山横目のブログ

日々のつぶやきや旅の忘れじを書き綴ります。

小春日和

2017-11-29 17:02:33 | 日々、つぶやき

11月29日 朝から晴れて穏やかな小春日和の一日になった。朝の最低気温は5℃、最高気温は18℃まで上がり、久しぶりの秋らしい一日だった。水府橋の水戸側で行っていた道路工事も連日の夜間工事を終えてほぼ完成したようだ。川沿いに城東方面に向かう道路は渋滞がなくなった。

いつものように対岸の青柳側河川敷では水戸ホーリーホックの練習が行われていた。川面にはカモのつがいが遊び、岸辺に近い水辺ではアオサギがのんびりと日光浴中だった。岸辺の草むらではホオジロも見られた。

     

水府橋から少し西に行った道路沿いに大きなクルミの木があって、土手にはたくさんのクルミの実が落ちている。この時期になると落ちたクルミを拾って道路に落とし、車にひかせて割れたクルミを食べているカラスがいる。正確に言えば、拾ったクルミをくわえて道路に落とし、割れたところをついばんでいたいたのだが、たまたま通りかかった車がクルミを轢いて割れたところを食べるようになった。車がクルミを轢く音(バチィ、ブスッ)という音を近くで聞いていて、音を聞くとすぐ飛んでくる。自分で拾ってきたクルミを落とした時は、近くの電線で待機している。道路に落ちたクルミは縁石のそばなど勝手なところに転がっているのだが、このクルミを通る車の車輪の位置になるように位置を調整してやるのが私の最近の仕事になっている。

  

太田の田んぼ、三本杉の周りの紅葉がちょうど見ごろとなっていた。また、毎年のように田んぼの土手がイノシシによって崩されていた。用水路の土手の肩の部分を崩してミミズを掘り起こして食べているようだ。用水に落ちた土については2週間ほど前に泥上げをしておいたが、田んぼ側の土手ののり面がまた崩されていた。毎年11月になると山からイノシシが下りてきて、そこいらじゅうで暴れまくっている。大震災の後、特にひどくなっている。

   

 

 

 

 

 

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朝、冷え込む

2017-11-16 14:30:33 | 日々、つぶやき

11月16日 朝から晴れて、風の冷たい日になった。朝の最低気温は3℃まで下がって冷え込み、北西の冷たい風が吹いて、秋を通り越して冬になったようだ。11月に入ってからの日々の気温の変化を見てみると、これで平年並みである。去年、一昨年と冬が暖かかったせいで、今年は一段と寒く感じられる。

水府橋の水戸側で行われている道路工事がいよいよ佳境に差し掛かったようだ。今週は車道の交差点部を夜間で工事しているらしく、昼間作業している人は見かけない。新しい水府橋の袂に以前の橋にあった親柱が再び設置された。風格のある立派な親柱だ。橋の親柱でよく見かけるのに、てっぺんに明かりがつくようになっているのがあるが、ひょっとしたら以前には明かりがつくようになっていたのかもしれない。

    

この時期、那珂川にはサケが遡上してくる。今日は水戸市の西の端にある橋にサケを見に行った。那珂川では上流の栃木県那珂川町などでサケの稚魚の放流を行っていて、毎年多数のサケが遡上するが、今年は遡上する数が少ないようだ。去年見たときは川底が見えないぐらいの数だったが、今年はその1/10ぐらいのようだ。全国的な傾向らしく、北海道では不漁でイクラが高騰しているとのことだ。

    

この橋の少し北にある県民の森へ紅葉を見に行ってみた。コナラやクヌギはちょうど色ずき始めたところ、もみじが赤く紅葉していた。メタセコイヤも少し早いようで、深紅になるのはもう少しあとのようだ。園内の散歩道には、すでにコナラやクヌギの落ち葉が積もり始めていている。

   

この時期には色づいた木の実も多く見られる。赤い実はガマズミ、黒い実がサカキ、ムラサキシキブ、ユズリハも実をつけていた。

   

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姫路城

2017-11-07 13:04:31 |  秋の神戸・大阪へH29.11

11月3日 書写山の帰り、午後2時過ぎに姫路城に立ち寄った。晴天の休日ということで多くの家族づれや観光客でにぎわっていた。姫路城は晴天の青い空に映え、格別美しかった。城の規模も格段に大きい。天守閣とそれを囲むように左右(東西)に小天守がそびえている。明治維新時の戦いの舞台にもならず、第二次大戦時の戦災にも合わずに江戸初期に完成したままの姿を残している貴重なお城である。

