10月31日 興福寺を後にして近鉄奈良駅前に戻ってきた。ちょうど昼時だったので、路地にあるラーメン屋で昼食にした。「日本ラーメン」という名のラーメンを注文した。結局、普通の醤油ラーメンに柚子の皮片と鰹節の小皿が付いたものだった。ラーメンはまあまあおいしかったが、日本と名前が付いたのなら小皿は梅干し入りのおにぎりの方が良かったのではないかと思った。
昼食を済ませ近鉄の電車で薬師寺のある西の京駅に向かった。薬師寺は3年前に奈良を訪れた時、唐招提寺と共に参拝しよう出かけたが、国宝の東塔はシートで覆われ補修の最中だった。そろそろ修理も終わっているだろうと思って行ってみたが、補修は終了していたが、周りの工事用骨組みがまだ残っていた。来年の4月に落慶法要を行うと書かれていた。
薬師寺は平城京遷都と同時に現在の地に建てられた古いお寺だが、戦国時代・1528年に兵火で東塔と東院堂を残して焼失した。昭和になって白鳳伽藍と呼ばれた西塔、金堂などが、また、平成になって大講堂などが再建された。金堂には白鳳時代に造られた本尊である薬師如来像と日光・月光菩薩像が鎮座している。
(金堂)
東塔の東側にある東院堂は鎌倉時代に再建された建物で、東塔以外では唯一古い建物となっている。お堂の中央には聖観世音菩薩像が祀られている。仏像は中国の唐の初期時代にインドから伝わった様式の影響を受けているとのこと。
(国宝東院堂)
薬師寺の北の端にある玄奘塔では平山郁夫画伯の作でシルクロード、バーミヤンなど玄奘三蔵が旅をした中央アジアの幻想的な風景の日本画が、壁いっぱいに描かれていた。
薬師寺を後にして大阪に戻った。ホテルのチェックインまで時間があったので大阪城に行ってみた。近鉄奈良線・上本町で地下鉄谷町線に乗り換え、大阪城の大手門側から城に入った。大阪城は何といってもその石垣が立派だ。高さもあるし、石一個が巨大だった。テレビで紹介されていたが、地方大名に競わせて巨大な石を運び、組上げたということのようだ。いずれの巨大な石も誰もが通過する門の近くに据えられている。
天守閣前の広場は多くの外国人観光客でにぎわっていた。EXPO記念の半円の金属球に乗って写真を撮ったり、ミニチュアんの兜や鎧など、甲冑を身に着けて記念写真を撮るコーナーは人垣ができていた。