山横目のブログ

日々のつぶやきや旅の忘れじを書き綴ります。

神戸から茨城へ戻る

2022-12-06 09:13:16 | 西国巡礼(令和4年・紀州)
12月2日 紀三井寺の参拝を終えて午前9時すぎに和歌山駅に戻ってきた。ここから快速電車で大阪・西九条駅まで1本で行き、阪神電車に乗り換えて神戸三宮へ向かった。11時過ぎに三宮に到着した。駅の外は冷たい風が吹いてかなり冷え込んでいた。神戸空港へは12時過ぎに到着した。茨城便は13時50分発なので、まだしばらく時間があった。すっかり体が冷え切っていたので、空港ターミナルの3階の飲食店の並ぶフロアーの前方にある日当たりの良いところで日向ぼっこをしながら、離発着する飛行機を眺めていた。
神戸空港を拠点にしている航空会社はスカイマークがメインとなっているが、もう一つ静岡空港を拠点にしているFDA(フジドリームエアライン)も多くの航空機を飛ばしており、日本各地のマイナーな空港と結んでいる。

FDAは年に数回茨城空港からチャーター便を北海道や山陰など日本各地へ飛ばしている。定員が70〜80人乗りの一回り小さな飛行機を使用しており、ツアー料金が結構高額なことや、団体旅行が苦手な個人的理由のため一度も利用したことはない。

神戸空港から約1時間10分のフライトで、午後3時頃茨城空港に戻ってきた。普段の鬱積した日常を離れ、旅という新たな出会いや体験を通し、完全にリフレッシュのできた4日間だった。次の巡礼は3番札所・粉河寺からのスタートとなる。

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2番札所・紀三井寺へ

2022-12-05 13:03:43 | 西国巡礼(令和4年・紀州)
12月2日 和歌山城内を通り抜け、朝8時前JR和歌山駅に到着した。停車していた南方面・箕島行に乗車した。8時15分ごろ紀三井寺の山門前に到着した。
紀三井寺ではこの山門の右側に新たにケーブルカーを設置していた。また、本殿に近いところにはエレベーターが設置されていて、階段を登らず参拝ができるようになっている。紀三井寺は朝8時から参拝や納経所は開いており、9時からケーブルカーが動くようになっていた。ケーブルカーは有料だが高齢者にはかなり歓迎されていることだろう。
朝の早い時間は北側の車道を登るか、階段をひたすら登るしかないが拝観料は無料となっていた。そんな訳で230段もの急な階段を途中休み休み登っていった。
途中の踊り場の隅には、かなり古そうな如意輪観音像の石碑があった。休憩かたがたここもお参りをしていく。この如意輪観音像の石碑の少し小ぶりのものは、私の実家の墓で2〜3像見かけていた。
石垣に積まれている石にも特徴があった。細長い長方形をした平べったい石を横方向に積み重ねていく石垣になっている。この石垣は和歌山城の城壁でも見かけた。ネットで調べてみると和歌山の青石と呼ばれ、塀や蔵などの建築物にも利用されているとのことだった。紀三井寺の石垣も奈良時代か平安時代頃にこの丈夫な石を使用して積み上げられたのだろう。
紀三井寺の本殿は救世殿と呼ばれていて御朱印帳も救世殿と書かれている。御本尊は十一面観音像となっているが、境内の南に造られた新しいお堂の中には金ピカの巨大な千手十一面観音像が祀られている。

高台となっている境内から西側に見る和歌山湾の景色もまた格別。


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和歌山城風景

2022-12-05 12:08:29 | 西国巡礼(令和4年・紀州)
12月2日 朝は薄曇があったがのち晴れる。昨夜は和歌山市駅に近い安ホテルに宿泊した。この日も駅の1階にあるスーパーでお惣菜と地酒を購入して、ホテルの部屋でミニ宴会をした。さすがに疲れが出てきたせいか10時過ぎに寝てしまった。おかげで朝は4時半頃目が醒め、テレビで日本の勝利をしっかり見届けた。
今日は朝から徒歩で和歌山城の中を通り過ぎ、JR和歌山駅から2番札所・紀三井寺を目指す。その後神戸に戻り、神戸空港から1時50分発の茨城行の飛行機で戻る予定にしている。
ホテルを7時前に出発し、朝日の登り始めた和歌山城の北門に20分ほどで到着した。
和歌山城は御三家にふさわしく広大な敷地に立派な堀をめぐらした名城だった。戦前には国宝に指定されていたが、戦争で焼失し、堀も一部は埋められた。戦後鉄筋コンクリートの天守閣が造られ、以前の姿を取り戻した。
大手橋を渡り本丸への長い階段を途中まで登り、市街地を一望して岡口門から城の外に出た。
この岡口門だけが唯一燃えずに焼け残り。古いお城の面影を残す構造物となっているそうだ。



