private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権 SCENE 29

2016-05-14 20:59:31 | 連続小説
SCENE 29

「いらっしゃいませーっ。あっカイくん、ちょっと待ってて。こちらの生徒さんで最後だから。はーい、できましたねえ。それじゃあ包みましょね」
 瑶子の母親である操子が久しぶりに見せる、元気な笑顔とハツラツとした声だった。父親の源一はどんな顔をしていいのか分からず、口をへの字に結んだまま、店の隅で団子をこねていた。瑶子も借り出され、源一が整えた団子に串を打つ手伝いをしており、母親の声にあたまを上げ、戒人を見とめると申し訳なさそうに顔をかしめる。
 戒人は両親には軽くあたまを下げて、瑶子には大丈夫のサインを手でかざしてから、店内の休憩所の長椅子に腰かけ、携帯端末を取り出しイジりはじめた。そのなれなれしい行動に、源一の眉間のシワが深まっていく。
 まつりのイベントのひとつとして提案されたのが、商店街のお店で小学生がおこなう体験学習であった。夏休みの自由研究の教材にもなると、学校側の評判も上々で、協力体制をとりつけられた。各店舗に割り振られた子供たちが、だいたいが親とその両親、つまり父方と母方の祖母と祖父を引き連れてやってくる。
 一家の一大イベントとばかりに、店の手伝いをする我が子の写真を撮り、動画を取り、子供がこしらえたカタチのいびつな饅頭や、団子をうれしそうに試食しては買い求める。もちろんそういった予定調和が盛り込まれた上で催行されている。
 生粋の職人である源一は、そんなおママゴトのようなお遊びに付き合う気になれるわけもなく、協力要請がきたときには強く固辞していた。わざわざ出向いてきた会長があたまをさげに来たときに、医者からも壮年期ウツの疑いもあると言われていた操子がその内容を耳にすると、久しぶりに喜ぶ顔を見せ、夫に意見をしたことはこれまでなかったのに、ぜひやってみたいと懇願され、しぶしぶ承知したのが本心で、本当は子供に団子を触らせ、親や親族のご機嫌を取るなどもってのほかだった。
 商店街も店も客足が遠のき、明るい兆しも見えなくなってから、塞ぎがちになっていた操子が見せる久しぶりの元気な笑顔が、源一の心を動かし、実際に体験学習がはじまると操子はウキウキとして子供の手伝いや、両親ら親族の接待を楽しんでいる。それを見れば見るほど、逆にこのイベントが終わり、いつものさびしい日常が戻ってきたとき操子がどうなってしまうのかと心配になるほどだった。
 そう思えば瑶子が家を継ぐような男と結婚して、孫でもできれば家に活気も出て、ひと安心というところなのだが、自分に似て口下手な瑶子に引っかかった男が、会長の息子とはいえ、小学校の頃からなんらかわらず頼りないまま、成長の兆しも見えない戒人では、とても大事な一人娘もこの店も譲ることはできないと、ほぞをかむしかなかった。
「どうもありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
 操子がいつもの通り丁寧に送り出すと、お土産を手にした子供は手を振ってうれしそうにして、操子らにあたまを下げる家族と一緒にお店をあとにした。
 午前に3組、午後に5組の体験学習がこれで終了した。おまつりの3日間このサイクルが続く。操子は満足げに、あーっ、楽しかった。また明日もガンバらなくっちゃ、と言って片付けをはじめる。
 源一は瑶子に目配せして、手伝いを終えていいことを伝えた。瑶子はうなずいて、残った団子に串を打ち終えてから手を洗い、エプロンを外す。携帯端末をいじっていた戒人の前に立つと、気づいた戒人が立ち上がった。
「エプロンのままでもよかったのになあ。買い物に出かける新婚さんってカンジ?」
 そんな軽口をたたいて、源一にあたまを下げるが、きづいているのか、いないのか、源一は知らん顔で、串の打ち終わった団子をタレの入った壷に順番につけていく。
 店を出た二人は、まつりの準備がたけなわの商店街を歩いて行くと、ほうぼうで同じような光景が見られる。肉屋では下準備を手伝った少年が、店主が揚げたコロッケを包んで、両親や、ひやかしに来た学校の友達に渡している。花屋では子供が選んだ数種類の花を束ねて、デコレーションとラッピングをして両親にプレゼントしている。子供達には体験学習で働いた分の報酬として、まつりのプレミアムチケット千円分が渡される。それらがすべて体験学習の参加費用に含まれていても、それぞれ受け取る嬉しさは格別だ。
