバヤ行のチケット)

出発当日の朝、予約したチケットを見せ改札を通ろうとしたら、インドネシア語でまくし立てられた。何のことかと思っていたら、後ろのオバサンが「ID」、「ID」と教えてくれ、パスポートを提示した。どうやら私の顔や姿がインドネシア人に近くなってきていたのだろう。
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秋の北茨城・五浦海岸

2014-10-22 10:18:12 | 日々、つぶやき
いわき市へ行く用事の途中で北茨城の五浦海岸、六角堂に寄ってみた。岡倉天心が日本美術院をこの地に移し、明治の日本画家、横山大観や菱田春草などをこの地に呼び寄せたそうだ。近くにこれらの画家の作品を展示した美術館もあって、日本画を堪能できる。近くのアンコウで有名な平潟漁港の写真も添付します。
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フエのバイタク運転手

2014-10-20 13:11:37 | H26 ベトナム
フエでは1日バイタクに世話になった。朝からいい天気で、トゥドック帝を目指して、バイタクかタクシーの安い方で出かけようと思ってホテルを出た。玄関を出たらすぐ数人のバイタクの運転手が集まってきた。交渉の末、トゥドック帝とポンチェン寺院を巡り、昼ごろまでに戻って来てブン・ボー・フエの店まで連れて行ってもらい、$15で話を決めスタートした。これ以外に廟の入場料とポンチェン寺前の川を往復する舟代10万ドンが別途かかる。12時前にブン・ボー・フエの店に到着し、今日はフィニッシュと言って30万ドンを渡し別れた。
食事が終わって、ガイドブックを広げ店の女の子と次の行き先を探し始めた。そこへ、先ほどの運転手が飛び込んできた。店の外で私の食事が終わるのをちらちら見ていたようだ。川向かいのドンバ市場行きを強く勧めてきた。強く勧める場所は何か理由がある訳で、気乗りがしなかったが王宮横の博物館に寄った後で市場へ$10(20万ドン)で行くことにした。
王宮博物館はちょうど昼休みの時間だったが、開いていて勝手に入って見学した。庭の木陰でトゥドック帝のおみやげ屋で買ってきた、地元写真家の撮った美しいフエの風景写真を見ながらくつろいでいたら、またバイタクの運転手が来て、早く市場に行こうと誘った。仕方がないので言われるままに市場に行くと、市場の2階の小さな衣料品屋に連れて行かれ、山のような衣料品を$70とか$80で買う様に騒いでいる。かなり強引な押売り攻撃だった。Tシャツを1枚だけ買って、逃げるように市場を出た。もちろんバイタク代は払っていない。気分が悪かったのでバイタク代を踏み倒してしまおうと思った。
夕方、夕食に出かけるためホテルを出ようとしたら、朝と同じように玄関で先ほどの運転手に出あってしまった。「バイタク代を払わず逃げたので$100払え」と言ってきた。「買いもしない店に連れて行ってべらぼうなことを言うな、お前だってわかっているだろ、$10なら払う」と言い返した。$10でいいので払ってくれということで話がついた。握手をしながら、夜はシクロの運転をしているので乗っていかないかと言った。昼はバイク、夜はシクロで夜遅くまで働いているのには感心してしまった。毅然として約束したお金を払う様に請求してくるのも、気に入った。
去年も感じたのだが、フエの人たちはある種のプライドを持っている。ホーチミンの卒業した大学があるのとベトナム戦争時サイゴン政府の政策に反対し、焼身自殺をしたティェンムー寺院の住職がフエの誇りだと去年ガイドをしてくれたベトナム人青年が言っていた。グエン朝の王宮があって、ベトナムを支配していた歴史も彼らにとっては精神的な支えとなっているのだろう。
ダナンとフエの間には海に突き出るように高い山になっており、ここで気候が激変する。人間性もずいぶん変化するようだ。
  
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Webサイトを使った新手の犯罪に注意

2014-10-19 17:41:53 | H26 ベトナム
10月14日に遭遇したヒッタクリについては、ベトナムの日本人向けWebサイトでいろいろ報道されていますが、どうやらつじつまの合う結論に近づいたのではないかと思っています。日本人の感覚からすると、どうも理解できないことが多かったのですが、ことの起こりは昨年12月にベトナム旅行をしたときに「アメーバブログ」に旅行記の様なものをupしました。そこへ「きじとび」という読者がコメントをしてきました。「なかなかいい文章ですね」といった始まりでした。この人はベトナム人か日本人かよく知りませんが、ベトナム語で住所を書いてくるのでおそらくベトナム人でしょう。
10月5日からにダナンに旅行することを、このサイトにアップしたら、カンハツを入れずコメントを入れてきました。

ダナンの、「ダナン博物館」(Bảo tàng Đà Nẵng, 78 Lê Duẩn Thạch Thang, Hải Châu)も覗いてみて下さい。近くに「串焼 蕃二郎(ばんじろう)」(xien nuong banjiro, 23 Nguyễn Chí Thanh, quận Hải Châu, thành phố)もありますよ。
(ホイアン) ホテルの貸自転車で「谷弥次郎兵衛の墓」を訪ねてみて下さい。旧市街とクアダイビーチの中程。水田の中にあります。

それから(ホイアン) 日本人経営の「U Cafe」(Huyen Tran Cong Chua, near Tran Quang Khai | Thanh Nam, Cam Chau)にも寄ってみて下さい。
臼田さん(♀)がいますよ。動画「世界ナゼそこに?日本人」・・・

となっていました。

これらは恐らく、ヒッタクリか強盗をする場所の指定です。たぶんいちばん危なかったのが、ダナンの何とか二郎という店です。ここには行きませんでした。彼らはホイアンの日本人墓地近くの道路でひったくりを実行してきました。臼田さんのcafeには行きましたが、時間を言っていなかったので計画できなかったのでしょう。この川沿いの道路もヒッタクリをするのには良い場所です。

よくわかっていないのが警察との関係です。「犯罪者と警察」どこかでつながっていれば、このストーリーは成立します。
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