山横目のブログ

日々のつぶやきや旅の忘れじを書き綴ります。

姫路から明石へ

2019-11-27 08:38:21 | 西国巡礼(R1.11播磨)

11月21日 一乗寺からの帰り道、姫路城の近くのバス停で下車し、県立歴史博物館へ向かった。ちょうど同じバス停で降りた高齢者がいた。一乗寺の宝物館の観音像の前でで熱心にメモを取っていた人だった。どちらに向かうのか声をかけてみた。姫路城の東側の二の丸にある市立美術館に向かうと言っていた。2人でスマホを広げ、行く先を確認しあった。私はどちらかというと歴史の方に興味があったので、ためらわず博物館の方に向かった。

姫路城の東側には古い城壁とお堀がところどころに残っていて、風情のある街並みになっていた。お堀には50㎝越えの巨大な鯉が群れになって泳いでいた。医療センターの前の道路から城の東側の門辺りまで来ると、そびえ立っているお城が良く見えてくる。日の光を受け、白壁が一層美しく見える。お城には以前、円教寺の帰りに寄っているので、今日は立ち寄らずに博物館へ向かった。

   

歴史博物館では姫路(播磨)の中世の歴史や暮らし、宗教に関する特別展示を行っていた。室町・戦国時代の赤松氏に関する展示が目を引いた。赤松氏を有名にしたのは、室町時代の嘉吉元年(1441年)に播磨・備前・美作の守護赤松満祐が、室町幕府6代将軍足利義教を暗殺した事件である。室町幕府の衰退が一気に加速し、各地の守護大名の勢いが増した事件だった。

中世、この地方の生活や宗教の中心地は円教寺にあったようで、お寺のある書写山には、秀吉が西国攻めの途中、三木城の別所と毛利に対峙するために本陣を置いた跡があった。博物館の展示物にも円教寺の古文書や仏像などが数多く展示されていた。

博物館を後にして姫路駅へは2時ごろ戻ってきた。今日の宿舎は須磨海岸の国民宿舎に予約していたので、途中の明石で電車を降りてお城に寄ろうと思った。

明石城には本丸はなく、隅の櫓が2つと巨大で長い石垣の残ったお城だ。江戸初期に小笠原忠政 が2代将軍・ 徳川秀忠 に命じられて築いた城で、主に海からの攻撃に備えて造られた。また、狭くなった明石海峡を通過する船を監視する役割もあった。

この日の城前の広場では、週末に行われるB1グランプリのためのテント設営の最中だった。

    

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法華山一乗寺

2019-11-26 09:18:27 | 西国巡礼(R1.11播磨)

11月21日 今日は姫路駅からバスで法華山一乗寺を目指す。朝は晴れていて冷え込んでいた。夕べは姫路駅近くのビジネスホテルに宿泊した。品数の豊富な朝食がついて一泊5000円以下の良心的な宿だった。

以前に姫路駅から27番札所書写山円教寺に行った時には、駅前の神姫バスの案内所で1日券を買って向かった記憶があったので、今回も切符を求めて案内所に寄ってみた。やはり1日券(1300円)を勧められた。よく見ると一乗寺と書写山円教寺の両方に行ける券だった。一乗寺までの片道が660円なのでかなりお得な感じだが、1日に2寺を回るのかなりしんどい。お寺でゆっくりする時間もほとんどない感じだ。私は結局、お寺の後で市内の博物館を訪れる予定にした。

バスを40分ほど乗ってお寺に到着した。入り口で拝観料500円を徴収されたが、宝物館の見学は無料だった。宝物館には白鳳時代に作るられたとされる観音像があった。細身のスラっとした仏像で飾りが少なく素朴な仏様だった。このお寺には山門がなく(以前にはあったのかもしれないが)、仁王像が見られない。本堂の一段下にある三重塔は平安時代に作られた古いままの塔で国宝になっていた。

(お寺の入り口、三重塔、本殿、太子堂の紅葉)

   

このお寺の全体の印象は、古い時代(平安時代)のままの姿を残しているお寺の感じがした。仏像も鎌倉時代の仁王像や明王像などの荒々しい像は一切なく、落ち着いた素朴な感じのするお寺だ。

お寺の入り口に古い道標の石碑があった。隣の桜の木の成長につれ、押されて少し傾いていた。道標には、「左しょさ山 五里、右きよ水寺 八里」と書かれていた。古代より巡礼者はこの道標を見て次の行き先を決めていたのだろう。

 

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中山観音へ

2019-11-24 08:12:59 | 西国巡礼(R1.11播磨)

