山横目のブログ

日々のつぶやきや旅の忘れじを書き綴ります。

薬師寺から大阪城へ

2019-11-04 08:10:10 | 西国巡礼(R1.10京丹後)

10月31日 興福寺を後にして近鉄奈良駅前に戻ってきた。ちょうど昼時だったので、路地にあるラーメン屋で昼食にした。「日本ラーメン」という名のラーメンを注文した。結局、普通の醤油ラーメンに柚子の皮片と鰹節の小皿が付いたものだった。ラーメンはまあまあおいしかったが、日本と名前が付いたのなら小皿は梅干し入りのおにぎりの方が良かったのではないかと思った。

昼食を済ませ近鉄の電車で薬師寺のある西の京駅に向かった。薬師寺は3年前に奈良を訪れた時、唐招提寺と共に参拝しよう出かけたが、国宝の東塔はシートで覆われ補修の最中だった。そろそろ修理も終わっているだろうと思って行ってみたが、補修は終了していたが、周りの工事用骨組みがまだ残っていた。来年の4月に落慶法要を行うと書かれていた。

薬師寺は平城京遷都と同時に現在の地に建てられた古いお寺だが、戦国時代・1528年に兵火で東塔と東院堂を残して焼失した。昭和になって白鳳伽藍と呼ばれた西塔、金堂などが、また、平成になって大講堂などが再建された。金堂には白鳳時代に造られた本尊である薬師如来像と日光・月光菩薩像が鎮座している。

(金堂)

東塔の東側にある東院堂は鎌倉時代に再建された建物で、東塔以外では唯一古い建物となっている。お堂の中央には聖観世音菩薩像が祀られている。仏像は中国の唐の初期時代にインドから伝わった様式の影響を受けているとのこと。

(国宝東院堂)

薬師寺の北の端にある玄奘塔では平山郁夫画伯の作でシルクロード、バーミヤンなど玄奘三蔵が旅をした中央アジアの幻想的な風景の日本画が、壁いっぱいに描かれていた。

薬師寺を後にして大阪に戻った。ホテルのチェックインまで時間があったので大阪城に行ってみた。近鉄奈良線・上本町で地下鉄谷町線に乗り換え、大阪城の大手門側から城に入った。大阪城は何といってもその石垣が立派だ。高さもあるし、石一個が巨大だった。テレビで紹介されていたが、地方大名に競わせて巨大な石を運び、組上げたということのようだ。いずれの巨大な石も誰もが通過する門の近くに据えられている。

天守閣前の広場は多くの外国人観光客でにぎわっていた。EXPO記念の半円の金属球に乗って写真を撮ったり、ミニチュアんの兜や鎧など、甲冑を身に着けて記念写真を撮るコーナーは人垣ができていた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

興福寺秋の特別展示へ

2019-11-03 10:08:54 | 西国巡礼(R1.10京丹後)

10月31日 今日は奈良・興福寺の南円堂・北円堂の国宝特別公開に行く。南円堂はこの西国巡礼を始めた3年前の12月にスタートのお寺として訪れていた。この時は御朱印だけでお堂のご本尊・不空羂索観音菩薩像を見ていなかった。今回、特別公開があるのを知って是非訪れたいと思っていた。昨夜は近鉄奈良駅の一つ手前の新大宮のホテルに宿泊した。ビジネスホテルの和室だった。畳の部屋は快適だったが、畳の堅い感じが腰に響いた。もう一枚余分に敷布団を敷けばよかったとしみじみ感じた。格安ホテル(1泊4900円)なので辛抱!!。

31日は朝から快晴の秋の日となった。9時前に興福寺に着いた時には、中金堂前の広場は小・中学生の団体で埋まっていた。さすがに南円堂・北円堂の特別展のチケット売り場に並んでいたのは高齢者だけだった。

南円堂の不空羂索観音菩薩像は康慶一門の作と言われている。三目八臂(3つの目と8本の腕)の座像が特徴となっていて、一番下の手が羂索(縄)を持っている。羂索とは鳥や獣を捕まえる縄のことで、この世の弱いものが悪に走らないように、この羂索で絡めて引き揚げ救済するということ(仏像・鑑賞の手引き)より。座像と言っても背丈は3mぐらいあって、すこし剥げかけた黄金で輝く仏様は厳粛な重みを感じる。

(南円堂)

 

 (不空羂索観音菩薩像)

北円堂のご本尊は弥勒如来坐像で運慶作とされている。運慶晩年の傑作とされている。弥勒菩薩像はよく見かける姿だが、如来になった姿を見たのはこのお堂だけではないかと思う。

(北円堂)

(弥勒如来坐像)

3年前に始めた西国巡礼も残すお寺が数寺になってきている。最近はお寺にある仏像、ご本尊の観音像ばかりでなく如来像や仁王像など、またそのお寺の秘仏や仏画などにも興味が湧いてきており、同時に鑑賞していこうと思っている。中金堂の入り口の売店で「仏像・鑑賞の手引き」という小冊子なあったので早速購入して読んでみた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亀岡の穴太寺へ

2019-11-03 08:55:55 | 西国巡礼(R1.10京丹後)

10月30日の午後は21番札所京都・亀岡の穴太寺(あなおじ)に参拝した。午後1時ごろに松尾寺から東舞鶴駅に戻ってきて、京都へ戻る途中亀岡で下車し、穴太寺に立ち寄った。午後の遅い時間にならないように、ネットで列車の時間を調べながらの旅だった。結局、綾部から特急電車を乗り継いで亀岡に2時50分ごろ到着した。特急の自由席は1両に10人ほどの乗客だった。

