private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権SCENE 36

2016-10-10 07:26:32 | 連続小説

「そら行け! もう少しだ!」
「ガンバレよーっ! ふたりともーっ!」
 ゴールへ歩み寄る二人の周りを囲む観衆は、直接に手はかけないまでも身振りや言葉で二人を喚起し、大げさすぎるMCの実況をかき消すほどの声援で加勢する。それは古い映画で見た草ボクシングの試合風景の映像を思い起こし、まさにノックアウト寸前の戒人と仁志貴にファイティングスピリットを呼び醒ます。
 CVTが作動していないために、ことさら重い車体を引くことになった戒人が一歩進み、あたまひとつ抜け出れば、今度は仁志貴が一歩足を出して抜き返す。それが交互におこなわれていく。
 どちらかが前に出たタイミングでゴールテープを切ることになり、それだけが勝負の分かれ目となる。
 観衆はふたりのあたまと、ゴールテープを交互に見て歩幅を換算して未来を予想し、「1番だ!」「いや2番だ!」と言い立てる。
 そんな喧騒の中で、ふたりは、ふたりの世界にだけ存在していた。
 仁志貴は、遥か昔の中学生の大会で、決勝戦を走った記憶が無意識に脳を横切り、鼻の奥がツンとした。片足の負傷のため力も入らず、息もあがり、あの頃とは全然違っているというのに同じゴールを目指しているように思えた。
 戒人は人生で初めて真剣に戦いに立ち向かっていた。極力そういう場面は避けて通るように生きてきたし、これからもそのつもりだったのに、なんの因果かいまこうして体を酷使して、未知の領域に身を置いている。なにひとつ経験も無い中で、腹を括り、やらなければならないと自分自身を鼓舞している。
 そしてふたりは、前だけを、ゴールだけを、瑶子だけを見ていた。得も知れぬ緊迫がひしひしと伝わってくる。
 異様な展開に追い込まれて、予定外の緊迫感にさいなまれているのはこのふたりも同じだ。ゴールでテープカッターの役割を担っているバイトの女の子は、キャンペーンガール気分で小ぎれいなコスチュームに身をまとい、まわりにチヤホヤされ、いい夏休みのバイトで小銭が稼げると安易に考えていた。それがなんだかとんでもない事態に巻き込まれている。
 走り手のあたまが交互に迫っており、この手に持つテープに最初に触れた方が勝ちになる。これまではそこそこの差がついて、どちらかがゴールラインを越えた時に適当にテープを離せばよかった。バイトの主任からはどちらが先か分からないときは、一番近くで見ている君たちが決めていいから、しょせんお遊びなんだから盛り上がればどっちが勝ったっていいんだよ、なんて軽い調子で言われ、わかりましたー。と安請け合いしていた。
 これほどまでに観衆が興奮し、熱狂を帯びる中、死に物狂いでゴールに向かって戦う状況など想定にはない。
 テープを持つ手に力が入り、ゴールラインに沿ってまっすぐになっているのか気になってしかたがない。これで同時にでもテープに触れられたら、自分たちが勝者を決めるなんて絶対に無理だと、心細くなりバイトの主任を探したものの、そこにはふたりの戦いぶりに注視している観衆しか目に入らず、ますます圧倒される。
 バイトの前に駅ビルの最上階で学校の先生の悪口を言い合っていた罰なのかもしれないと、ふたりは泣きそうな顔を左右に振っていた。
――もうっ、なんなのよ。誰か… 代わって… お願い。
 知らない人達を巻き込んで、戦いは行われる。戦いでなくとも、人が動けば誰かがなにかの影響を受け、知らないあいだに巻き込まれていく。戒人や仁志貴であっても、多くの人間の思惑でできた土俵の上で戦っている部分も少なからずあるのだから。
 戒人、仁志貴、戒人、仁志貴。順番にあたまが抜け出す。まわりにはわかっていても、本人たちにはわからない。ただ自分のあたまを先にテープに触れることだけを求めている。
 もう足を前に出すことさえ難しくなってきた。できれば引き手から身を乗り出してあたまだけでもゴールを越えたい。そんな安易な欲望が突き上げてくる。それをやらないのは、みっともないところを見られたくないという意地だけが、すべては瑶子に向かっている。
 そして、ついにその時はおとずれる。
“ゴーオーッルーッ!!”