   

入場口の菱の門を入って、西の丸に向かった。時々振り返えり天守閣の美しく見える撮影ポイントで立ち止まっては、シャッターを切り続けた。西の丸からは手前の子天守と重なり合って、重みのあるどっしりとした天守閣が見られた。西の丸の各部屋では創建当時の瓦の展示や千姫の部屋などの紹介があった。

  

天守閣の入り口・にの門では20分ほど待って中に入った。天守閣の最上階への登り口でも20分ほど待たされた。最上階は大変な混雑だった。中央部に祠があって、若干の違和感があった。戦のない近世になって天守閣に持ち込まれたようだ。

    

天守閣からの南側と東側の風景。

 

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書写山・圓教寺

2017-11-06 10:47:32 |  秋の神戸・大阪へH29.11

11月3日 文化の日 今日も朝から快晴のいい天気になった。今日は大阪梅田のホテルを出て、姫路駅に行き書写山ロープウェイを乗り継いで圓教寺を目指す。9時半ごろJR姫路駅に到着。荷物を駅のロッカーに預け、姫神バスの案内所でバスとロープウェイのセットの往復乗車券を1300円で購入し、10時過ぎのバスで書写山に向かった。天気が良かったせいかロープウェイはほぼ満員の乗客だった。

ロープウェイを降りるとなだらかな山道の参道を登っていく。この参道沿いには西国33か所のお寺の御本尊様の仏像のレプリカが10mほどの間隔で並んでいる。圓教寺のご本尊は如意輪観音様で一番目に鎮座していた。右ひざを立てほおずえをつく姿が何とも怪しげで美しい。大津の三井寺で紹介されてからすっかり気に入っている観音様である。息を切らしながら参道を登っていくと、仏像ごとに足を止め、手を合わせ拝んでいる中年夫婦がいた。話している言葉は中国語だった。参道の途中に見晴らし台があって、姫路の町から瀬戸内海が見渡せ、はるかな山の陰に小さな姫路城を望むことができた。

    

山門(仁王門)を抜けると再び山道の参道となっている。奥の深いお寺で山一帯にお寺や宿坊が散在し「西の比叡山」と呼ばれているらしい。20分ほど歩いて着いたのがご本尊が祀られている本殿で魔尼殿と呼ばれている。ちょうど結婚式が行われていた。納経所で御朱印をいただき、お寺の署名をしてもらった。字が読めなかったので聞いてみたら「魔尼殿」と書いたそうだ。

    

魔尼殿の奥には立派な建物の大講堂があり、中では写経ができるようになっていた。その講堂には建物の改修時に交換された創建当時の朱塗りの柱が置いてあった。直径60~70cmで立派なものだった。その柱の中ほどに落書きがあって、その説明書きがあった。豊臣秀吉が毛利攻めを行ったときに圓教寺に陣を構え、その時の落書きということだった。長い時間が昨日のように感じられ、歴史にじかに触れられた瞬間だった。大講堂の先、少し下ったところに奥の院があってこれも立派で趣のある建物だった。

   

木漏れ日の差し込む参道のいたるところで出会ったのが、一回り小ぶりのアカタテハだった。この姿で越冬するのだろうか。書写山圓教寺は創建時からの面影を残す、落ち着いた心の癒されるお寺だった。

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夜のえびす橋

2017-11-05 10:46:16 |  秋の神戸・大阪へH29.11

11月2日 夕方から学生時代の友人2人と梅田駅の東にある路地の居酒屋で一杯飲み、たこ焼きを食べて地下鉄で心斎橋に出た。橋から飛び降りる若者で有名なえびす橋を見ておきたかった。休日前の夜ということで、橋の上は若者でにぎわっていたが外国語がほとんど聞こえてこなかった。道頓堀では屋根のない船が20~30人の客を乗せ、行ったり来たりしていた。グリコの前では一旦船を止め、ガイドが説明をしていた。

    

法善寺横丁をぶらぶらして、お不動さん、むかしの歌謡曲「月の法善寺横丁」の碑を見て、高そうな料亭の脇を過ぎ、再び心斎橋に戻って宿泊する梅田のホテルに帰った。

   

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