private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over24.11

2020-02-10 22:05:25 | 連続小説

「また、気持ちが後ろ向きになってるでしょ」
 ぎくっ。おれの内面に機敏に気づいている。ギターを鳴らしながら目線もあわせずそいう言ってきた。よく耳にするリフのいくつかを、手慰みのように順番に弾いている。空気を重く感じていたのはおれだけで朝比奈はそうでもないのか。
 朝比奈は抱えていたギターをおれに突き出してきた。朝比奈のカラダで十分温ためられたギターを構えてみた。ぬくもりが伝わってくる。抑圧と解放。解放と抑圧。おれと朝比奈はそれをお互いに繰り返している。
「指をこうして」
 朝比奈はおれのバックに位置して手を伸ばし、弦を押える位置を教えてくれる。顔がすぐ隣に最接近している。これが火星なら数十年に一度の大接近とか、ニュースになるぐらいだよな、、、 例えが火星って変か、、、 大接近って、でもそういうイメージなんだよな、おれのなかでは。
 あまい香りがする。ちょっと前に走ったし、さっきも演奏で紅潮してたのに朝比奈クラスだと汗のにおいだって芳しいのか。それに肩越しから鼓動が、首筋には吐息が、、、 多分、吐息じゃないけど、、、 呼吸じゃ味気ないし。
 それに時折ふれてくる胸のやわらかい部分。そんなんで集中できるほどおれは大人になりきれてない。むしろ大人になるほど意識が高まってくるはずだ。こどものときは知らなかったことが、大きくなるにつれ意味をおびてきて、今度はそれを抑制することが大人の証明になってくるなんて、ほかにも多くあるはずだ。それが正しいかなんてわからないし、おれはそんなものに価値を見いだせない。
「このフォームがC。一番最初に覚えるコード。そう、たぶんね。調和をかもしだすには抑制も必要なんだけど、いつしかそれが抑圧になっていく。そしてひとの前にはしなくてはならない選択が突きつけられる」
 そんなCを最初だなんて。ふつうはAから始まって、Bを充分堪能したあと、、、 あっイテッ。脇腹にヒザが入った、、、 すいません、なんも知らないくせに知ったかぶりしました。
 これってさ、おれだけが勘違いしているわけじゃないと思うんだけど。だってそうだろ、男女が密室でふたりっきりで、こんなに密着したら、これはおとことして次の段階に行かなければならない状況なんではないだろうか。そうしなければ女性の決意に水を差すとかそういう流れなんじゃないか、、、 ひとりよがりか。
「それがホシノがした選択。理性が起こしたのか、本能が起こしたのか。誰にもわからず選択は未然におわる」
 そしてされるがまま右手を振りぬかれた。“ジャーン”なんだか明るい音がした。おれははじめから面倒なことは考えずに、前だけを向いていればよかったんだ。朝比奈も言っている。なにしろ前に進むべき場所があるのは結構なことだ。
 左でコードを押さえる。右で弦をはじく。バイトのシフトと同じで必要なときに必要な場所になければうまく機能しないってことなのか。それはそうでこんな初歩の初歩を覚えることになんの意味があるのだろうか。疑問がいっぱい、太陽がいっぱい、朝比奈のオッパイ。そんななかでおれはされるがままでいいんだろうか。
「それ以外の選択肢はないの? 少ない選択は喪失感をあたえるし、多すぎる選択は混乱をあたえる。どちらにしろ達成感はえられずに、そう判断した自分を肯定する材料を集めるのに時間を労する」
 そうだな、朝比奈がおれのことを幸運の石だと判断したなら。すこしはおれも大きく出ていいじゃないだろうか、、、 なんて、、、 ただしその論点が明確ならそうできるんだけど、どこのなにをもってそう言っているかわかんないうちは、どちらにせよ朝比奈の手のなかだからなんともならないしな。
「それが賢明な判断なのかもね。ホシノを幸運の石にできるかどうかは、そう、これは、ホシノにかかっているわけじゃなく、わたしの主観でしかないんだから」
 ふう、余計なこと言わなくてよかった。どうやら朝比奈がここでギターを披露するのも、おれにギターの手ほどきをするのも、もっと言えばチンクで運転を教えるのも、公園をランニングするにもなんらかの命題があり、それをしていくことにより、朝比奈の一手、一手が王将を詰めるのに必要な行為として成り立っていくわけだ。
 論理的に考えればそうだけど理論的に理解してはいない。
 不器用な左手でコードを押さえるという行為が理にかなっているかわからない状況で、どうやら右手も上下に動かすのは初心者がやることで、うまいひとは一弦づつバラバラに五本の指を使って音を奏でるから、そうすると右手が利き手として必要価値が高まるらしい、、、 おれにはそれが一致するまでにいたらず、ピンときていない。
「そんな先のこと考える余裕は必要ないよ。これがF。ギターをやるひとが続けるかどうかって分岐点になるのかF。Fの挫折とか言わる。なににだってうまくものごとが進む期間があり、それによってのめり込むきっかけにもなる。そして同じようになににだって挫折とか乗り越えられないカベが現れ、こころざす人を右と左に振り分けていく」
 朝比奈は人差し指を立てて中指薬指小指を順に上から重ねた。弦をはじくと少しこもった音になる。
「アコースティックだと弦が高いから、押さえるのにそれなりの握力が必要になる。エレキだとこういう押さえかたもある」
 そう言って、ギターのネック、、、 左手で持つ部分をネックというらしい、、、 それをわしづかみにした。さっきよりもっと音がこもった。朝比奈は目をかしめた。どうやらうまくいかないことにイラだっているみたいだ。
「FとBは押さえづらいけど大切なコードなんだ。これをふたつづつフレットを進めていくとオープンな状態でE、F、G、もとにもどってAになる。そしてオープンな状態でAからはじまって、B、C、D、Eと進んでく」
 おれはなされるがままにネックの根本に向かって、銀色の金具の場所をひとつ飛ばしで進んでいく。音がそのたび高くなっていく。それはかなり重要な説明らしいんだけど、おれにはそれがどう大切なのかわかっていない。そんなことはどうでもいいように朝比奈はそれをこなしていく。
 おれは力を込めてFのコードを押さえる。カチリとはまり込んだ感触が手を伝わってアタマに響いてくる。そしてストロークするときれいな音が流れる。朝比奈がいうところのオープンな状態で弾く時の音が再現されていて、うんうんと首を縦に振る、それは肯定しているようで、少しいまいましい思いが混在していると自己主張してくる。
 その認識をもとに弾くことができるように工夫されているのなら楽器を考えたひとの思うつぼだろうか、、、