「よく間に合わせたもんですねえ。これじゃボクの立場なくなっちゃうじゃないですか」
恵と、会長が進む先にセキネが待ち構えていた。恵は腰に手をあて、あきれた表情で問いかける。
「あらあら、敵情視察ですか?」
「敵って… やめてくださいよ、身内でしょ? 企画書と稟議書作ったの僕だし。まっ、やってることは、ほとんど書き換えられてますけどねえ」
「そりゃそうでしょう、そのまま使ったらいろんな所に筒抜けになるんだから」
と、セキネをあくまでも敵対勢力として会長に印象付けておき、セキネの後ろに回り込むと小声で恨みつらみを続ける。
「夏まつりの事業企画書は、そのつど総務に提出しているのに、どこで止まってるのかしらねえ。社長が私の失態を見過ごしたと、吸収先に勘繰られるのを嫌がったってのもあるけど、私がいかにも、こそこそと立ち回っているように印象付けられてるみたいだし、だったらコッチもそれを利用させてもらわないと」
セキネも会長には悟られないようにして応戦する。
「事実と乖離した企画書で混乱させようとしたんでしょうが、少しやりすぎましたねえ。僕の方で取捨選択して流せるものは流しておきましたよ」
「どおりで、NGネタばっかり流れてたわけよね。これじゃあ私がバカまる出しで錯綜している姿がありありってとこね」
親しげな二人に、ひとり取り残された会長は交互に目を振る。
「ああ、会長。こちら、うちの会社の万年ヒラ総務員にして、影の実行支配者であり、駅前商店街のプランニングを一手に担う旭屋堂の刺客ですけど、まだまだ見せてない部分がありそうで、その実態はナゾにつつまれています」
会長は、肩書を聞くたびにうなずくも、結局どういう人物なのかわからないまま、恵の冗談のような紹介のしかたに、キツネにつままれたままだ。
「おいおい、ケイさん。会長さんが困ってるでしょう。そんな生々しい説明はこの場にふさわしくないですよ。会長、お初にお目にかかります。ぜひ私にもこの夏まつりの概要を見学させていただき、勉強させてもらえますか」
セキネは大げさにへりくだる。
「ダメですよ! この人に見せたらアラ探しして、つぶすところはつぶし、目に付いた部分があれば、さらに改良して自分のアイデアにして持ってちゃうんですから。今の段階ではまだ早いです」
会長はまだ状況が把握できておらず、同じ会社の年配者になにを言っているのかという表情だ。さすがにこの年代は年功序列に厳しい。
「わたしはこのあと、組合の打ち合わせに行かなきゃならない。おふたりで確認がてら見てまわってもらえばいいんじゃないですか。よろしいですかねセキネさん?」
セキネは一歩前に出て、喜んでとほほ笑むと、恵はその後ろでセキネの脇腹にヒジ鉄をくらわして不満顔だ。
「ほら、会長もそうおっしゃってることだし。さあさあ、行きましょう」
痛みを堪えて、セキネは恵の手を引っ張って勝手に進んで行く。最後まで二人の関係性がつかみ切れない会長は、首をかしげながら場を離れていった。
「ちょっと、もういいでしょ離してちょうだい」
恵は手を振りほどき、その場で立ち止まる。
「なんなのよ、聞いてないわよ。突然現れちゃって。コッチの身にもなってよね」
「なかなかの名演技でしたねえ。俳優業もこなすとはさすがケイさん、マルチタレントぶりをいかんなく発揮してますねえ」
「なに、はぐらかそうとして。私にもいろいろ段取りとかがあるんだから、いまはまだそのタイミングじゃないのよ。ややこしくしないでちょうだい」
「よかったじゃないですか、会長も気を利かしてはずしてくれたし」
「会長がはずしてくれなかったら、セキネさんに退場して貰うつもりだったわよ。退場しないなら、チキンウィングフェイスロックでオトして病院送りにしてるとこよ」
セキネは顔をしかめ、無言で首を振る。以前やられた経験があるらしい。
「別にね、セキネさんがアッチと内通してるからって私は気にしてないわ。それどころか、さすがセキネさんと感心したぐらいだけどね… 」
言葉を止めた恵は、それだけで終わるつもりはなさそうで、ハスに目線を送る。
「 …吸収先の発言力を持つ部長まで失脚させる手筈を取っていたとはね。しかも私を使って、ってとこがいかにもじゃない」
セキネは愉快そうに聞いている。肯定も否定もする必要はない、あくまで恵の想像上の話だ。
「おもしろい話ですねえ。しかし、それはいくらなんでも僕のことを買いかぶりすぎだと思いますけどねえ」
「どうだか。セキネさんがそう思ってても、向こうの社長の意向を受けて実行したのかもしれないし!? って、ああ、そういうこと… 」
