JR向日駅で電車を降り、善峯寺へ向かう道路沿いに、その手前にある光明寺を示す大きな石碑の道標があった。この通りは古くから西国街道と呼ばれ、京と西国を結ぶ幹線道路だった。
(光明寺まで三十丁と書かれた道標)
石碑の傍にあった案内板には、西国街道についての逸話が書かれていた。秀吉が朝鮮出兵を行う際に周辺を切り開いて道を整備したとされ、人々から「唐街道」と呼ばれたとされている。石碑傍を流れる深田川にも江戸時代に石橋が架けられ、人や物資の往来が増加し、幹線道路として沿道に各種のお店が栄えたようで、その名残が今でも商店街に見られるそうだ。
西国街道は光明寺で西の大阪方面と丹波方面に向かう道に分かれていた。丹波方面に向かう道路は西京区の沓掛に向い、大枝山の尾根沿いに亀岡方面へ向かっていた。