山横目のブログ

日々のつぶやきや旅の忘れじを書き綴ります。

紀三井寺から大阪へ

2019-04-21 07:45:07 | 西国巡礼H31.4(和歌山)

4月18日 昼ごろ粉河寺から再び和歌山駅に戻り、きのくに線に乗り換え、2番札所紀三井寺を目指した。紀三井寺駅で電車を降りると、東側の山の中腹にお寺の屋根が良く見えた。ふもとの寺の入り口で入場料200円を払い、車道になっている急な坂通を登っていく。小さなリュックを背負った高齢者のグリープが列になって登っていた。拝観者の多い人気のお寺のようだ。

紀三井寺は奈良時代の770年に唐から渡ってきた為光上人によって開かれたお寺で、山内から湧き出す三つの霊泉(清浄水、揚柳水、吉祥水)から紀三井寺と呼ばれるよになったそうだ。本尊の千手観音は救世観音とも呼ばれており、本殿は救世殿と書かれていた。納経帳にもその名を取って救世殿と記された。お寺の境内の南端に10年ほど前に造られた新しい仏殿があって、中には巨大な金ぴかの千手観音様が祀られていた。

   

(新仏殿観音像)      (霊泉 清浄水)

 

紀三井寺は急な山の端にあるため、海側に立派な石垣が造られている。山門を入ったところも長い急な階段となっていて、こちら側から本殿に登るのもたいへんそうだ。

  

18日は夕方の飛行機で茨城に帰る予定をしていた。紀三井寺駅から電車を乗り継いで大阪・天王寺駅に戻った。2日前にこの駅を通過した時に匂いに誘惑されていた、駅そばの店に立ち寄った。天王寺駅のホームはちょうど上野駅の改札を入ったところに似ていて、常磐線の終着ホームのようになっている。駅そばの位置もそっくりだ。いつも食べるかきあげそばの味もほとんどいっしょだった。

時間があったので駅の中央口を出て天王寺公園に出た。動物園前の広場をブラブラし、フェルメール展で賑わっている博物館の前を通って池に出た。正面に通天閣を眺め、再び天王寺駅に戻り、神戸から茨城に戻った。

 

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第3番札所 粉河寺

2019-04-20 08:10:36 | 西国巡礼H31.4(和歌山)

4月18日 今日も朝から快晴のいい天気になった。昨日、槇尾山の山を登って施福寺にお参りしたが、足のふくらはぎが筋肉痛になってしまった。急な下り階段を降りるたびに少し足にきていた。普段の運動不足のせいかもしれない。その後山を下り、バスと電車を乗り継いで和歌山まで移動し、駅に近いホテルに宿泊した。このホテルではチェックイン時に、「朝食はありますが、なくなり次第おしまいです、ただパンはあります」と言っていた。正直なことをいうものだと思ったが、ちょっと配慮が足りないかなーと感じた。朝は6時半の開始時間に20人ほどが押し掛けていた。私は10分遅れで行ってかろうじて間に合った次第だった。

和歌山駅から奈良行きの電車に35分ほど乗り、粉河に到着した。駅員に粉河寺への道を聞いた。親切に教えてくれ、「ご苦労様です」と一言付け加えた。この言葉を聞くと、なんとなく元気が出る気がする。お寺巡りをする人に対する昔からのねぎらいの言葉となっているようだ。

駅からお寺まで15分ほど、なだらかな丘にある小さなお店が並ぶ商店街を歩く。電柱がなくきれいでスッキリした道路だが、人も車もほとんど見かけない。お寺の山門の手前には旅館が2軒あって現在でも営業しており、往時の賑わいを感じさせている。

お寺の山門は欅造りの立派なもので、裏表両面に4体の仁王様が祀られ、じっと入門者を睨んでいる。お寺の敷地は広大で、途中の中門まで江戸時代に建てられたお堂が並んでいる。お寺の境内でよく見かけるのが「仏足石」で、お釈迦様の足跡とされている。まだ仏像が造られれる前の時代からの信仰の対象物だ。

   

中門をくぐり、階段をあがってやっと本堂に到着する。本堂は戦国時代末期の1585年と江戸中期に2度火災で焼失していて、現在の建物は1714年以降に作られたものとなっている。本堂の右奥に紀州の殿様がお寺に参拝に来た時に泊まる場所まであって、当時より信仰を集め、紀州藩からも厚遇されていた様子がわかる。石を積み重ねた庭の庭園は安土桃山時代の築造となっている。

(中門)        (中門仁王像)     (本堂)        (石庭)

   

粉河寺も御開帳の時期ということで、千手観音様を拝むことができた。その他に五百羅漢像や仁王像、この寺の守り神、木彫りの虎の像も見ることができた。

表に出ると一人の参拝者が寺の住職に千手観音の手の数を尋ねていた。確かに千本はないが、寺でもらったチラシによると、左右に伸びている手の数は38本でそれ以外に合掌している手と宝鉢手となっている。3年前に観音菩薩像の補修を行ったとき、最初に作られたのは十一面観音像でその後の損傷などから、背板を添えて千手観音像にしたようすがわかったとあった。

