山横目のブログ

日々のつぶやきや旅の忘れじを書き綴ります。

春本番へ

2019-03-27 15:32:49 | 日々、つぶやき

3月27日 今日は朝から晴れて、南風が入り気温が上がった。水戸の桜も咲き始め、春が本番になった。ミャンマー・台湾旅行から帰って、少し寒い日があったためか、のどの痛みを再発していたが、今日は久しぶりに春の県民の森に出かけた。

この時期、那珂川ではサケの稚魚が一斉に川を下り、はるかな旅に出発する。水府橋の近くでも2~3㎝ほどの稚魚が20匹ほどの集団で、徐々に河口に向かって移動する様子が見られる。稚魚の横腹に独特の模様が見られ、ボラなどの稚魚と見分けることができる。

那珂川の水面には、カモやカワウなどのいつもの水鳥に交じって、珍しい鳥も見ることができる。今日はカンムリカイツブリと思われる3匹の水鳥を見かけた。那珂川の堤防では菜の花が咲き始め、お花畑になっている。

   

県民の森では、早春の花が咲きだしていた。コブシ、マンサク、トサミズキがいつも見かける花だが地味に咲いているのが、ヒサカキ、木いちごの花、アケビの花など。

  

  

県民の森ではショウジョウバカマが、この時期一番の見ごろとなっている。イノシシがそこいらじゅう掘り返し、木の根や植物の球根を食べ尽くしているが、このショウジョウバカマは被害を受けていない。おそらく、根に毒でもあるのかもしれない。

  

早春のチョウも飛び始めていた。羽が痛んで越冬したと思われるチョウもいる。キタテハ、ヒオドシチョウ、ルリタテハ

   

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旅行中の体調管理

2019-03-21 09:18:52 | ミャンマー旅行H31.3

今回のミャンマー旅行では、珍しく体調を崩してしまった。2月21日真冬の水戸を出発して、バンコクのドンムアンに3泊し、体を暑さに慣らしてからミャンマー入りしようと考えていたが、急激な温度変化に体がついていけず、風邪をひいてしまった。バンコクの温度は最高気温が33~35℃で夜も25~27℃で暑く、エアコンを付けっぱなしで寝た。これが原因でのどが痛みだした。バンコクの汚れた空気ものどを痛めた要因かもしれない。むしろ、早めにバンコクを脱出して、エアコンのいらないマンダレーへ行くべきだったのかもしれない。

(成田空港のノックスクート機とドンムアン駅の列車)

 

マンダレーではホテルの部屋を窓なしにしていたのが正解で、夜でも24~25℃とエアコンなしで快適に眠れた。昼間は外の最高気温が30℃ぐらい、乾燥していて蒸し暑さはなかった。ただ、トゥクトゥクで観光地巡りに出かけると、咳が出て痰が止まらなかった。体もだるく本格的な風邪の状態になった。だがこの時点でも食欲はしっかりあって、ホテルの朝食はしっかり食べていた。

体にとっていいこともあった。ここ3年ほど冬になると手の指の関節が痛むようになった。今年は右手の中指と親指の関節が痛みだしていた。腰痛の調子も良くなく、夜寝ていて腰の付け根が痛む時があった。これらの痛みがマンダレーに着くころにはほとんど治っていた。温泉に入ったように、暖かい気候で痛みが引いたのだろう。

(マンダレー市内を走るトゥクトゥク、バガンへ移動するとき乗ったOKバスとミャンマーで活躍している日本の中古バス(これは神奈中のバス)

 

マンダレーに2日滞在して、バガンに到着した時点でも風邪の具合は変わらなかった。バガンはマンダレーより気温が少し上がっていた。それに加え空気が乾いていて、風が吹くと砂ぼこりが舞っていた。バガンでは風邪に加え、腹痛が始った。食欲もなくなった。午後から下痢が収まったのを待って、eバイクを借りてお寺巡りに出かけるような状況だった。この時は、帰りに1週間ほど滞在を予定していた台湾旅行を切り上げ、日本に戻ろうかとも考えだしていた。ただ、ネットの繋がり具合が悪く、航空会社の検索・予約までたどり着けなかった。

