SCENE 16
「おまえ、何をかくしている? なんだ人力車って? 祭りの時に使っていたヤツか? あんなものをいまさら引っ張り出して、なにやらかすつもりだ」
「えーっと、それは… 」
戒人の目が右へ左へ、上へ下へと縦横無尽に動いている。
「バカタレ! 言い訳考えてるのが見え見えだ。どれだけおまえの父親やっていると思ってるんだ!」
「えーっと、ニジュウゴ年… 」
会長は手で目を覆った。素直に答える息子が情けないやら、やはりと納得してしまうやら。そんなことよりもどうしても確認したくなる。
「時田さんの差し金か」
「そっ、そう、そう。そうなんだ。もう、無理難題ばっか言ってきてホンと困っちゃって。そう、ホンと」
渡りに船と、早速なびく。自分が楽になる状況にはあとさき考えずに飛びつく。
「何なんだ。その無理難題って」
会長が聞くであろう当然の質問も、戒人には想定できておらず、この段階にきて、さてどこまで話していいものやらと、さすがに自制心が働いたのは、自分の体裁に関わってくるからで、それ以外の打算はいっさいなかった。
「それはその… 人力車で駅まで送っていけとか、ニシキのタコス屋で朝まで付き合わされたり。それで朝風呂に入りたいとか、風呂入ってるあいだにコンビニに下… 舌平目のムニエルを買わせに行かされたとか。アサメシに… とか、とか」
危うく女物の下着を買わされたと言い出しそうになり、すんでのところで思い留まった。会長はいぶかしげな顔をしつつも、いまどきコンビニに何が売っているかなど知りはしない。
「とにかくさ、もう、そんな感じでやりたい放題、言いたい放題で、いくら会社の上司だっていってもやりすぎなんだよなあ。しかも他の部署だし… 」
――そうか、あれからすぐ商店街の現状を見て回ったというわけか。それをコイツはただ振り回されただけだと。
なんとか父親としては息子に名誉挽回のチャンスを与えたかった。背中で語っても通じあえないのならば、次にできることといえば背中を押してやるぐらいだ。もしあの女部長が少しでも戒人に目をかけてくれるなら、そのあいだにつないでおきたいと思うのはただの親バカなのだろうか。
「時田さんと一緒に一晩明かして、おまえは何も感じなかったのか?」
「カンジ、ナカった? ああ、感じなかった… って、やだなあオヤジ。朝まで一緒だからって、なんにもなかったから。あるわけないし。それにオレに… 」
「バカモン! そんな話をしているんじゃない。時田さんと商店街を見て回って、なにか気になったことはないかと聞いているんだ」
会長は大きく天を仰ぐ。親の心子知らず。10年後の戒人が、少しでもいまの自分の気持ちを理解してくれるのかと懐疑的にならざるをえなかった。
「うーん。別に… 」
「彼女、時田さんはな、それなりに収穫があったみたいだ。現にさっきのように人力車について訊いてきた人もいる。タネを蒔くから収穫ができる。なにもせずに芽を出すようなモノは、簡単に毟り取られ消費されるだけだ」
「そんな、タネをまくだなんて、直接的な。だから、なんもしてないってオレ」
商店街の現況を見極める能力はなくても、ソッチの話に持っていく才能は人並み以上にあるらしい。会長は閉口しながらも、せめて20年後にはと考えを改めていた。
これまでなら黙りこくってしまうか、一方的に持論を述べて終わりの父親であったのに、今日は少し様子が変だと感じた戒人から、普段なら決して口にしない言葉が飛び出してきた。一度堰を切るとすべてを出し切らずにはいられないほどに。
「オレだってさあ、そりゃ商店街が昔みたいに、オレらが子供ん時ぐらいとかに盛り上がっててくれたらいいなあって思うよ。楽しかったもんな。だけどどうしたら良くなるかなんてよくわかんないし、あったとしても誰に何を言えばいいのかもわかんない。それにどうせオレの考えたことなんか、誰も相手にしてくれないだろうけどさ。仮にその案が通ったとしても成功するわけじゃない。逆に失敗すればああやっぱりとか、変に怨みをかったりするかもしれない。未来への希望が持てないのは商店街だけじゃない、そこで育った子供たちだって同じだよ」