 

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施福寺へ

2019-04-19 12:12:07 | 西国巡礼H31.4(和歌山)

4月17日 朝は薄曇りの天気、午後から小雨の予報になっている。今日は一日がかりで施福寺を目指す。宿泊したホテルのある堺駅からは、シャトルバスで堺東駅に向かい、泉北高速鉄道で和泉中央駅まで行ってバスに乗り継ぐ。泉北高速鉄道と言っても普通の南海電車で、山を削って開発されたニュータウンの中を走っていく。朝の通学時間は沿線の学校に通う学生で満員だった。堺のホテルを7時20分ごろ出て、和泉中央駅には8時40分ごろに到着した。槇尾山口行きの南海バスに20分乗って、山登りのシャトルバスに乗り継ぐ。

槇尾山口行きの南海バスを槇尾中学校前で降りるとき、500円玉を両替して330円の支払いを行おうとして、両替で出てきた50円玉を100円玉と勘違いして、50円少ない280円を料金箱に入れた。その後、数人の乗客が下りて、バスの発車際に運転手が一旦閉めたドアを開け、笑いながら50円足りないと言ってきた。手のひらに残ったいた残金が220円だった。蕎麦屋の出前のようにはいかなかった。

施福寺へはシャトルバスを降りてから難所の急な山登りが待っている。ややなだらかな階段を15分ほど登ると山門に到着する。その後20分ほど石の敷石の階段を踏みしめ登ると本堂に到着する。他の人たちもヒーヒー言いながら登っていく。

  

本堂の仏様たちは御開帳になっていて、直接参拝することができた。本尊の千手観音像の他に阿弥陀如来像などを拝むことができた。山を登ってきたご褒美のようなものだった。

 

シャトルバスを降りてお寺に登り始めるところにある茶屋の脇に水子地蔵尊がある。その奥の狭いところに何とも怪しげな水子の霊の像があった。

 

 

 

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西国巡礼を再開

2019-04-19 08:28:59 | 西国巡礼H31.4(和歌山)

4月16日 朝の茨城空港発の便で西国巡礼の旅を再開する。朝から雲一つない快晴、気温も上がり快適な出発になった。7時35分発の神戸便になので、6時には自宅を出て、車で空港へ向かった。35分ほど走り6時半ごろには空港へ到着した。

西国巡礼のお寺巡りは1年半ぶりになる。まだ奈良や京都の11寺しか巡っていない。この辺で少し真剣にお寺巡りをしないとと思い、旅に立った。茨城から神戸へ向かう途中、窓の左側に富士山が良く見えた。上々の気分で神戸に到着した。今回は大阪南部と和歌山のお寺をめぐる予定をしている。那智勝浦にある1番札所の青岸渡寺に寄るかどうか迷ったが、丸一日かかるので次回にした。週末にかかると航空運賃やホテル代がかさむので、できるだけウィークデイに行動するように計画した。

(朝の茨城空港)  (空からの富士山) (神戸空港大橋)

  

10時半ごろ神戸三宮から阪神電車とJR大阪環状線を乗り継いで、天王寺に到着した。ここで近鉄に乗り換え、藤井寺駅に向かった。天王寺駅では駅そばのいい匂いがしていた。朝食が早かったこともあって、腹が減っていたがじっと我慢して通り過ぎた。以前住んでいた神奈川で、通勤の帰りに小田急線の駅でよく食べた「箱根そば」の味を条件反射的に思い出し、電車を降りると食べたくなる。

藤井寺駅を降りて、アーケードの路地のような商店街を行くと5番札所葛井寺があった。この寺は「ふじいでら」という名前で呼び「葛井寺」と書くようだ。商店街はお寺の参道で、かつては大勢の参拝客でにぎわっていたのだろう。葛井寺は奈良時代725年の開基で、のち僧行基が修行に励んだとされ、南北朝時代に楠正行が戦勝祈願をして細川顕氏郡を打ち破ったとされている。1510年の大地震で伽藍諸堂が倒壊したが、戦国諸大名の勧進で再建されたとあった。境内にある名物の藤はまだつぼみだった。

   

午後から電車とバスを乗り継いで百舌鳥遺跡公園内にある堺市博物館を訪れた。百舌鳥遺跡群は、仁徳天皇の前方後円墳を中心とした一連の古墳群の総称で、その公園の一角に博物館がある。主な展示は古墳から出土した土器や鉄器類、もちろん高名な天皇の陵はまだ発掘されていないので、市がすでに発掘した一部の古墳からの出土品である。それ以外に堺市の街並みや交易の歴史や変遷、戦国時代に盛んだった鉄砲や火薬の製造。堺出身の高僧・行基の木造像など歴史好きには通いたくなるような所だった。入場料は200円と格安だった。

 

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