「クルマをおれのカラダの延長線とした。のほうが良いんじゃない?」
その方がいいのかもしれない、、、 いや、いいに決ってる。朝比奈が言うんだから、、、 受験勉強に乗り遅れているようなヤツのたとえなんかよりよっぽど気が利いている。それに競争力を失ってしまったおれの走力を補ってくれるためのクルマだとしたら、カラダの延長線とはまったく言いえて妙であり、ツヨシが言ってたように、未来を見せてくれる乗り物ならば、自分の手足のとして意のままに扱えてこそ、自分で切り開いた未来だなんだから。
2時間ほど走ったところで朝比奈は手をあげておれを止めた。おれもまたそろそろ一息つけたいと思っていたところで、息もぴったりって、ひとりニヤけてしまった。ただ、クルマを降りる時にはなんだか少しさびい気分にもなった。子供のころ大好きなオモチャを取り上げられるような気分。ほとんど飽きてるはずなのに、それを認められない、親に覚られたくない、悟れればオモチャを取り上げられるような気分。そんな状況を笑い飛ばしたくなる。
おれたちは路の角にある自動販売機のところまで歩いて行く。口にしなくたってお互いがそうすることが普通であった。ひさしぶりに自分の脚で道を踏みしめると、これまでのスピード感覚との差異で、うまく脚が動かずにふらついていた。
この感じも忘れて久しくて、本格的に陸上を始めた時、そんな違和感に途惑いながらも、なんだか新鮮であり、懐かしくもあり、初めて体験することって一生の中で唯一無二の出来事で、本当ならもっと大切にしなければならないイベントであってもいいはずだ。
朝比奈は、おじいちゃん大丈夫?とおどけて笑った。身体がスピードになれていく。それが正しい状態なのかわからないんだけど、自分自身と何事にも代えがたく、自分としてはうれしい感覚だった。
自販機の前に陣取った朝比奈は、続けざまに100円玉を投入してコーヒーをふたつ手にした。おれが払うからとか言えば良かったんだけど、ポケットの小銭では間に合いそうにないし、ディバックに入ってる給料袋には札しか入ってないから使えないけど、いいさ、どこかでもっと良いモノをおごってやればいい。朝比奈にお礼する口実はいくらでもあるんだし。
おれたちはそのまま自販機の前で道路との段差に腰かけて、缶コーヒーのプルトップを開けた。おれは不覚にもキョーコさんと一緒に飲んだコーヒーを思い出していた。女性と一緒にいるのに、別の女性のことを考えるのは不実だと思うんだけど、本当に思ったことは、今日はコーラじゃなくてコーヒーが飲みたい気分だったってことで、これもひとつの人生の通らなきゃいけない路のひとつなんだ
朝比奈はプルトップを人差し指に差してコーヒーを飲み始めた。なるほどそうすれば飲み干したあとに缶に戻してゴミにならないなあ、なんて生活の知恵を感心して、おれも真似して小指につけてみた。なんだか結婚指輪みたいなんだけど、反り返ったアルミの開け口部分が鈍く光って安っぽいことこの上ない。
目を覚ますためのコーヒーのはずだったのに、おれはそれに頼るまでもなく、あたまはふだんよりもハッキリしていた。神経の隅々まで感覚が研ぎ澄まされているのがわかり、冷えた缶コーヒーが指先にしびれるように伝わってくるのが普段ではない感覚だ。こういうのって前にもあった。いまならどんなことも吸収できる。それがわかる。
「そんなに、あわてないで。おなかが空いてるのはわかるけど、カラダに入れても消化できなきゃ実にならない。それに、本当にいま吸収しているモノが正しいのか、問うてみる必要もある。間違ったモノを吸収してもカラダに毒なだけだから」
きっとこれも、朝比奈の言うところのダブルミーニングってやつだ。おれは自分だけ舞い上がって、うまくできてるつもりでも、傍から見ている朝比奈にはアラがいろいろと目についているんだ。
これまでだってそんな失敗を何度も繰り返していた。とくに調子に乗ってうまくやれてるって勘違いしてると、あとからとんでもない状況に陥っているなんてのはよくあった。自分の視界で見えてる部分は、そうなると狭くなっていくばかりで、まわりからみればおれがやっていることが滑稽にしか見えないってヤツだ。
