それからも工場の中央通りを何度も往復した。いつしか空が深い紫色に変わっていく。
新しい一日がはじまる。それをなんとなく当たり前のように迎え入れていた昨日までと、やるべき目的があって迎えるとでは印象が違うのは、そりゃあ自分本位の感じ方でしかないんだけど、自分がおかれた状況で、自然の営みを見る目もこうまで変わってくるんだって改めてわかった。そしてそこにはなつかしいかおりがする。
集中しているときだけ味わえるこの感覚。すべてが自分の味方をしているように思えてくる。自分がやるべきことをやりきったときだけに訪れる至福のときだ。
それを繰り返せば同じ状況はいつだって創り出せるのに、自分への甘さが出るもんだから、その境地に達するのは偶然の一回ぐらいでしか遭遇できず、だからチャンスは何度も訪れるわけじゃない。ここ一番をモノにする気概がなければ、単なる一回に成り下がってしまい、おれはその回数だけを重ねてきた。
そう思うと走りにもいっそう力が入る。なれてくると一回、一回を漠然と繰り返しがちになってしまう。この一回は唯一の一回なんだって、もういちど引き締めるには自分の見えない内面をコジ開ける必要があり、傍で見ているように簡単ではないんだ。
そのあげくベストを尽くせずに悔やんでもやり直すことはできない。だけど新しいもう一回は誰にでもあるんだから、いつだってその先に進む時はできる。誰にだって。
そういうことだって、漠然とした一回を繰り返したから至ったわけで、ムダではないんだって、そう思いたい。
左手を返してカチリとイチの場所に、、、 一速ってやつだ、、、 一速に入れる。足指の先だけで細かく調整して回転数を安定させる。厚底ではコントロールできないもどかしさから、おれはもう靴を脱いで靴下だけになっている。そうすると細かくエンジンの動きを調節できた。
クラッチがつながるときに生じるロスを考慮して少し、、、 これもなんどもやってくうちにわかったことだ、、、 ほんのひとメモリピクリとあがりかけたタイミングで左足を戻して、タイヤにエンジンが生み出したエネルギーをつたえる。それ以上でも、以下でも得られない鋭い加速が得られる回転数と、腰からつたわるこの感触を忘れないようにカラダに染み込ませていく。
どこがベストなのかそれは数字で認識するものではない。すべてはからだに伝わってくる感覚だけがたよりだ。数字にとらわれるとそこが基準となり、正しくやれていると思いこんでしまい、からだが求めているところとズレていたとしても、あたまが無理に納得させてしまうようになってしまう。
首にかかる重力がこれまでにない強さで、気管が押しつぶされて息がつまった。右足のアクセルをグーッと踏み込んでいく。ペダルの圧力は強すぎもせず、弱すぎもせず、なんのストレスもなく自分の意のままに踏み込んでいけた。
これは永島さんの調節、、、 チューニング、、、 のおかげなんだろうけど、期せずして感覚が同じなんだって変な気分だ。
意外なところで意外なひととつながっているなんて、そういうこともあるもんなんだって、喜ぶべきなのか悩むところだけど、いまさら自分がこうしたいって思っても自分で調節できるわけもなく、もしくはこのクルマの出来上がり自体が、おれのために組み立てられたんじゃないだろうかと、そんなはずもないことまで考えてしまうほどフィーリングが一致している。走るほどに手に、足に、身体になじんでくる。
こんな感じ前にもあった。シューズを忘れてどうしようかって困ってたら、先輩が声をかけてくれた、、、 そのひととしか足のサイズが一致しなかったってのもある、、、 もう捨てようとしてロッカーに入れっぱなしになっていたモノを、よかったらやるよって放り投げてきた。
使い古されてクタクタになっていたシューズだったけど、履いてみたら異様にフィットして走りやすく、自分のために開発され熟成されたとしか思えないほどで気持ち悪いぐらいだった。
数日履いていたら、おれのタイムも目に見えてアップしていき、そうすると先輩は、それ返してくんない? と問いかけるいいかたとは裏腹におれの手から奪っていった。
おれは同じメーカーの同じシューズを購入して柔らかくなるように、足にフィットするように、手でもんだり、形をはめて伸ばしてみたりしたけど、同じ感覚は二度と戻ってこず、先輩もそのシューズを履いたからといってタイムが伸びたわけでもなく、いつしか見なくなったシューズはその後どうなったのか知ることもなかった。
はたしておれのタイムがあがったのがあのシューズのせいだったのか、たまたまそういう時期だったのか、そんなめぐりあわせとかってあるもんだ。
だから今回も、そこは過大評価せずに、偶然の一致ってことにしておこう。自分のからだにフィットするってのは、主観でありつつも客観なのかもしれない。どれだけ自分が自分のからだについてわかっているのかなんて、思い込みの内でしかないんだから。
気持のいい加速とともに朝比奈が置いた2本目の空き缶が接近してくる。回転数が跳ね上がっていくそのタイミングで、アクセルをちょいと戻してクラッチを切る。即座に反応、、、 レスポンスってやつだ、、、 が早く、エンジンは抵抗がなくなって回転数が急降下してくると、もっとも力がでるところ、、、 パワーバンドだな、、、 で、つかまえて2速に入れて次なるスピードの領域を手に入れる。
初速よりは楽になったものの次なる力が腰からも首にもつたわってくる。
最高だ。地球の果てまでこのまま突っ走れそうな、そんなたわごとが脳裏に浮かぶ。自分でタイムを計っているわけじゃないけどたぶん今日一番の、、、 昨日から走ってるけど、、、 タイムが出たはずだ。
こういう感覚が大切なんだ。実測ではなく速かったって感じ。そしてそれはもうこのクルマと、今のおれとではこれ以上出せないタイムなんだって思う。
朝比奈もそれを感じたらしく、片頬を持ち上げ笑みを保ちながらおれの帰還を待ち、両手を広げた。この感じを身体に刻み込んでおかなければならない。それでヤツらに勝てるのかどうかわからないけど、いまできる最高をぶつけるしかないんだから。
朝比奈は工場を見ながら言った。
「朝が来て、この工場がいきなり稼働を止めたために何かが使えなくなったって、きっと誰も困りはしない。それだけこの世の中にはモノが溢れているし、それが無くたってかわりになるモノはいくらでもある。その創作者が言いたかったのは無くなったモノがなんであれ、依存する人間の弱さを憂いでいるのかも。その弱さがモノがなくなるのを怖れて過剰に生産続けていくいまのシステムを作り出した」
そんな意味も含まれていたのかなんておれにはわかるはずもなく、読んだのが子供の頃だからって朝比奈も同じなんだからいいわけにもならず、いま言われたってただ感心するぐらいしかできない。
だとしたらモノに依存する生活から抜け出すにはどこかで線を引かなければならない。本当に必要なものはなにもない、あのシューズも、このクルマも。それとともに過ごした時だけが自分の成長と関わりのなかで存在しているだけだ。それなのにこだわりとか、お気に入りとか、そうやってモノとの関係を深めて、なくてはならないモノを想像しては、創造して、でももう引けないところまで来ている。引いたら最後、ゲームから降りなければならないんだから。
「エンプティが灯いてるわよ。ガソリンがなきゃゲームから降りなきゃね」
朝比奈はガソリンが空になりそうな時に灯る警告灯を指さした、、、 さっきの引用は前フリなんだね、、、 おれは遊ばれているのかな、、、 それでいいけど。