3月2日にインレー湖のあるニャウンシュエに着いた頃から、快方に向かいだした。ニャウンシュエの気温は朝が18℃で昼でも30℃以下だった。また、湖の近くでそれほど乾燥がひどくなかった。ニャウンシュエに着いて2日目で下痢も治まってきた。食欲も出てきて、ミャンマー独特の甘酸っぱいタレの味がおいしく感じられるようになってきた。

(ホテルの窓から見たニャウンシュエの町の朝と一般者向けのスピードボート乗り場)

 

今回の旅行では、風邪薬を持参しなかった。解熱、鎮痛、胃腸用の抗生剤は持って行ったが、いつも家でのどが痛くなった時に使う「龍角散のど飴」は持ってなかった。また、胃腸薬は持って行ったが、下痢には大して効果がなかった。正露丸があればよかったかもしれない。

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ニャウンシェの街並み、市場

2019-03-19 12:41:58 | ミャンマー旅行H31.3

3月2日の午後、インレー湖のあるニャウンシェの町に着いたが、咳が止まらず体調がいまいちだった。翌朝起きたときは、咳が止まって風邪の調子は良くなっていたのだが、腹の調子が良くなかった。こんな日がここ2~3日続いている。天気は連日快晴で、じっとしているのがもったいない気がしたが、しょうがないので3日の午前中は休養し、午後から街中の探索に出かけた。

ニャウンシェの町は東西に延びるメインの道路を中心に街並みが出来ている。西の端はインレー湖へ通じる運河にかかる橋で、このたもとが船着き場になっている。橋の西側にこじんまりして雰囲気のいいレストランがあった。ビューポイントという名の高級レストランだった。昼2時を過ぎていたが客は誰もいなかった。冷房が効いていて快適だった。腹の調子を考えて、野菜のサラダとビールを注文した。メニュー表はすべてUS$表示だった。少し高かったが10ドルを払って外に出た。

(橋から船着き場風景)                  (レストランの有機栽培野菜サラダ)

  

橋からメイン通りを東へ10分ほど歩くと町唯一の信号機のある交差点がある。この交差点の北側が市場になっている。食料品や日常の雑貨を売る店が軒を並べていて、狭い通路は大勢の人で混雑していた。一軒の金物屋があって興味のある刃物が並んでいた。ビールの栓抜きや木の実、クルミを割る道具などが興味深かった。市場の近くのメイン通り沿いには、スーパーがあった。缶のミャンマービールが600チャット、アイスが一本1000チャットだった。

(メイン通り)   (市場内風景)            (刃物屋)

    

市場前の交差点からメイン通りを東に少し歩くと、なだらかな丘になっていて通りの両側には別荘のような住宅地になっていた。その中に「のぞみ」と書かれた看板があった。ミャンマー人の夫婦が経営する日本料理店だった。後日訪れることにして、メイン通りの南側にあるお寺を訪れた。

 

運河や湖を矢のように走っているスピードボートの特徴は、スマートな形と大きなエンジン音だ。このエンジンは容易に傾けることができ、スクリューを水面上に出せようになっている。これは、インレー湖の岸辺近くや水路の一部で水深が浅くなっているためで、水底の地面にスクリューが引っかからないようにするためのようだ。

波のない湖を進んでいるときはいたって快適な舟旅なのだが、風向きによってさざ波の立っている中を進むときは、水のしぶきをもろにかぶってしまう。この時のためにビニール傘が用意されていた。舟にオレンジの傘が並んでいる景色もまたいいものだ。

  

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彰化駅機関車車庫、鹿港

2019-03-15 17:50:44 | ミャンマー旅行H31.3

3月12日 2年前に訪れ、古い街並みやお寺など印象深かった鹿港を再び訪れた。9時半ごろ台中駅から電車で彰化駅に向かった。今日は朝から快晴で気温も20℃を越え、ちょうど日本の初夏の陽気だった。線路の沿線の田んぼはちょうど田植えの終わった時期だった。彰化駅に着いて、駅の北側にある機関車車庫に行ってみようと思った。が、とりあえず先に鹿港に行き、帰りに車庫を見学することにして、駅に近い彰化客運のバスターミナルに行った。最近、高鐵彰化駅が出来て、バス路線が鹿港経由で高鐵彰化駅へ向かうようになっていて、ちょっと変化していた。路線バスに乗る時、行く先の確認に中国名の呼び名も言えるようにしておくことの必要性を感じた。

