11月21日 一乗寺からの帰り道、姫路城の近くのバス停で下車し、県立歴史博物館へ向かった。ちょうど同じバス停で降りた高齢者がいた。一乗寺の宝物館の観音像の前でで熱心にメモを取っていた人だった。どちらに向かうのか声をかけてみた。姫路城の東側の二の丸にある市立美術館に向かうと言っていた。2人でスマホを広げ、行く先を確認しあった。私はどちらかというと歴史の方に興味があったので、ためらわず博物館の方に向かった。
姫路城の東側には古い城壁とお堀がところどころに残っていて、風情のある街並みになっていた。お堀には50㎝越えの巨大な鯉が群れになって泳いでいた。医療センターの前の道路から城の東側の門辺りまで来ると、そびえ立っているお城が良く見えてくる。日の光を受け、白壁が一層美しく見える。お城には以前、円教寺の帰りに寄っているので、今日は立ち寄らずに博物館へ向かった。
歴史博物館では姫路(播磨)の中世の歴史や暮らし、宗教に関する特別展示を行っていた。室町・戦国時代の赤松氏に関する展示が目を引いた。赤松氏を有名にしたのは、室町時代の嘉吉元年(1441年)に播磨・備前・美作の守護赤松満祐が、室町幕府6代将軍足利義教を暗殺した事件である。室町幕府の衰退が一気に加速し、各地の守護大名の勢いが増した事件だった。
中世、この地方の生活や宗教の中心地は円教寺にあったようで、お寺のある書写山には、秀吉が西国攻めの途中、三木城の別所と毛利に対峙するために本陣を置いた跡があった。博物館の展示物にも円教寺の古文書や仏像などが数多く展示されていた。
博物館を後にして姫路駅へは2時ごろ戻ってきた。今日の宿舎は須磨海岸の国民宿舎に予約していたので、途中の明石で電車を降りてお城に寄ろうと思った。
明石城には本丸はなく、隅の櫓が2つと巨大で長い石垣の残ったお城だ。江戸初期に小笠原忠政 が2代将軍・ 徳川秀忠 に命じられて築いた城で、主に海からの攻撃に備えて造られた。また、狭くなった明石海峡を通過する船を監視する役割もあった。
この日の城前の広場では、週末に行われるB1グランプリのためのテント設営の最中だった。