 まわりにいた観衆が全員で叫んだ。そしてその後の静寂。引き手を手にしたまま倒れ込んだふたりに、宙を舞った白いテープがハラハラとまとわりつく。
 勝者はどっちだ!?
 
誰もが決めかねて、まわりをうかがう。やがて静寂は喧騒に変わっていった。
 ゆっくりと立ち上がる仁志貴は、膝に手をつき、肩で大きく息をしている。顔をつたう汗が路面にボタボタと滴り落ちる。一方の戒人はあぐらをかいた状態から立ち上がろうともしない。
 自分の汗で黒く染まっていく路面から目を離さないまま戒人にささやきかける。
「やるじゃないか… ここまでやるとは、想像してなかった… おかげで、こっちの、計画はズタボロだ… いろいろと、手の込んだ仕掛け、しやがって… 」
「 …まあな。 …いつまでも、他人に使われてばかり、いられない。 …今回は、なんとか、つながった、 …から」
 戒人は無表情のままそう答えた。仁志貴には、つながったとう言葉の意味はわからない。いぶかしげな顔をしていると、目線に女性の足元が入ってきた。顔をあげるまでもない、瑶子の足元だ。
 なにかを伝えたそうであり、それでもなにも言い出せなさそうであった。
 仁志貴は首を振った。
「いいんだよ、ヨーコ。もうなにも言わなくたって。悪かったな、いろいろとヤナ思いさせて」
 瑶子はそのまま立ちつくしている。しゃーねーなと仁志貴は腰を立てて、いつもの目線になり瑶子を見下ろす。肩に手をやり戒人の方に押してやる。自分は反転して人混みの中にまぎれていった。
 よくやったと事情を知らぬ人たちから祝福を受け、肩を叩かれながら人の輪を横切って行く。ここで、誰にも決め切れなかった勝負の行方を、仁志貴が敗北を認めた形で決めてしまった。
『ウォー!!』という大歓声とともに、まわりから抱き起こされむりやり立ち上がらせられた戒人と、仁志貴に押されひょうしで戒人の前に立つ瑶子。
「ほらほら、告白するんだろ。彼女待ってるヨ」
 そんな情緒もひったくれもない無責任な言葉が飛び交う。戒人は意味ありげに右と左に目をやって、瑶子を両手で包みこむ。そして耳元で何かをつぶやいて見せた。瑶子は戒人の肩に顔をうずめ、肩を震わす。まわりの観衆にとってはそれだけで十分だった。雄たけびのような歓声と拍手がわき上がりアーケードにこだまして増幅していく。
 ひとりその輪からはみ出してきた仁志貴の背中に響くその歓声が痛く刺さってくる。そこに追い打ちをかけるように辛辣な言葉をあびせてくるは、やはり恵であった。
「残念だったわね。 …それとも、これで良かったのかしら」
 仁志貴は袖からマルボロを取り出して火を付ける。大きく息を吸いこんで口の両端から煙を吐き出す。そして空を、アーケードを見上げる。
 絵空事を自分でつぶしてしまった。自分で描いたはずの絵ならばどうにでも描きようはある。自分の良心に従順で、そこに大義があればできたはずだった。そんな思いが巡っている仁志貴に、恵の瞳はやさしく寄り添っている。
 意外な気がしていた。策に溺れた自分を蔑すんでくるのかと。そう思える時点で自分の良心に打ち負かされているのだ。
 仁志貴は
何かしらの結論を出したらしく肩をおとし、恵と対面する。
「なんだよ、カイトともつながってたのか? …って、あたりまえか。それぐらい」
 仁志貴は、戒人が実行したレース展開は、恵がシナリオを書いたのだと考えた。これまでの関連性を顧みれば気づくのが遅すぎたと思うのは当然だ。
「まーあ、そう思うのもねえ。ボーヤにしては出来過ぎだし。でもどうかしら? 私がなにか吹き込んで、そのまま実行できるとも思えないでしょう?」
 仁志貴は鼻から息を吹き出し脱力する。そりゃそうだ。あの戒人が、三歩歩けば、何すのか忘れてしまうようなそんな男が、恵の指示通りに腹芸をしつつシナリオを完成させると思えないし、無理してやろうとすれば、余計にヘタを打つのが関の山だ。