「なんだかな、オレたちの子供時代には普段の生活の一部なのに、それが今じゃ、家族を巻き込んでのお祭り騒ぎだよ。あっ、おまつりだからいいのか。いやいや、そうじゃなくて、これじゃあまるで、テーマパークで、アトラクションに参加してる子供を見守る図… あっ、それ、オレが言ったんだったよな… 」
 よくある戒人の自己疑問、自己解決で話が進み、瑶子はうなずいたり、首を傾げたりしてあいづちを打っている。その後、戒人にしてはめずらしく押し黙り、無表情になっていった。
 この企画を父親から耳にした時にも同じ言葉もらしていた。最初にオレが言ったことじゃないかと。小学校の頃から見てきた同じような流れだ。グループで実験だとか、校外実習や、研究発表などを行うとき、積極的に参加していない戒人が一歩引いた場所からなにげなく、そして他人任せで、無責任につぶやいた一言が、あとになって、重要な部分で使用されていたりした。自分もそれほど真剣に考えて言ったわけではないし、その言葉を自分でもこれほどうまく活かせるとは思っていないので、それはそれで歯痒かった。
 ただ、自分にももう少し時間があれば、自分の言葉をうまく使うこともできたのではないかという自負も少しはあった。つながることはつながる、それが人より遅いか、すこし間が悪いだけなのではないかと。
 戒人のあたまに、あの時の恵の言葉が蘇ってくる。
「そんなことがこの商店街では日常化していて、あなた達はこの商店街の隆盛とリンクしながら、ずいぶんと楽しい幼少時代を過ごしてきたのね。今日は大した期待もせずにアナタにつきあってみたけど、どうやらそれで正解だったみたい。もしよ。もし現代にそれを再現できたら面白いと思わない?」
「いやあー、ムリっスよ。いまのガキがそんなことすると思えないっス。ゲームで遊んだり、テレビ見てた方がいいって言うに決まってますって。それに子供に手伝わせるほど忙しい店なんてどこにもないっスよ」
 恵は、やはりありきたりな発言しか言わない戒人の言葉をうなずいて聞いていた。
「アナタ、ふだんはいまみたいにロクなこと言わないけど、稀に興味深い発言をするのよね。私の勘が良いのかもしれないし、アナタが私にとってのラッキーパーソンなのかもしれない」
「そおっスか?」
「誉めてないわよ。あのね、私ね、つねづね思ってたのよ、人の生き方ってもっと自由であるべきなんだって。型にはめようとするのはいつも体制であり、権力でしょ。それがあとから追っかけてきて、こうしなさい、ああしなさい。これが普通ですなんてお仕着せてくる。ひとつの仕事に一生を捧げるのが美徳だなんて、勝手に作り込まれただけの価値観で、本当の人の幸せとはまったく別のところにあってもおかしくないんじゃない。人がひとつの場所に集められて働くほうが、効率が良いってことで、会社なり、工場なりが作られ始めて、たかだか一世紀ぐらいなのよねえ。あなたにこんなこと言ってもどこまでわかってもらえるかしれないけど、でもね、私の中ではつながっちゃったみたい」
 それほど、期待せずに話し始めたのだが、思いのほか戒人は余計な茶々も入れずに押し黙って聞いている。それではと、恵も持論を続けた。
「それまでは個々人で生きるためにどんな仕事もこなしていた。『百姓』なんて言うと差別用語に捉えられがちだけど、もとは百の生業をこなす人々のことを言い表しているって説もあるし、それが時の政権の都合に合わせたプロパガンダとしても、時代によって人に強要しているのはいつだって、そんな耳触りのいい掛け声だけなのよね。本当は今だって、百の生業をこなし、横断的に経験値を得ている人や、雇い主が、そこから新たなアイデアが生まれるというチャンスを見過ごしているだけだとしたら、働き手の価値が一変するかもしれないわね」
 戒人は正直いってよくわかっていなかった。恵のいくつかの言葉には引っかかりがあっても、また暴走がはじまったぐらいにしか思っておらず、その時は言葉が戒人の前を上滑りしていくだけだった。
