ジョージ・いまさきもり の アンダンテ・カンタービレ

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東日本大震災と原発事故について思うこと(その1)

2011年04月14日 | 社会について独り言

 

 東日本大震災と原発事故について思うこと(その1)

1.もう1カ月も経ってしまった。
  被災者の方はもちろんだが、
  
現地でお世話や復旧の仕事にあたっている方の
  疲れも相当のものと思われる。
  消防とか警察のように、
  全国の
役人とかの方は、交代で応援に出てあげたらどうだろうか。

  私もバスとかで現地まで運んでくれれば、
  2、3日の片づけくらいはやりたいと思っている。

2、節電の意識が高まっている。
 全くその通りではあるが、
 もっと事をはっきりするために全部の電力会社にお願いしたい。
 『どれだけ私達が節電をしたら原発を停止してもらえるのか』、
 『原発を止めると、どれだけ電気代は高くなるのか』、
 具体的な数字を出してもらって、皆で考えたい。
 
3.「いろいろ自粛するのをやめてほしい」という声がある。
 しかし、テレビで見ただけではあるが、
 あの津波が襲ってくるシーンが、
 そう簡単には脳裏から消えさることはない。

 花見や宴会は、また来年のを楽しみにすればいい。

 「普段通りにどんどん消費をしてください」と、
 お金を使って景気をよくしようという事だろうが。
 このような災害があると、備えの大切さが分かって、
 財布のひもはより固くなる。

 酒を飲んで経済を活発にするよりも、
 少しでも義援金で差し上げたいと思うのは
 自然の気持ちだと思う。
 自粛せよと言うのもおかしいが、自粛するなと言うのも少し変である。

4.国会議員さんの活躍を期待したい。
 政府と被災地・東電との連絡や情報提供、対応が悪すぎる。
 地元にも中央の各方面にも顔のある議員さん、
 出番です。お願いします。

5.内橋克人さんへの評価が高まっている。。 
 
内橋克人さんの『原発への警鐘』がとても読まれているようだ。
 いま私も図書館で借りて読んでいるところである。
 25年も前に書かれている本なのに新鮮で、
 むしろ、今のほうが感銘深いのではないだろうか。

 
アマゾンのサイトを見ると、
 古い本だから新本の在庫は当然無いが 、
 中古価格で9749円で売られている。なんと定価の16倍。

 朝日新聞社が急遽復刻版を発行するようだ。
 まだお読みでない方にはぜひお勧めしたい。
    
https://aspara.asahi.com/column/shinsyo-column/entry/o5yM3AJKZh

 『原発への警鐘』前半を読んで。

 前半では、まず「福島原発が、地元住民の不安の中で、
 いかにして、東電と地元首長が建設を推進したか」述べられている。

 続いて東電の若手技術者が社命で原発を手探りで研究する姿が描かれ、

 
さらに、福島、浜岡、島根、敦賀といった初期の原発が
 次々と『応力腐食割れ』という事故に襲われたことに触れて、
 永野治さんの発言が紹介されている。

 『応力腐食割れ』とは
 原子炉内の水を通すパイプに微細なひび割れが発生した事故をいう。
 普通ならパイプの素材は炭素鋼を使うのだが、
 十二分の安全を考慮して、ステンレスを使っていたのに起きてしまった事故である。

 この時、この事故について、
 石川島播磨重工業の永野治さん(永野重雄さん他4兄弟の末っ子)が
 話された事は胸に突き刺さる。
 何しろ、日本に原子力発電を導入したのは
 あの正力松太郎さんで、旗振りが中曽根康弘さんである。

 その人達に向かって、巨大企業の技術のドンが、
 次のような話を堂々とされたというのである。
 こういう警告や予告をきちんと受け容れていればと悔やむが、
 遅かった。

 『・・・・・ステンレスともあろうものが、水の中でああいう割れを起こすなんてこと、
 夢にも考えなかったですよ
 ところが、我々が一所懸命になって、実験積み上げて、汗水垂らして調べてみて、
 非常にはっきりしてきたのは、
 ステンレスは水の中で応力をかければ結構割れるということだった。
 それがはっきりしてきた、学理的に。
 そんなことは百も承知の治金学者もおれば、弾性学の学者も山のようにおって、
 それがみんな(原発技術の)応援団やっておったのに、誰もそのことに気付かなかった。
 ああいう所にステンレス使って、ああ云う事が起こるとはだれも考えなかったですよ。
 世の中そういう種類のことはいくらでもある・・・・・』

 『技術が自然を征服するなどという考えは、滅びの思想である。
 技術者は開拓者であると同時に、
 謙虚な勤労精神の範疇を踏み出すものであってはならない。』

 『いつ流れ星が人間の頭の上に落っこちてくるかわからない。
  しかしそんなことを現実に心配して生きておる人は、この世にいないでしょう。
 (原発の危険性は)その程度のプロバビリティーの問題だから安心して下さい、
 というふうに組み立てる論議が、流れ星うんぬんというやつです。
 が、こうした理論の立て方が、物事を本当に的確につかまえ、論拠を明らかにし、
 そのうえでこう言えるんだというところから出てきたものではない。

 「何とはなしにプロバビリティーを持ち出し、それにグレードづけをして自ら納得し、
 かつ納得させ
ようという姿勢にすぎない。
 やっぱりそれではいけないということです。
 今のところ原子力について私が言いたいのはそれだけです。』

 『こういうものが、どのくらい危ないものか、というようなことはみんなの問題であって、
 特定の専門家だけが判定し、論じればよい、というシロモノではない。
 それからもう一つ、技術が”ドル”の顔をするようになり、”円”の顔をするようになった時、
 その技術は衰亡への道を歩き始める。
 原子力もそろそろ商売になるぞ、と考えられ始めたら、
 その時代、必ず宗教が必要になってくるはずです。』