朝比奈はさすがの洞察力で、しかも丁寧におれのまずいところを説明してくれた。曰く、ギアチェンジのとき回転数を極力落とさないとか、、、 そうか回転数を落とすと興ざめになるんだ、、、 曰く、路面にタイヤを取られてるからハンドルを取られないように強く握れとか、、、 そうか強く握っていて欲しいんだ、、、 なによりも、精神面のゆらぎに左右されて、いい時と悪い時との走りに差がありすぎると、、、 自分の気持ちだけで先走っても相手をおもんばからなきゃダメってことだ、、、 なんて、痛いところをついてきた。
おれは弱いところを見せないように、でもそれはみんなにバレているって云うのに、それで自分の力が出し切れていないってわかっているても、あいかわらず同じことを繰り返していた。自分以上を出すために、いまの自分の力を出し切れていないなんて、意味がないんだけど、どうしてもそこらか抜け出せない、、、 過去も、今も、、、
「それが、すべて悪いわけでもないの。自分以上を出そうとしない限り、自分の限界は超えられないから。動機が何であれ限界の向こうに行くことだけが、新しい自分を見つけられる唯一の方法ならば」
ですよねえ、おれもそう思うよ。イイ格好するのも悪くない。それで結果が出ればの話しで、世にいうスーパースターってヤツは、そういうプレッシャーを力に変えるんだ、、、 おれはスーパースターじゃないからな、、、 かすりもしないし、、、
「いいんじゃない。なりきるのも。それが力になれば」
朝比奈は最後のコーヒーを飲みきった。コーヒーがのどを通るときの皮膚の動きがなんとも艶めかしく、目に焼き付けてあたまのなかで再生してみてると、何度だって飲み込んで欲しくなる。
飲み終えた空き缶を振ってるのは、おれにも飲み干すように促してるんだろう。
クルマを降りるまではまだ走り続けたい気持ちもあったのに、いまはこうして朝比奈と横並びでいることのほうが大切な時間に思えた、、、 環境が気持ちを上回っていく、、、 そうして自分史が書き込まれていく。
おれがしぶしぶ飲みほしたコーヒーの最後のほうは、なんだかやたら甘ったるく感じられた。
朝比奈はおれの手から空き缶を取り上げ、指から外したプルトップを中に放り込んで、おれの指にかかっていたのも、あえなく外され投げ込まれたのを見ると、おれたちの蜜月が無理やり終了させられたように気分になる、、、 蜜月だったか?
空き缶をふたつ持った朝比奈はゴミ箱に捨てに行くのかと思ったら、そのままスタスタとクルマのほうへ歩いて行く。置いてきぼりにされたおれは、朝比奈の行動の意味がわからなく、そっちのほうでも置いてきぼりだ。
朝比奈はクルマの先頭に立ち、意味ありげに一歩だけ歩を進めて、その先に空き缶をひとつ置いた。長い手と足が工場の明かりを背にうつくしいシルエットを映し出した。こちらを向きなおる。
「ここからスタートして」
そう言って、また歩きだす。もうひとつの空き缶は、伸ばされた手の先にある。おれにもようやくその意図が見えてきた。その先50メートルぐらい歩いたところで、脚を折り曲げることもなく空き缶を据えた。ふたつに折れた身体はバレエのフィニッシュを観ているようだ、、、 バレエ観たことないけど、、、 久々だなこの流れ。
「ここで、セカンドに入れる」
おれが観賞してるってのに、着々とやるべきことを消化していく。腕を組んで脚を交差してこちらを向いている、、、 おれは感傷しはじめていた、、、
「気持ちいいからって楽しちゃダメよ。パワーバンドをキープしたまま加速する。スピードをロスしないためにクルマのブレを抑える。荒っぽく走れば速く走ってる気になるんだろうけど、無駄な動きはスピードの妨げになるだけ」
あっ、やっぱり。それ陸上部のときもよく言われてた。自分では気持ちよくいい感じで走ってるって時にかぎって、ムダに大きな動きをしたあげく、さしてタイムも出ていないって。悪い癖だ、自分だけ気持ち良くってもダメなんだ。お互いそうでなきゃ。
「そう、クルマの気持ちも考えてあげて」
そう、わたしの気持ちも考えて、、、 そういわれた気がした。
朝比奈は意味ありげに笑っている。おれはなにか間違ったことを言っているのだろうか、、、 正しいことを言えてるつもりもそれほどない、、、