 それらが少しずつこなれていき、ひとこと、ひとことが思い出され、沁み入ってきた。こうして体験学習を目にすればそれが、いっそう深くつながっていく。自分がなにげに吐き出した言葉が形になり、子供たちに影響をおよぼし、そのまわりの人間をつないでいく。自分では実現できなかった世界を恵は完璧に現実にしてみせた。嬉しさ半分、悔しさ半分。自分のヒラメキを誉めてやりたいし、自分の実行力のなさにダメ出ししたい。
 あえてひとつだけ自信となったのは、たとえ時間がかかっても、恵の構想をおぼろげながら理解し、共感できたことであり、まだなにかを足せるのではないかという思いがあることだ。恵をおどろかせたい。そんな野望がくすぶりはじめていた。
「ヨーコちゃんはさ、もし子供ときにこんな学校の実習があったら、なにやりたかった? とはいえ、オレたち、そこそこ、この商店街の仕事は経験したけどな」
 瑶子は自分が答えるべきなのか考えた。戒人が自分に答えを求めているようには見えなかった。わたしは… と切り出したところで、案の定、戒人がかぶせてきた。
「オレさ、ヤッパ… 」
 そこからの言葉は、瑶子の想像通りであり、そして恵にも見透かされていた。
「それで、あなたが一番楽しかった仕事はなんだったの?」
「そりゃあ、もちろん。風呂屋の番台やれたときはもう最高だったっス。当時の風呂屋のオヤジが大相撲に目がなくて。風呂屋にも、もちろんテレビあるんスけど、ドラマの再放送流さないと女性客が風呂入りにこないって、奥さんからチャンネルを固定されちゃってるから、5時から6時まで抜け出すために100円で子供に声かけて、電気屋に見に行っちゃうんスよ。これがけっこう競争率高くて、風呂屋のケイタは見飽きてるからいいとして、ユージとニシキと取り合いで、曜日ごとにローテーション決めて、15日間のうち5日をシェアするんス。ほかの同級のヤツラとか、上級生に気づかれないように隠れてやるのは大変だったっス。あとは、ストリップ劇場で、ステージの合間に座席のゴミ拾いするんスけど、イカ臭いティッ… イテッ!」
 恵の掌底が戒人のミゾオチにヒットした。
「あーっ、いい、もういいから、皆まで言うな」
 恵がこめかみを押さえつつ首を振る。そして大きく呼吸をして、冷静なコメントで押さえつける。
「わかるわよ、それが現実であり、大人社会を知るのに必要な工程だったのは。本当に大切な経験って、そうやって親とかに隠れて覚えていく方が多いんだし、だからこそ身に付くんだろうけど、小学生にはさぞ刺激的だったでしょうね」
 恵なら適当なところで止めさせられ、そこから自分の考えも付け加えられても、瑶子では困り顔でうなずくしかない。
「 …イカ臭いティッシュがそこら辺にボロボロ落ちてるだろ。子供の時なんか、上級生とかに教えられたって、なんのことかわかんなかったけど。ある時期に来て、ああそういうことかって。そんなことがさ何度かあって、振り返れば面白いもんだなあって。ヨーコちゃんもそんな経験ある?」
 あるわけないし、あっても瑶子が口に出すわけがない。戒人はそんなことにはおかまいなく、いつもとは景色が違う商店街の眺めを面白がって見ている。
「なんだか、ある意味、不憫だよな。これだけいろいろと段取ってもらえないと店の手伝いもできないんだからさ。オレらが楽しんでやったり、イヤイヤしてたことが、授業の一環で夏休みの宿題の課題だってさ。それでよけりゃ、オレたちも夏休みの宿題もっと楽だったよなあ」
 仁志貴からの最後通告を受けた翌日に、戦う意思を伝えてきた戒人だったが、勝つための努力をしているようにも、なんらかの戦略があるようにも見えなかった。ふたりでいるときもこのとおり相変わらずC調のままで、瑶子には戒人の本当のところが見えないまま不安な気持ちはつのるばかりだ。
 ただ、戒人がそのときに言った言葉が、自分に言い聞かせるように、そしてひとりごとのようにつぶやいていた言葉が、瑶子には妙に気にかかり、いつまでもあたまから離れずに、なにかしら期待を持つことで気持ちをつなぎとめていた。