「じゃあ、なにか。カイトが自前で仕込んだってのか。それはそれで信じがたい。ミラクルだな… いや、ヨーコのおかげか?」
「そうね、ボーヤもさすがに今回はお尻に火がついたというか、敵に追われるエリマキトカゲというか」
 なんだよ、それ。と世代の差がうかがい知れる例えに首をひねる。ウケが悪かった恵はつまらなそうな顔をする。
「今回は、つながっちゃたんじゃないの? 今回だけは… ねっ」
 また、その言葉だった。仁志貴は首をひねる。
「さっき、カイトも言ってたけどよ。なんだよ? なにがつながったんだ?」
 恵は、戒人との距離をめずらしく詰められていない仁志貴を面白がっていた。
「ふふっ、別にね、それほど深くもないけど… 浅くもないかなあ。まあ、ボーヤの妄想と現実が珍しくつながったってことかしら」
 仁志貴は大きく肩を下げて息をついた。
「結局オレは、永遠にヤツラの引き立て役なんだな」
「いいんじゃない。きっとそれはアナタ自身が望んでいるのよ。それに、それ以外でおイタしてるんだから釣り合い取れてんでしょ。小学生や、ウチのコに手ェ出すのもほどほどにしといたら?」
「ああ、彼女、そうか。そうだったな… 」
 なにやら含んだような言い方に恵は引っかかった。重そうな顔になった仁志貴に問いただしても、正しい回答を引き出せそうではない。
「彼女にさ、伝えといてよ。タバコ吸いたくなったら、いつでも来いって」
「なによ、さっき言ったこともう忘れたの? そもそも私を差し置いちゃって、どうなのよ。それに伝令係じゃないし」
「別によ、オレが手ェ出したわけじゃないぜ」
 そこで、もう一度わき上がったゴール地点をふたりが目をやる。そこではまつりの終焉を知らせる仕掛け花火の点火が始まっていた。背面が明るくなるほどに仁志貴の前面は陰に覆い尽くされていく。
 恵が覗き込んでも仁志貴の表情は伺い知れない。咥えた煙草の灯火で対抗できるほどの力はない。そうして仁志貴はひとり夜の淵に消え去っていく。
「ヒットミさんも頑固だからね。なかなか素直になれないか… アイツならなんとかしてくれと思ってたけど、そこまですべてがうまくいくほど甘くないかしらね… 」

 まつりのあとはいつだって物悲しい。それが盛大で華やかであればあるほど、過ぎ去った場所には枯れた侘しさだけが際立っている。
 戒人と瑶子はベンチに腰をおろしていた。
「こんなにもらったって食いきれないつーの。なあ」
 瑶子は笑顔のままの困った顔で小さくうなずく。ふたりの両脇には焼きソバだのタコ焼きだのタマ煎だのがこれでもかと袋に詰め込まれていた。
「なにが、お祝いだよ。単なる残飯処理じゃねえか」
 ふたりの愛の誓いを無事見届けて、まつりは終了となった。ある出店の店主が面白がって売れ残った商品をプレゼントしたところ、ウケが良かったために追従する店があとを絶たず、そのたびに、MCが○○店の○○が、お祝いの品としていま手渡されましたーっ! とアナウンスするために断るに断れない状況で、あっというまに両手にいっぱいに膨れ上がり、その姿がまた観衆の笑いを誘い、その場を動けないふたりは人波が去ってようやくベンチに腰をおろすことができた。
 台風が近づいているという予報もあったが、すでに熱帯低気圧に変わっているようで、それでも時折吹く夜風が、客が残していった塵屑と喧騒を浚っていき、アーケードの隙間を通るたびに大きな摩擦音を立てる。
 戒人は穴の開いたアーケードを見ていた。かすれた星が幾つか煌めいている。
「しかしなんだな、このアーケードもいいかげん直さないとな。このまつりで儲けがでれば一掃して新しいのに変えちゃうとかね… 」
 瑶子はベンチに手をついて肩を立てて、同じように天を仰いだ。なんだか腑に落ちないらしく首をかしげる。その姿がかわいいので戒人はすぐに受け入れてしまう。