深刻な内面の辛さを切々と語る割には、口笛でも吹いているかのような口調と表情だった。そうだからこそ会長は、戒人の他人任せで、大勢の中のひとりが楽であると逃げているだけの生き方がたまらなかった。そんな大人に育ってしまったのは間違いなく自分の責任であり、多くの若者達が大なり小なり同じような方向を向いているのは、自分たちの世代が残した負の遺産のひとつなのだと歯噛みした。
咎めるわけにもいかず、なんとか前向きな言葉をかけてやりたい。恵との話し合いがなければそんな気にはならなかったはずだ。
「なにか考えがあるなら、言ってみろ。月並みかも知れんが、なにかして負けた方が、なにもしないよりよっぽどいいだろ」
先に歩を進めている戒人が右手を煽った。
「そうじゃないんだよ、オヤジ。オレはたしかに情けなくて、臆病な人間で、同じ年代の中でもイケてない部類に属する人間だよ。でもさ、そういうのって、そういう人間をつくりだす必用があるからだろ。意見を持たず大勢に紛れてなびくような人間。権力者ってやつは戦争がしたきゃ屈強な人間をつくりだすし、画一的な歯車だったり、従順な犬だったり、必要に応じて適応する人間が必用なんだ。まわりが固まればそこからはみ出すのはよっぽど能力のあるヤツか、空気を読めないただのバカでしかないよな。だからオレはね、何者にもなって欲しくない今の社会が求める人間になった。それがいまの世代に求められているから。そういったヤツラが目立って非難もされる。それはある意味動かす側には好都合だろ。それにオレは別に嫌なわけじゃないよ、そういう生き方も」
会長はもうなにも言葉がなかった。なんの考えもないと思っていた息子が、自分以上に世の中の流れを読み取っていた。なにも知らないと浅はかさを憂いでいるのは、本当に何も知らない親の方であったのに。いつまでも手の中にあると思われていた戒人はもう、自分の手の届かないところいる。ぶざまな言い訳だとわかっていてもこれだけは言わずにいられなかった。
「それが国や社会が望んだことだと、そうでなかろうと、わしらの若い頃は脇目もふらず、一心不乱に働いて、少しでもいい生活をするために、家族や子供に不自由な思いをさせないようにと。それが間違っていたとは思わんぞ」
「間違ってるとか、正しいとかじゃないよ。オヤジを悪く言うつもりもない。プールの中で大勢が同じ方向に進んで行く中で、自分だけ別の方へ行くのは不可能なんだ。選んだって錯覚させるような巧妙な手口はいくらだってあるだろし、それが当時求められていたことだったんだから。それが回りゃあ、会社や、世間が、社会や、国が望んだ方向に向かって走るように仕込まれていく。意思を持てるのは強い人間だからじゃないよ。回りの期待に鈍感なだけだ。そいつらがのさばりたいならそうすればいい、どうせ誰かが世の中を動かしてかなきゃならないんだし、大多数のモノ分かりのいい民衆も必要だ。でもね、そうして指導者となった者が、その先も民衆の支持を得られ続けるってのは歴史上ありえないんだよねえ」
家路を進む二人のあいだに距離ができはじめた。前を進む戒人にどうしても追いついていけない自分がいる。戒人はきつい言葉は避けて話していた。なんの抗いもできなかった自分たちの世代に対し、親であることを差し引いて寛容であった。やる気のない若者や、傍若無人な振る舞いをする若者に、自分たちの理論を押しつけて、不満を口にしてしまうのは自分が丸め込まれた人生を正当化するためでしかなかったのか。
差が開いた父親の方を振り向きもせず、戒人は自分のペースで歩きつづけている。その差はこの先もずっと開き続けていった。