11月20日 播州清水寺を12時過ぎに出るバスで再び相野駅に戻ってきた。この頃には時折しぐれが降る天気になった。いっそう寒くなってきていた。JRで戻る途中、宝塚駅の隣の中山寺駅で降りてお寺に向かった。昼食に暖かいラーメンでもと考えていたが、お寺へ向かう駅の北側の商店街でではラーメン屋さんはなかった。お寺の門前手前は阪急の中山観音駅となっていて、しかたなく駅そばのコンビニでおにぎりとお茶を買い込み、お寺で食べることにした。

お寺は比較的古い建物が本殿と鐘楼ぐらいで、ほかの五重塔や社務所などは最近建てた鉄筋コンクリート造りになっていた。階段の側にはエスカレーターとエレベーターまであって、参拝者には至れり尽くせりの近代的お寺だった。JRと阪急の駅に近いことなど大阪の総持寺とよく似ている。寺の境内は七五三のお参りをする家族連れや赤ちゃんを抱いた若夫婦で賑わっていた。都会の繁盛寺といった感じだった。

  

境内の一角に古い時代(6世紀後半)の石室があった。この古墳は県指定の文化財で、仲哀天皇の妃、大仲津姫の墓という言い伝えもあるが、仲哀天皇は西暦200年に亡くなっているため、時代が合わず詳しいことは不明とのこと。以前、奈良県明日香村の石舞台古墳を訪れ、巨岩の石室を見たことがあるが、その天井部分にある巨大な石には驚き、感動した覚えがあった。この石室でも天井は巨大な石が乗っていて、中央には石棺が置いてあった。

 

中山寺からの帰りは阪急電車で戻った。一旦宝塚まで戻り、今津線に乗り換え西宮北口で再び神戸線に乗り換え神戸に戻った。運賃が320円でJRよりずいぶん安かった。西宮北口の駅ソバ屋でカレーうどんを食べたが、これがあったかくておいしかった。

 

 

 

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秋・播州お寺巡り

2019-11-23 08:59:43 | 西国巡礼(R1.11播磨)

11月19日 今年5回目となる西国巡礼に出かける。今回は播磨国の24番から26番までの3つの寺を巡る。19日は夕方の神戸便で出発し、神戸に宿泊する予定にした。水戸は3時過ぎから曇り空になり夕方は小雨が降り出してきた。茨城空港は雨は降っていなかったが、北風が入り冷え込んできていた。

6時過ぎの空港は大勢の中国人で賑わっていた。青島航空の長春行きのチェックインが始まっていた。ニュースでは報じられていたが、中国の新しいLCCで青島航空が長春と福州にチャーター便の運航を始めたようだ。また、1か月ほど前からは春秋航空が西安往復便の運航を始めていた。現在セール中で格安で西安に行けるが、これからの冬の西安はかなり寒いことだろう。こじんまりしているが茨城空港が一段と国際空港化してきているようだ。ただ、路線の増えているのは中国便のみだが。

  

11月20日 朝の神戸は晴れていたが冷え込んでいた。神戸からJRで尼崎へ。そこからJR宝塚線に乗り換え丹波篠山の手前の相野駅で降り、バスに乗り換えて播州清水寺へ向かう。お寺へ向かうバスが10時20分と12時50分の1日2便しかないため、バスに乗り遅れないように要注意である。この日は朝から京都駅での信号故障でJRの列車が遅れていた。尼崎駅へは8時40分ごろ着いて、JR宝塚線の快速電車に乗り換えた。予定していた電車の1本前の快速電車だったので、余裕で10時20分のバスに間に合った。

お寺に向かうバスの中では運賃以外に入山料500円を徴収された。お寺の入り口には、有料道路の入り口にあるような料金所のブースがあって、一般車からも入山料を徴収していた。ただ、その料金所からバスを降りて、歩いてお寺に向かうと徴収されないとのことだった。歩いて登れば40~50分の距離で、余裕のある日程ならば紅葉を見ながら歩くのも良いかと思ったが、この料金所のバス停「清水」へ来るバスがお寺までの2本以外は見当たらななかった。

終点の清水寺は紅葉が見ごろとなっていた。ご本尊は十一面千手観音菩薩像で通年御開帳となっており、お堂のいちばん奥に座っていた。目を凝らしてみると、まばゆいほどに輝いていた。

本堂の裏に一旦明治政府に没収された寺所有の山が、その後の裁判で戻ってきた記念の石碑があった。がめつく入山料を徴収する訳があったようだ。

(山門、本殿、冬桜、古い石垣など)

    

 

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