「 …不安な気持ちや、心配事は誰にだって、何時だってあるんだよ。オレもありすぎるぐらいある。それをオモテに出しても誰もかばってくれないし、逆につけ込まれたりもするだけなんだ。だけどね、それを話せる相手がいるかどうかって、すごく重要なんだよ。誰にも言えずにひとり悶々とするしかないって、もしかしたら一番つらいことなのかもしれない。だからね、それだけでも、オレたちは幸せなんじゃないかと思う。人生なんて失敗の連続なんだからさ、だからっていちいち自分のできなさ加減に落ち込んで、それでダメだって方向に流れるのは、ある意味ラクをしてると見られてもしかたない。ラクして、逃げて生きるのも最終手段として必要な時だってあるけど、ニシキがやるってんなら、オレは逃げないよ。かといってスーパーマンじゃないんだ。まともにやって勝てるわけないんだから、だったら勝てる土俵にひきずりこんでやる。絶対に、ゼッタイにね、ヨーコちゃんにチョッカイ出せなくしてやる… 」
 戒人には、小さい頃から何度も何度も声をかけられ、励まされてきた。その言葉がかなりの割合で自己都合でもあり、行動と伴っていなかったとしても、瑶子を思っての言葉であるのは疑いようがない。戒人が戦う気持ちをみせるならば、瑶子もそれを信じるべきだと思えた。ある意味、仁志貴の横やりは自分たちの決心を促すための、芝居ではないかとさえ思えてくる。
 人がそんなに簡単に変われるはずがないのは瑶子が一番分かっている。なりたい自分と、なるべく自分はいつまでたっても一致しないままだとしても、昨日の自分より1ミリでも大きくなっていれば、それを他人が認めようと認めまいと、自分で認めてあげればいいだけだ。
 後押しされた瑶子は、一歩前に進もうと、戒人と一緒に一歩前に進まなければいけない時期なのだと決意した。
「どうかな? オレの… 」
「あっ、戒人さんの… 大きすぎます… 」
「そうか、そうかなあ。これぐらいがフツウだろ?」
「挟んで… あげますね」
 瑶子は前かがみになる。
「えっ、ホント? ヨーコちゃんに挟んでもらえるなんて… アッ、マジ!?」
「 …そんなあ、おおげさです… あっ、やっぱり、コレ、はみ出ちゃいます。やっぱり大きすぎます… それに… 」
「それに?」
「それにちょっと、太さも… 」
 瑶子はもう一度、挟みなおしてみても結果は同じだ。
「これじゃあ、挟めても、口に入れるのは大変そう… 」
「大丈夫だよ、一度ためしてみて? ほら、はみ出してる部分、くわえてみてさ」
「 …いいんですか? そんなことして… 」
「いいも、悪いも、いいに決まってるじゃないの。さあ、さあ、遠慮しないで」
「あんっ、でも、これ、先が割れてて、熱そうな汁がこぼれてます… 」
「ヨーコちゃん、ネコ舌だけどさ、それはちょっとそれは大げさってもんだよ、そこまで熱くないからさ」
「そうですか。じゃあ、いただきますね… 」
「うん、さっ、早く口の中に入れっちゃって」
「あんっ! やっぱり、熱いです… 」
「大丈夫?」
「 …もう飲み込めましたから… 大丈夫です」
「よかった… あっ、コレ出して、かけるともっと良くなるからさ。ちょっと待ってて」
「戒人さん、好きですね。 …ソレ」
「あったりまえだよ。イッパイ出すからさあ、ヨーコちゃんにもかけてあげるよ」
「 …じゃあ、ちょっとだけ… お願いします… 」
「遠慮しなくていいから、ほら、こうして、あっ、出そう」
「あっ!」
「ゴメン、ゴメン。ヨーコちゃんの顔にもかかっちゃった。大丈夫?」
「あっ、はい、自分で取りますから… あんっ、戒人さんのここにもついてます。 …取りますね」
「そんなに、舐めちゃって大丈夫? けっこうヨーコちゃんも好きなんじゃないの?」
「 …嫌いじゃないですけど、戒人さんほどじゃないです… 」
「ねえ、ねえ、お兄ちゃん。ケチャップ別料金だよ」
 パン屋で学習研修している子供が、店先でホットドックの売り子の手伝いをしている。売り子と言ってもセルフサービスで、パンとウインナーを選び、好みで炒めたキャベツをトッピングして、小袋のケチャップや、マスタードを付けるので、実際やることといえばお会計だけだ。
「ごめんなさい、わたしが払います。いくらですか?」
「ジューエンでーす」
「せこいな、10円ぐらいまけと… 」
 瑶子に口を塞がれる戒人。瑶子は財布から10円玉を取り出して、少女に手渡し、二人は歩きながらホットドックを頬張った。
「なんかさ、ヨーコちゃんとこうやって、この商店街で買い食いするの何年ぶりだろ。なんかいいよなあ、こうゆうの。別にさ、高い店で食事すればしあわせってわけでもないんだよ。いやホント」
 それについて瑶子は肯定も、否定もしない。ただ、こんなささいなことでも、嬉しそうに話す戒人を見ているのが自分はしあわせなのだと、あらためて思っていた。