以前訪れた時がちょうど休館日で中に入れなかった鹿港民族文物館を訪れた。この建物はレンガ造りの福建南部特有の古風楼と明治の洋式建築の2棟が隣り合っていて、各部屋には当時の家具調度品や食器、当時の伝統的な衣服などが展示されていた。中国本土の福建省から移住してきて、台湾で財を成した人物の屋敷が市に寄贈され文物館となり一般公開されている。最近は65歳以上の敬老料金があると、ずうずうしく半額の料金を主張するようにしている。そんな訳で半額の70元の入館料だった。

   

この文物館の南側に丁家大宅という旧家が公開されている。この家も伝統的な福建南部様式の家で、去年訪れた対岸の福州の三坊七巷の旧家とそっくりの作りだった。中国本土との深いつながりを感じさせる旧家だった。

   

そのあと、台湾でも数少ない仏教寺院らしいお寺、龍山寺を訪れ彰化駅に戻った。

機関車車庫へは西口をいったん外に出て、道路を北へ5~6分行き、車庫という標識に従って歩いていき、線路側に向かったところに車庫の入り口がある。入場は無料で入り口で氏名、住所、電話番号などを記入した。ちょうど午後1時からの開場で、午後から訪れたのは正解だった。構内には20人ほどが、思い思いに写真を撮ったりしていた。機関車の回転台など初めて見るものだった。この車庫は現在も運用中ということで、機関庫に停車しているSLなどはすぐにも動きだしそうなリアル感があった。

     

 

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台中駅舎が新しくなっていた

2019-03-11 16:47:36 | ミャンマー旅行H31.3

3月10日 台中に到着した。8日に台湾入りして、礁溪温泉と基隆に一泊づつして新幹線で台中にやって来た。8日の朝、桃園空港に着いてからずっと冷たい雨が降っていたが、台中では雨は上がり薄日の差す天気だった。気温も2〜3℃上って暖かく感じる。ここ3年ほど、毎年この時期に台中を訪れている。ずっと工事中だった台中駅舎がほぼ完成していた。西口の駅舎前には巨大なトンボのオブジェが出来上がっていた。レンガ造りの古い駅舎は以前のまま残されていた。バス乗り場も駅舎が完成して少し変わった。西へ向かう台湾大道をゆく連結バス(イモムシバス)は駅舎の一階から乗れるようになった。高美湿原行などはここから出るようになった。向いが国光客運やUバスなど長距離バスのターミナルになっていた。駅のインフォメーションで新しいバス乗り場と路線番号の書かれたチラシをもらった。

   

3月11日 今日はブラブラと台中の街歩きをしようと出かけた。まず駅の近場の刑務所演武場と言う所を訪れた。戦前の日本統治下の刑務所跡地で囚人鍛錬のためかどうかは不明だが、弓道場などが復元されていた。歴史的遺産の少ない台湾では、貴重なものなのだろう。駅に戻り81路のバスで孔子廟に向かった。着いて見ると今日は月曜日で閉館だった。仕方ないので台中公園まで歩いて戻り、公園の中をブラブラした。公園の中央部分に実がたくさん付いている梅の木を見つけた。木の根元には東日本大震災の義援金の返礼として日本から持ち込んだと言う説明書きがあった。奇しくも今日は8年目の災害記念の日だった。

(刑務所演武場)

  

(台中公園)

   

台中から台北への帰り道は、駅向かいの長距離バスターミナルから國光客運のバスで戻った。2時間半で敬老料金155元だった。台北から来たときは台北の南港駅から新烏日駅まで新幹線自由席利用で725元だった。所要時間は約1時間。それにしてもバスは安いとつくづく感じた。3月8日の日に台北から礁渓温泉にバスで行った時もチケット売り場で年を聞かれ、半額敬老運賃の75元だった。この時はチケット売り場の若い女性係員から日本語で「年は65歳以上ですか」と聞かれ、すっかり気分を良くしていた。

 

 

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