亀岡の駅から路線バスと徒歩でお寺に向かった。沿道には稲刈りの終わった田んぼや大豆畑、柿の実がたわわに実った民家のそばを通ってゆく。野焼きの煙がうっすらとたなびいた、穏やかな秋の田園風景だった。

穴太寺のご本尊は観音菩薩と薬師如来ということだが、本殿の奥に横になったほぼ等身大の釈迦如来涅槃像があって薄い布団が掛けられていた。自分の体の痛いところと同じところを触ると痛みがなくなるとの話だった。また、安産祈願のお寺にもなっているとのことだった。

(本殿と涅槃仏像)

書院の南側の日本庭園は京都府指定の名園になっている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松尾寺へ

2019-11-02 10:41:14 | 西国巡礼(R1.10京丹後)

10月30日 今日は午前中、東舞鶴の松尾寺を訪れる。宿泊したホテルは東舞鶴駅を降りてしばらく海に向かって歩いたフェリーふ頭に近い場所にあるホテルだった。朝起きると外は一面の霧に囲まれていた。天気予報は霧のち晴となっている。

東舞鶴は終戦直後の大陸からの引き揚げ船の地として有名だ。終戦後60万人以上の人がこの港に引き揚げてきた。悲喜こもごものドラマが展開した場所だ。

また、戦前から海軍の軍港としても有名だ。現在も海上自衛隊の軍艦が出入りしている。年に何回か、記念日には基地の中に入って軍艦を見学することができるそうだ。朝、駅に向かって海辺の道路を歩くと、ちょうど出港する軍艦が見えた。

松尾寺(まつのおじ)へは駅から敦賀方面の電車に乗って1駅目の松尾寺駅で降り、そこから徒歩で青葉山の中腹まで1時間の山登りになる。9時に電車を降り10時ごろにはお寺に到着した。この頃には晴れだし、汗ばむ陽気だった。松尾寺の山門にある仁王像は何と写真が掲げられていた。実はこの仁王像2体は解体修理をした後にお寺内の宝物殿にあった。本殿のご本尊は馬頭観音様で三十三か所霊場の中で唯一の観音様となっている。農耕の守り神である。

(山門と本殿)

御朱印をいただいた後、宝物殿を見せてもらいことにした(拝観料800円)。鉄筋コンクリート造りの建物の中には、前出の仁王像2体と国宝の普賢延命菩薩像の仏画。如意輪観音像の仏画、快慶作の阿弥陀如来坐像など貴重な仏像を見ることができた。他に見学者がいなかったせいか、話好きの住職が丁寧に説明してくれた。特に山門にあった金剛力士仁王像は奈良東大寺南大門の仁王像によく似ていることから、慶派の作と思われること。国宝の普賢延命菩薩の仏画は日本で唯一、銀箔を多用した12世紀密教仏画の名品であることなど、流ちょうに説明してくれた。仏像好きには貴重で有効な時間となった。

階段を下りて駐車場の近くに来た時、下から上ってきた1台の白い乗用車があった。ブロロンと響くエンジン音がした。4月中旬に4番札所施福寺の駐車場で出会ったGT-Rだった。車好きで70過ぎになる主人が1000万以上のお金を出して改造したと自慢していた車だ。まったくの偶然の再開だった。再びエンジンの回転数を上げるパーツを取り付ける改造をしたと自慢げに話していた。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年4度目の西国巡礼へ

2019-11-02 08:43:37 | 西国巡礼(R1.10京丹後)

10月28日 今年4回目の西国巡礼に出発する。2日前まで雨模様の天気が続いていたが、今日からはしばらく晴れの予報となった。今回は京丹後にある2寺と京都で1か所だけ訪れていなかった亀岡の穴太寺を訪れ、奈良の興福寺で公開中の南円堂、北円堂の秘仏を見学する予定にしていた。

28日は茨城空港の昼の神戸便で茨城を出発し、前回宿泊して感じの良かった近江の石山駅に近いホテルに宿泊し、翌日朝に京都から福知山経由で天橋立を目指した。29日は朝から曇って、時折小雨が降っていた。午後には雨も上がる予報になっていた。山陰線で京都からの長距離列車は特急しかないようで、普通列車を乗り継ぐような旅はお勧めではないようだ。今回の旅から、遅ればせながらスマホを持参した。飛行機のチェックイン時にQRコードを読み込ませたり、旅行中の現在地の確認、また列車の時刻を調べたりするため、HISモバイルの3Gデータシムを購入し(月980円)、半年前に購入していたASUSの格安スマホにそのシムを入れて持参していた。特急列車の自由席の車両の位置も前もって調べることができ、せっかちな人間には便利な道具になった。

10時少し前に福知山に着き、ここから京都丹後鉄道の列車に乗り継ぐ。1両しかない車両は食堂車のようになっていて、窓向きになっている座席に陣取った団体さんは電車が出発する前から宴会が始まっていた。にぎやかな中国語が飛び交っていた。地元の乗客は数人ほどでほとんどの乗客が終点の天橋立に向かう観光客だった。

天橋立の観光船乗り場に着くころには雨も上がっていた。成相寺往復のチケットを購入した、(観光船、ケーブルカー、登山バスで2600円)。観光船の上では追いかけてくるカモメにエビせんを投げたり、手渡しでエサをやっている外国人が歓声を上げていた。

ケーブルカーを降りたところが有名な股のぞきをする傘松公園の展望広場になっていた。

小型バスに乗り継ぎ10分ほど登ったところが成相寺の山門となってた。ここでバスを降り、あとは歩いて本殿に向かった。山門や本殿には虎や竜の彫刻があり、特に本殿の竜の彫刻は左甚五郎作となっていた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする