古来からの穴太寺への巡礼路を考えると、地形として亀岡は京都の西部で周りを山に囲まれ盆地になっている。現在のように鉄道や道路がなかった頃、盆地の東側を流れる大堰川(桂川)に沿って巡礼者が行き来したとは考えにくい。むしろ、山の尾根を抜けるような道を考えるのが自然な気がする。
巡礼の順では善峯寺から逢坂峠を通り、現在の亀山霊園あたりの山を越えるルートを通ったようだ。
穴太寺の北門を出たところにあった道標、石碑の高さは60cmほど。
右京 かめ山
あたご
もう一つ路地にあった道標。
右 あなお寺 ◯◯
左 ◯◯山(愛宕山か) ◯◯
愛宕神社のある愛宕山から京へ抜けるルートも考えられる。
安政4年に曽祖父が通ったルートは定かではないが、(旧暦)2月9日に京都の六角堂と革堂を参拝して、翌日の2月11日に穴太寺と善峯寺をお参りしていた記録になっている。2月12日には総持寺に着いていた。
穴太寺から総持寺への道順は穴太寺の正門を出たところに「大阪道」の標識(最近立てたもの)があり、現在の国道423号に沿って向かうことになるようだ。
(穴太寺の門前、左に曲がったところに大阪道の標識がある)