恵は想像を膨らましているうちに、核心に近づこうとしている。さすがにセキネも頬がひきつるところだったので、くるりと体を回し商店街を一望した。
「しかし、短期間によくここまで体裁を整えましたね。古びた商店街も、消費者目線で見なおせば郷愁を誘う建造物と成りますか。なるほどねえ」
今度は恵が、多くを語る必要はない。セキネが話題を変えてきたことが如実にそれを物語っている。切り札は必要な時に切ればいい、手の内にあるうちに有効に使うことが必要なのだ。恵は大げさに手を広げセキネの視界を妨げる。
「だ・か・らーっ、偵察しないでって言ってるでしょ。まったく、もう。かといって駅ウラを歩くなとも言えないし、むしろ正面切って登場したことに驚くわ。つ・ま・り、自分が動いてるってことが私にわかっても、もう問題ないと踏んだってことですよね。次は何をたくらんでいるつもりなのかしら?」
「いやいや、次への布石を打っているのはケイさんの方でしょ」
「あーら、わかっちゃった?」
あえて、陽気にふるまうことで余裕を見せ、簡単には見破られない自信を見せつけるも、セキネは容赦なく切り込んでくる。
「そうですねえ、駅裏のこの道を端まで行けば、街並み保存街を通って城跡にもつながっていることですし。どうでしょう、人力車で往復させて、行きに食べ物、帰りに土産と金を落とさせるとか。いろいろと広がりも考えられそうですねえ」
するどい! 恵は笑顔のまま心の中で冷や汗をかく。ただそれは、セキネが形勢を入れ替えようとして、いきなり恵の最終目的に触れてきたともいえ、それだけ、さきほどの恵の発言が効いているという裏付けにもなる。
「さっすが、セキネさんですねえ。わたしが温めているプランを一見して読み切るなんて。実現にはいろいろとハードルもあるんですけど、よかったら、企画書作りますから、相見積もりなしで買い取っていただけません? 旭屋堂に移ってから発注いただけると私も助かるんですけどね」
「ほう、今回のまつりの成功を売りにして、いよいよ独立するつもりですか」
「まだ、成功するって決まったわけじゃないわよ。だけどね、ウチの社長みたいに無理にしがみつくつもりはないから。それに要らないなら、要るようにしむけてみせるぐらいの気概はまだ持ってるわ。向こうからアタマ下げて居てくださいって言わせるぐらいのね」
「ということは、はやり杉浦さんも引っ張ってくんですかねえ?」
ここで恵は笑みをこぼす。
「ご心配ですか? セキネサン」
口元で手を押さえるセキネはその手で恵を指さす。
「それはそうとして、こう敵が多いとかえってヤル気もわいてくるから感謝しなといけないのかもしれないわ。ソチらにとっちゃ眠らせておいた方が良かったんじゃないですかあ?」
恵はいたずらっぽく笑う。しかたがないとセキネが咳払いして取って置きを口外する。
「ここにきて社長にダメ出しされた小学生の総合学習を突っ込んできたのも、ケイさんらしいですしねえ」
「なに、なに、それも知ってるの? まったく、困ったもんね。平日にぶらぶらと出歩いてばかりいないで、ちゃんと社内で仕事してて欲しいわ。そ・れ・と・も、ジェームズ・ボンドなみの諜報部員がいるとか?」
「それほど大したモノじゃありませんよ。ただ勝手にしゃべってくれる内通者が部内にいるもんですからねえ」
戒人だ。恵はあたまをかかえたくなった。まさか人力車の駆動の仕掛けのことも話しているのではと不安に駆られても、それをセキネに訊くわけにもいかず、困ったものねと首を振るに留めた。これでは戒人は恵にとっては諸刃の刃だ。薬にもなるし毒にもなる。
「ケイさんと、杉浦さんの関係ほどじゃありませけどね」
ダメもとのカマかけにセキネが乗ってくるとは少し意外だった。珍しくあせっているのか、向こうから結論を急いでいる。それともそれ自体がワナかもしれないので安心はできない。
「どうかしら? 思うほどセキネさんより親密じゃないかもしれませんよ」
逆にセキネの方もこれだけジャブを打っても、ロープ際に追いつめられていない恵を見て、やはりあせりを感じ始めていた。今日すべての答えを出す必要はないものの、恵の方向性を確しかめておかなければ後手を踏むことになる。
「夏まつりは、そうとうやりそうですねえ。駅前もうかうかしてられないでしょう、と言いたいとこですけど、そのリスク管理は彼らにはできてなさそうですよ。勝ち戦の祝杯をあげることしか考えてませんからねえ。今度の夏まつりで引導を渡すつもりでいるようですが、これじゃ逆に寝首をかっ切られそうですよ。ところで、いったいどこからここまでの資金を捻出したんですか。夏まつりは恒例行事だとしても、ウチへの企画料と、ここまでの準備だけでもアシが出てるでしょうに」
