「アユスタン アユスタン スタンバミー♪ スタンバミー♪」
優しい声が、甘く、切なく徐々にフェードアウトしていく。これで終わりってことだ。おれが何に対して切ない気持ちになったのか。おれがギターを止めても、朝比奈の声があたまのなかで共鳴していた。夢の続きも、意図するところも、訓戒も、思い出すにはいたらなかった、、、 夢物語だったとしておくのが、おれには無難なところだ、、、 それなのに、なぜよかったと言えるんだ? それ、、、
「よかったよ。ホシノ。ずいぶん楽しそうにしてたし、相性いいんじゃないの。もしかして、ホシノと楽器も。以外とね」
ああ、夢の続きじゃなくてギターのはなしね、ギターの。そりゃそうだ。『楽器も』って、それ以外に相性が良かったものってなんだろうかとか、少しだけ疑問に感じたけど、いまそれ以外のこと考える余裕はなく、そうして本当に必要な行動を置き去りにしていく。
なのにおれは、そう言われて、ハイそうですと答えるのも癪なぐらいに楽しんでしまった。チンクを運転したときも物珍しさもあって集中できたけど、楽しむまでにはならなかった。走り終えたときにはホッとしたぐらいだ。
それなのに楽器の演奏は、うまくやらなきゃとそればっかりに必死なのはクルマの運転と同じだったけど、朝比奈が歌を入れてくれてからの気持ちの高ぶりはこれまでにないものだった、、、 つまり集中できたのも、楽しめたのも、気持ちの高ぶりもすべて朝比奈のおかげでしかない、、、
バンマスさんやケイさん、ついでにマリイさんも入れ込むのも無理はないのか。おとこがハマる要素がいっぱいあるし、、、 マリイさんはおとこではないか、、、 朝比奈がおれとおなじ環境にいてくれたこと、そうしておれを導き続けていることに感謝すべきなんだ。
なんにしろ楽器が弾けるだけで、なにか自分の人生がひろがった気になるからいい気なもんだ。それを自由自在に操れるようになれば、そりゃ楽しいだろうなとか、何だってそうなんだろうけど、ひとりじゃなくそこにいるみんなで曲とともに一体化していく感じが。それでおれは、マリイさんの店で見た演奏があんなに楽しげだったのが理解できた。
朝比奈はそれをおれに教えようとしてくれた。クルマの運転がしっくりこなかったからか、よけいにおれは身に染みているんだ。なんにしろ思考を止めずに次の一手を考えていく。その行為自体はなにも変わらない。
「そうねホシノ。じゃあ最初ときのこと覚えてる」
あいかわらず冴えないおれは、朝比奈の言わんとする意味がわからず、なにを言ってるんだか、さっきやって見せたばかりだろなんてのたまいていると、ああそうかと朝比奈の問いの先が見えた。問いの先は見えたけど、問いへの回答はそんなに簡単には見えてこない。
初めての行為というものが往々にして、一番印象に残り、記憶に留められ、いつでも懐かしく感じられるからこそ、初体験なる言葉もあるぐらいなんだから。この先、何度も新しいことを経験するだろうけど、この時感じたような、新しい力が体内にもぐり込んできて、指の先から足の先まで血の廻りや、神経をつたう痺れさえ快感に思えるような体験は二度と味わえないだろ。
こうしてひとつの新しい体験は、ひとつの人生の感動を消化してしまったにひとしいと思えば物悲しさも同時にある。ひとりで経験したわけじゃなく朝比奈といっしょだったからってこともあり、昨日も今日も思い出ぶかい一日として印象に残るのは、そのなかでも救いだといえる。
「それもすべて視覚からの映像とか、五感からの刺激による脳内物質の抽出による産物でしかない。二度目以降からは、物質の抽出も弱まり感動も記憶も薄まっていく。どうせあまい味覚とともに思い出になったりするでしょ。ホシノよ」
またあ、冷静に語っちゃって。そんなこと言ったら人間の経験なんてものは、あるいみすべて脳の錯覚ってことになってしまうじゃないか、、、 あまい体験とはそういうことなのか、、、 おれが初めて自分の足で競い合った時のおれは、今日と同じような快感を得ていたんだろうか、それとも錯覚の中だけのできごとだったのか。
覚えてないくらいだから、それはそれほど特別な体験ではなかったのかもしれないし、朝比奈が言うように、そのとき脳はいつもと違う強い刺激を受けて、強く印象に残ったけれど、なんども走り続けたことでだんだんと薄められていったように。