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峰の湯温泉

2022-12-04 10:44:03 | 西国巡礼(令和4年・紀州)
12月1日 午後1時過ぎに熊野本宮大社から龍神バスで峰の湯温泉に到着した。途中、熊野山中の林道のような曲がりくねった道路を大型バスがスイスイと走ってきた。運転手の腕はかなりのものだった。
温泉街の中央を小川が流れており、川沿いの両岸に20軒ほどの旅館が軒を並べている。古い温泉街の原型のような風景となっている。川の傍から温泉が噴き出していて、卵を茹でることができるようになっている。
温泉の歴史は古く、熊野詣の人々がここでお湯に入り、禊をしてから熊野本宮へ向かったとされている。帰りに疲れを癒やしてお湯に入った人もいたことだろう。時宗の教祖一遍上人の縁の地であったり、小栗判官の伝説が残されていたり、熊野山中秘話に触れることのできる温泉である。ちなみにつぼ湯と呼ばれる河川敷に作られた風呂は小栗判官が傷を癒やしたところとなっている。この日は次々とお湯に入る人がいて、外で並んで待っている状態だった。若い女性に混じって外国人の姿もあった。
つぼ湯の他に一般の人向けに公衆浴場があるが、利用客はまばらだった。
私は3個150円の玉子を買って、川底の茹で場でゆで卵にして缶ビールのつまみにして食べた。玉子の殻は持って帰るようにと厳しく言われた。
温泉を散策したあと田辺駅行のバスで峰の湯温泉をあとにした。

田辺駅行のバスは曲がりくねった林道を抜け、再び国道に出て田辺駅を目指して熊野の山を下り始めた。そして、1時間ほど走った後、とある美術館の駐車場でトイレ休憩となった。この駐車場ではこれから熊野本宮方面に行くバスが休憩中だった。路線バスでトイレ休憩を経験したのはミャンマーのバス旅以来だったので少し感動した。
(龍神バスの2ショット)

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補陀洛山寺から熊野本宮大社へ

2022-12-04 09:37:38 | 西国巡礼(令和4年・紀州)
12月1日 1番札所青岸渡寺の参拝を終え、10時過ぎに那智駅まで戻ってきた。バスで新宮に戻る予定にしていたが、時間があったので近くの補陀洛山寺に向かった。補陀洛山寺は「補陀洛海渡」という仏教の修行が行われたことで有名なお寺となっている。

補陀落渡海とは、南海の彼方の補陀落浄土(観音浄土)を目指して船出する修行のことで、江戸時代までに20数人の海渡僧が船出したそうだ。お寺の南側に船出のときに乗ってゆくという小舟が展示してあった。
住職の話によれば、冬の時期の北西の風の吹く日の夜、他の信者の船に引かれ沖まで出てから切り離され、風と共に南方の補陀落浄土をめざしてゆく。とのことだが実際はまもなく難破して沈んでしまうとのことだった。なんとも悲しい話だが海渡僧にとっては、海の彼方の観音浄土に到達したことになり、本願を成し遂げたことになるのだろう。

11時過ぎに再び新宮に戻ってきて、これから熊野本宮大社に向かう。1日2本しかない明光バスの本宮大社経由白浜行が停車していたのでこれに乗車する。乗客は私一人だった。熊野川の川沿いの道路を上流へ遡るように蛇行しながら上ってゆく。50分ほどで本宮大社に到着した(1,560円)。
団体さんなど大勢の参拝客で賑わっていた。
参拝を終え、バス停に戻ってきてバスの路線図などを見ながら次の寄り道先を探した。新宮の観光案内所では龍神バスという地元のバスがあるが時刻表は本宮のバス停に行かなければわからないと言われていた。外国人の旅行者がよく立ち寄るという峰の湯温泉に立ち寄ることにした。



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