「まあね。自分の身が危ういとは思ってもいないどこかのボンクラ部長が、ある条件と引き換えにね、敵に塩を送ってもらったってとこですかね」
重堂だ。彼もまた、踏み台にされるひとりになるのだろうか。
「それは、それは。よかったですね。彼はアナタの価値をわかっているようですが、その素敵なお尻から見え隠れしている鋭い針までは知らなかったようですね」
「さあ、どうかしら。ちゃんと働けばそれなりのご褒美が手に入るかもしれませんよ。ところでセキネさん、私以外にその発言をするとセクハラになりますからね」
あいかわらず、のらりくらりとかわしていく恵だった。
「店の扉に打ち付けてあった木戸が外されてますがどうするんですかね。このまま道路に敷いておくつもりではないでしょうに?」
「それもねえ、ご想像にお任せしますわ。当日来てもらえばわかることだから、隠し立てしてもしょうがないんだけどね。なんならセキネさんの見解をお伺いさせていただこうかしら?」
恵はセキネの口車にのることなく、セキネに話させることで、どこまで読み取っているのか探りを入れる。かと言って、セキネの言葉がどこまで真意なのかわかるはずもなく、ここはお互い腹の探り合いだ。セキネは木戸が外された店の中を覗き込んでみた。店の中は、さすがに商品が置きっぱなしになっていることはないが、当時の装いはそのまま残っている。懐かしさが充満しているそのたたずまいに目を細めた。
「駅前は大手の資本も入り、改装してきれいになった店もあり、駅裏と同じように閉められたままの店もあり、昔ながらのままで営業している店もありますからねえ。いまはまだ新装開店のムードにものって全体的に賑わってはいますが、この先いつまでそれが続くかは大いに疑問がありますね」
「大いに疑問って、そこまでわかってるんなら、さっさと手を打てばいいでしょ。私の前で体裁を取り繕うる必要はないんじゃないの? それともわかってて、ジリ貧になるのを待っているとか? まあそれで割が合うんでしょうね。しょせん、駅前も重堂もアテ馬でしかないと… 」
セキネはそれには答えず話しを続ける。
「全体の景観としてはずいぶん偏ってますからねえ。道路も整備され横道もなくなり、遊び心に欠けます。あたりまえですが単純で小ぎれいな立地にはカオスがありません。混沌がなければ人は愛着がわきません。いずれどこにでもあるどこかになってしまうでしょうでしょう」
「だけど、今の若い人たちは、それがいいんでしょ。うらぶれて朽ち果てる商店街なんて、来る気にもならない… 」
「それです! そこが、ケイさんのカムフラージュってわけですね。古い街並みを価値に変える施策は特に新しいものではありません、イギリスでもスクラップアンドビルドより、コンバージョンをするよう法的に整備もされています。それも、財政支援があり、補助金なり、融資がなされればの話ですけども… うまいところに目をつけましたね。店を改装する必要もない、そのままの景観を生かせば郷愁もさそうし、情緒にも訴えられる。木戸を開けた時の宝物を見つけた時のようなアナタの目の輝き。想像できますよ」
理論武装を持ってして矢継ぎ早にたたみかけてくるセキネに、恵はどうしたものかと悩んだ。時間もかけられない。黙っていては認めたことになる。肯定しても同じこと。否定すればセキネの発案として持ってかれる。
「そこまでは、誰だって… 」
セキネが神妙な顔つきになる。
「 …誰だってよ。考えることですよね。そこに何を足せるか、それで勝負が決まるでしょ。何を足すのかはひとそれぞれ、セキネさんなら何を足します?」
この時点で恵には何も考えはなかった、ハッタリは堂々と自信を持って言い切らなければ尻尾をつかまれ、形勢は一気に逆転される。
「なるほど、そうきましたか。それは宿題とさせていただきましょう。アナタに提出するかは別ですけどねえ」
「でしょうね。引き合いがあった方が勝者となる。それだけです。ただ、それだけ… 」
セキネはうれしそうにして手を振り、恵の元を立ち去って行った。
「アナタとの会話はいつも楽しくて、深みがあります。これからも遠からず、近過ぎずの関係をつづけたいものですね。それがお互いに一番良い距離感なんでしょう」
――これ以上、深入りするなってことね。最後通告のつもりなんでしょうけど、みてらっしゃい、ソッチから深入りしたくさせてあげるわよ。
やはり、敵が大きく、強ければ、それだけやる気がみなぎってくる恵であった