「だよな。なんでもかんでも新しくすればいいってもんじゃないよな。造るのは簡単なんだけどさ、それを維持し続けるのって大変なんだよな。それでさ、そういうのを残していく方が価値があるっていうか、なんていうか、カッコイイっていうか、さっ」
 なにやら良いこと言おうとしているらしいが、シメの言葉が思い浮かばなかったケースだ。瑶子は手慣れたものだ。そうねとばかりに大きくうなずいてみせる。
「 …おまつり、成功するといいですよね… 」
「大丈夫だよ。大成功するって。今日なんかさ、どれだけオレ、貢献したと思う? ほんと売上の一部を還元してほしいもんだぜ。あっ、そうだ。セキネさんに訴えてみよう。あのひとウチの会社じゃ唯一、時田部長に強そうだし、何とかしてもらえるんじゃないか? うーん… 」
 こうして戒人が自分の世界に入り込んでいくので、瑶子はひとり穴の開いたアーケードを見上げていた。錆びた鉄柱からは赤い粉が舞い落ち、波型に成型されたプラスチック性の屋根は、外れかかった部分が風にあおられてガサガサと音を立てる。耐震性などを考慮すればたしかにいつまでもこのままにしておくわけにもいかない。
 子供のころから見ていた当たり前の風景が一変してしまうのは、どんな思いがするのだろうか、瑶子にはちょっと想像がつかない。朝起きた時に、いつもそこにあったものが無くなっている風景に紛れ込んでしまったら、きっと自分はどこか知らない世界に放り込まれてしまったと感じてしまうだろう。
 隣の戒人もあいかわらず天を仰いでいた。何か考えているようであり、何も考えていないようにも見える。それなのに唐突に口を開く。
「なんかさ、オレって運が強いって言うか。絶対にヨーコちゃんをニシキに、ああ、ニシキだけじゃないけど、誰にも取られたくなかった。まあ、ニシキならしょうがないかな、ってちょっとだけ、ほんのちょっとだけだよ… しかたないかなあって、思った時もあったけど、思い直してね。オレだって弱い人間なんだよ、いつも不安ばっかりだし、事実、失敗ばかりしてるし、イケてるって思ったことでも、まわりから見りゃ全然大したことないみたいで、レスポンスゼロなんてしょっちゅうだ。だからね、ここにくれば落ち着ける、ここなら安心できるって場所が必要なんだよ。それがなきゃ、とても生きていけない。なんでもかんでも完璧に準備して、失敗しない姿を見せ続けようとすればするほど、できていない自分を思い知らされる、何度も、何度も… だから、その、つまり… 」
 瑶子は優しく笑っていた。今回はカッコ良いこと言おうとしたわけではなく、素直に自分の思いを告げようとして、うまく言葉が出てこなくなったパターンだ。
「 …だいじょうぶですよ。わたし、誰かに言い寄られるようなことありませんでしたから… 戒人さんが、安心して戻ってきてくれれば、うれしいです… 」
 瑶子はゴール地点で戒人に耳打ちされた言葉を思い出していた。『大事な言葉だから、こんなとこで言いたくないよ』と。大事な言葉を言おうとしているらしいがなかなか核心に近づかない。それでも瑶子は幸せだった。自分を目指してゴールに向かって来てくれた。それだけで十分だった。
 戒人と過ごす緩い時間はこれまでとなにもかわらない。変わらないなりにもうひとつ強くつながったように思えた。明日もこのオンボロアーケードがあるように、明日も戒人との時間がある。そうでない世界は、きっと別の世界なんだと思えるほどに。
「戻ってくるよ、戻ってくる。オレが戻ってくるのはこの商店街しかないじゃないか」
 勘違いも甚だしい戒人の言葉にほほを緩める瑶子。
「そうですね。ずっと在り続けて欲しい… 」
 言わなければならない言葉がある。言わなくていい真実もある。それでみんなが幸せになれれば現実となっていくはずだ。
「オレさ、ヨーコちゃんのことさ… 」