「わたしたちが求める欲望ってだいたいそうだったりする。いつまでも同じ感動は続かない。それでもなにか新しいことに着手するには動機が必要となる。感動体験が普遍になっていくのは人間の生存本能のせいでしかない」
そうだとしたら、今日の感動もいつかは意味をなくしていくのかもしれない、、、 おれが楽器を続けていればのはなしだ、、、 そのほうが印象に残るなら、もうやらないほうがいいのかなんて、安易な選択ぐらいしかできない。
「ははっ、そうね。それもいい考えかもしれない。好きだとか熱中してまわりがなにもみえなくなって、そのあげくになにも残らないなんてよくあるこだから。わたしがそうなることだってね」
走ることは日常であり、かけっこだって、運動会の50メートル走だって、体育の授業だって、遊びの延長にしか過ぎなかった。初体験として感銘をうけながらも、それまでの日常の延長線上として薄められていく。誰のコップにも入る水の量は決まっている。感動をどれだけ残そうとしても、収まりきらなきゃはみ出していくってもんだ。
断片的には、先生や友達から誉められたりして優越感に浸った記憶はある。なんだかんだで、部活に入るように勧められて、競技をして人に勝つのは嬉しくて、タイムが縮まれば方向性に間違いはないともっと頑張って練習したし、試合で負ければ悔しくて、タイムが伸びなければ、別のやり方があるんじゃないかと試行錯誤しながらさらに頑張って練習していた。
そういうのが動機といえば動機なんだろうけど、当時はそんな気持ちはなく、いま思えば何かに突き動かされていただけだ。自分の意志とは別のところで自分が動いていた。そう思えばこれまでの自分の人生は、ほんとうに自分で選んで生きてきた道だったんだろうかと考えさせられる。
ああ、そうか、おれがいま置かれている状況は、それと同じなんだ。もう一度あのときの時間を繰り返す機会を与えられた、、、 それがおれの望みだったのか、、、 もう一度、自分の道を取り戻すときなのかもしれないと知らしめてもらえたわけだ。
「だから、ある意味、はじめてが最後になるのかもね。そう考えれば、ひとはもっと人生を大切に生きていけるだろうな。ホシノよ」
夢中になってやれることってそんなに簡単には見つからない。きづいたら日が暮れていたとか、朝になっていたとか、時間の流れの中からはみ出している感じ。おれたちはどうしても同じような毎日を送るのは、それが安全で安心だと思い込んでいるからで、違う一歩を踏み出すのには、それによって起こる変化を想像できずに躊躇してしまうからだ。
おれはいま、これまでと違う一日への一歩を手に入れた。おれがギターの感動をどうのこうの語るより、なによりも朝比奈の願いをかなえるために頑張らなければならない、、、 すいません、ちょっとカッコつけました、、、 それが自分の望むところと違っていても、その場に投げ出されたならやるべきなんだ。
「よかったね。ホシノ。動機やキッカケがどうであれ、自分がやるべきことが見つかって。望んだことが本当にしたいことだとは限らないし、思いもせず手にしたモノが宝物になることだってある」
おれに必要なのは、愛でも金でもない、生きていくための動機なんだとでも言いたいのだろうか、そんな思いが言葉にこめられている気がした。
「勘違いがわたしたちの人生をつくりあげているなら、これもまた正しいことなんてひとつもないって理由にもつながる」
なるほどそうか、思いどおりにいく人生なんかない。あってもそれで幸せになれるわけでもない。安息は狂気を求め、混乱は静寂を欲している。生きることが複雑になるにつれ、選択肢が増えるにつれ、本当に求めているモノがなにかを見失っていくようだ。
「大切なものを手にすれば、別の大切なものをまた失っていくのはこの世の決まりごと、自然の摂理、宇宙の法則。合計で0以上にも、以下にもなることはない。で、このあとホシノの家にいくことになってるんだけど、おかあさんに聞いてる?」
朝比奈が首をくるりとまわして見上げた先には、部屋の奥で薄暗いあかりが灯っていた。蛍光灯が古くなっているらしく時折切れかけてまた点く。モールス信号のように点滅していた、、、 解読はできない、、、
そっからそうなるのか。あの母親にして、この朝比奈あり、、、 血縁関係ではないな、、、 むしろおれがそうだな、、、 そんなことひとことも言わないで、おれを放牧しといて、ペーターにつれられて小屋に帰えるユキちゃんにしようとは。